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父親になるまでの9ヶ月、父親なってからの半年

2022年6月末日、僕は父親になった。

父親になるまで

生活のはなし

結婚式が終わり、子どものことを考えなきゃね〜と2人で話していた。きっとそんなにすぐ妊娠しないだろうし、コロナも少し落ち着いてきてるかんじがあったから、渋谷に引っ越した。外食など楽しむ気満々だった。しかし引っ越し直後、ありがたいことに妊娠が発覚し、全く遊びに行けなくなってしまった。そのことは残念だったが、妊娠中は散歩をするというイメージが僕の中にあり、家から代々木公園まで歩いて5分ほどだったので、散歩のために引っ越したのだと思うことにした。まだあまり父親になる実感はなかった。

実感はなかったものの、安定期に入るまでは不安で仕方なかった。なにかの拍子に駄目になってしまうのではないかとずっと思っていた。例えば荷物が家に届いたときの対応は絶対に自分がするようにしていた。今思うと過剰だったと思う。とにかく妻を気遣っていたような記憶がある。

妊娠したら産婦人科を選ぶ必要がある。僕たちは家から車で2〜30分のところを選んだ。妻の希望で無痛分娩をしたかったからだ。妻が積極的に調べてくれて、調べてくれた病院を一緒に見て良さそうなところを選んだ。出産し終わった今だから言えるが、そこにしてよかったと思う。無痛分娩にはリスクがあるが、Youtubeに動画を上げて説明してくれている病院だった。出産は命がけであるということを理解した。妻に戦ってもらうしかないため、できるだけ妻が望むような出産や産後の入院にしてあげられたと思う(僕はお金を出し、月に1〜2回の通院時は車で送迎しただけだが)。ちなみに、コロナ禍ということもあり、その病院に僕が立ち入ったのは、陣痛が始まりそろそろ産まれるタイミングが初めてだった。

つわりが非常に大変というイメージがあった。納豆の匂いがダメとかなんとか。どうでもいいが、僕は毎朝納豆卵かけご飯を食べる習慣があるので、納豆がダメだったら朝ごはんどうしよう、とか少し考えていた。だが、幸いなことに妻のつわりは全然ひどくなく、たまーに気分が悪くなる以外はそれほど普段と変わらないようだった。

それよりも、ナマモノなど食べられないものが増えたほうがつらそうだった。妻も卵かけご飯が好きなので「出産したら毎日明太卵かけご飯を食べてやる」と意気込んでいた。そんなことしなくていいよ〜と言われてはいたが、辛さを共有しようと思い、僕も妻が食べられないものは基本的に食べないようにしていた(ただし生卵を除く)。ただ僕は意外と辛くなかったが、妻としては食べたいのに食べられないものを目の前でバクバク食べられることがなかったのでよかったらしい。ちなみに我が家は2人とも、酒タバコは一切嗜好しなかったし、飲み会にも全く行かなかったので、食べ物関連で揉めることはなかったと思う。

雨の日以外、散歩は毎日30分〜1時間ほどしていた。僕はフリーランスで時間の融通がこれ以上ないくらい効く感じだったので、必ず散歩についていってた。なんとなく、よくわからない人が妊婦をめがけて突っ込んでくるんじゃないかという不安があったのと、妻はたまにつまずいて転びそうになるので信用していなかったからだ。もしなにかがあって子どもを産めなくなってしまったときの妻に降りかかるショックは計り知れなかったので、なるべくリスクを減らせればと思っていた。散歩中はいろいろな話ができたので良かったと思う。

時間が経つに連れ、お腹の中の子はドンドン大きくなり胎動が見られるようになってきた。そうなってくると、夜中に胎動があるらしく、妻は夜にあまり眠れなくなってしまった。かわりに日中たくさん寝ていた記憶がある。この頃あたりから妻は「あー早く産まれないかなー」と言っていた。産まれて忙しくなりたかったらしい。

名前を決めるのは少し苦労した。画数を調べたり、英語での読みやすさを調べたり、子どもが一生背負っていくものを決めるのは非常に勇気がいる作業だった。特にソフトウェアエンジニアとして僕も妻も働いているので、失敗してもいつでもリファクタすればなんとかなる世界だったのも気を重くさせた一因だったと思う。しかも僕の名字が 最上 という少しイカツイ感じなので、この名字に負けないような名前(というか漢字)を考えるが大変だった。

出産予定日の1ヶ月半前に引っ越すことにした。タイミングとしてはギリギリだったが、渋谷は子育てするにはちょっとゴチャゴチャしているなという印象があったのと、子どもがたくさん泣いても気にならないように一軒家を借りたいと思っていたからだ。結果的にこれは非常にいい判断だった。現住居は、周りの人が子育て経験者でめちゃくちゃ理解があっていい人たちばかりだった。今たくさん泣いていても周りの家に気を使うことは全くなく、精神的によい。

仕事のはなし

先にも書いたが、僕はフリーランスのソフトウェアエンジニアとして働いている。お客さんの作りたいものを相談しながら一緒に作っている。悲しいことに、フリーランスには給料がもらえる育休というものは存在しない。だが、産後は育児100%でしばらく行きたいと決めていた。僕は時給で働いており、しかも時間の融通は効くし早く完成する分には問題ないので、出産までの3〜4ヶ月は毎月200時間以上働き、休んでも問題ないようにお金を確保しつつ成果も出した。人生で一番働いていたと思う。

お子さんがいる人が多い現場は非常にありがたかった。出産・育児の大変さを理解しており、2つ返事で休むことを快諾してもらえた。こういう会社が増えることを切に願う。

父親になったとき

予定日が過ぎてもまだ産まれる気配がなく、ソワソワして仕事も何もかも手につかなくて大変だった。初産は遅れることが多いと聞いていたし、このころには週1で病院に行っていたので安心感はあったが、それでもいつ陣痛が始まるかわからないのはもう本当にソワソワした。

陣痛は17時ごろから始まり、正直タイミングとしては夜中よりは圧倒的に良かった。妻を病院に送り届け、一旦家に帰ってろと言われたので家で待っていた。何をしていればいいかわからなくて、とりあえずご飯とお風呂を済ませ、いつでも行けるように待機していた。妻とLINEのやりとりはできていたので、病院に確認してもらい駐車場で待っていることにした。

22時ごろに分娩室へ呼ばれ、出産の立ち会いをした。子どもの心拍に合わせて音がなる機械?があり、その音が誤作動か何かでたまに止まったり早くなったりするのが怖かった。妻がいきんでいる中、何をしていればいいかわからなくて、ただひたすら無事に産まれることを祈っていた。妻は麻酔のおかげで痛みはあまりないようだったが、いきむのがひたすらに疲れるらしかった。

23時45分ごろに無事産まれた。元気に鳴いていた。お腹に居た子はこんな顔だったのか、ちゃんと人間が入っていたんだなと思った。めちゃくちゃ嬉しかった。

助産師さんが色々測定してくれて、その後は写真を撮ったりした。その後なぜが1時間くらい、僕と妻と子はその場に放置されて「これは今どういう状況?」みたいな話をしながら子どもを眺めていた。ときどき泣き止むので「え、大丈夫か、生きてるか?」と不安になった。僕は眠さが限界だったので、助産師さんに声をかけて帰宅した。産まれたにもかかわらず、なぜか他人事のような感じがまだあった。

ここから5日ほど、妻子は入院するので僕は家に一人でいた。何をしていたか全然覚えていない。妻から子の写真がよく送られてきていたので、とにかく早く子どもに会いたかった。

退院の日に迎えに行って、車に用意していたチャイルドシートに載せたとき、こんなにも小さいのかと思った。帰り道は過去の中で一番安全運転をしたと思う。無事帰宅し、家について初めて抱っこしたときに、父親になれた気がした。

父親になってから

最初の1ヶ月は怒涛の日々だった。出産は交通事故にあったくらいの負担が身体にかかるというのをどこかで見た記憶があったため、ひたすら家のことと育児を頑張っていたと思う。

我が子はおっぱいから直接母乳を飲むのが苦手だったので、搾乳機を使って搾乳したものを哺乳瓶に移してあげていた。それが間に合わないときはミルクを作ってあげた。それが妻にかかる負担を減らせていたと思う。搾乳して冷蔵庫においておけば、一定時間以内なら僕でもあげられるし、ミルクなら言わずもがなだ。赤ちゃんにとって1〜2時間に1回必要な食事が、夫婦どちらでも対応できるのは非常に良かったと思う。上記Tweetのように日中は妻に寝てもらえるからだ。

産後しばらくは育児を頑張ることにしてよかったと思う。妻1人で対応するのは非常に大変だからというのもあるが、日々接している中で感じられる子どもの変化がわかるのが楽しいのだ。毎日接し、苦労もかわいさも全身で受け止めているからこそ、愛情は深くなるものなのだなと体感した。自分がこんなにも愛おしい存在に出会えるなんて思ってもいなかった。大変さとかわいさが両立する不思議な感覚になる。

毎日ミルクをあげる。最初は吐いたりすることもあり不安になったりしたが、今では全然吐かなくなった。指をしゃぶるようになり、首がすわり、最近ではおすわりもできるようになった。3kgだった体重も今では9kgもある。鳴く以外ほとんど出なかった声が、今ではいろんな声を発してくれる。表情も鳴いている or notだったのが、非常に豊かになった。離乳食も食べ始め、人参を初めて食べたときはめちゃくちゃ不味そうな顔をしていた。どんどん人間になっていく。

なにか1つでも新しくできることが増えるのを見るたびに感動するし、常に今が一番かわいいと思える。父親になれて本当に良かったと思う。

もちろんプライベートの時間は減るし、自由に行動しにくくなる。でも大人2人でかかればなんとかなるし、もし親を頼れていたらもっと楽だったのだろう。育児はすごく大変だけど、本当にこの半年はあっという間だったし終わってみると楽しい日々だった。これからも家族で頑張っていきたい。

ごはんいかない?