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広告代理店勤務で東京にいた僕が地方移住を選んで、今もそこにいる理由

はじめまして。岩本成矢と申します。

福岡県北九州市の門司港で「株式会社DECORATE COMPANY」という会社の代表をしており、マーケティング支援事業と、カフェ経営をしています。

▼経営している門司港のカフェ「四稀」
築100年の古民家をリノベーションして2020年6月にオープンしました。

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https://www.instagram.com/p/CaecV-Uvb1z/

僕は横浜で生まれ育った後、東京の大学に通い、東京の会社に勤め、東京で一人暮らしをしていたのですが、2019年に、縁がほぼ0だった門司港に移住をしました。

移住する前から移住して2年が経った今でも、知り合う方々に「なんで移住したの?」と、興味をもってもらうことが多々あるので、この度、noteにまとめてみようと思った次第です。

感想や気づきなどあれば、気軽にSNSで絡んでいただけたらうれしいです。

略歴

本題に入る前に、まずは略歴の紹介を。

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新卒で、インターネット専業の広告代理店であるセプテーニに入社し、約8年間在籍。
その後、インターネット専業の広告代理店で、さらに運用型広告というジャンルに専門化したオーリーズという会社に経営層として転職し、約10ヶ月在籍。

1社目で、最終的には約1,300人ほどになった会社で、プロジェクトリーダーや課長の仕事を経験。

2社目で、数名のスタートアップ企業の経営層としての仕事を経験。

その後、独立し、門司港へ移住、起業しました。2021年7月時点で、社会人歴13年目の34歳です。

以下、移住に至るまでの話を順を追って記載します。



独立前「誰のための、何のためか分からない仕事への疑問」

「人の心を動かす広告の仕事がしたい」と、自己分析もままならない、地に足のついていない大学生の頃から思っていた。

その希望を叶え、新卒でインターネット広告専業の広告代理店であったセプテーニに入社し、営業職やコンサルティング職などのクライアントワークから始まり、プロジェクトリーダーや、課長の仕事を経験させてもらった。

GoogleやYahoo!のページに表示される広告が主な担当領域。クライアントの商品やサービスが自分の手を通して、インターネット広告として世に出て、そこから購入や申込が発生する。

成果を上げるための改善対象は数多くあり、表示回数にはじまり、クリック率、ページ遷移率、申込率など、日々それと向き合っていた。

昼夜問わず、平日も土日も構わず、数字と向き合う日々。

体力には自信があって、能力には自信がなかったから「量質転化」を肝に銘じて働いて、徹夜が続くこともあった。

それでも、考えて、改善して、成果が上がっていくこと、自分のできることが増えていく喜びに取りつかれていたように思う。

昨日できなかったことが今日できるようになるという成長に興奮し、仲間と自分たちの成長を称え合う。仕事仲間とはプライベートでも仲が良く、頻繁に遊ぶようになり、そんな日々に満足していた。

しかし、社会人として、一定のスキルを身に着け、まずまずの評価を得ることができるようになった頃、その先、自分がするであろう仕事に魅力を感じづらくなってしまった。

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ずっと頑張ってきたのに。楽しかったのに。
なぜか。

理由は、いつの日からか「手触り感のなさ」を感じはじめていたからだった。

インターネットの広告の性質上、クライアントの先にいる生活者の顔は見えづらいものである。さらに広告代理店という「代理」の立場では、生活者の顔は、余計に見えづらいものだった。

そんな「手触り感のなさ」が日に日に強くなり、情熱をもって取り組んでいたはずの仕事は、誰のための、何のための仕事か分からないものになってしまった。

不特定多数の人に対する仕事ではない、目の前の人が喜んでくれる、顔が見える仕事をしたいと思うようになっていた。

「このキャリアの先にあるものは、望んでいるものではないのではないか」という疑問が頭から離れなくなっていた。

独立~移住「手触り感があり、心から良いと信じられる商品 / サービス を自ら手がけるために」

先述の経験があったから、

・手触り感のある仕事がしたい
・代理はなく、心から良いと信じられる商品 / サービスを自ら手がけたい

と夢を見て、独立の道を選んだ。「代理」ではなく「自ら手がけたい」と思って、当時は独立以外の道は考えられなかった。

当初の計画では、東京で美容室をはじめるつもりだった。その頃よく飲みに行っていた高校時代の友人が美容師だったので、彼に店長をやってもらおうと考えて。

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美容室オープンの計画時 / 坂本くん

自ら店舗を持つために資金が必要だったから、独立するときにこんなことを決めた。

・週4日は、飯を食うための仕事(ライスワーク)で会社員時代を超える売上をつくること。
・週1日は、夢や自分の好きなことを追い求める仕事(ライフワーク)として挑戦すること。

ライスワークとしては、会社員時代のスキルを活かして、インターネット広告の仕事を選んだ。

独立直後で、融資を受ける考えはなかったから、決して安くない美容室の初期費用をつくるために、ライスワークとして、週4日、身を粉にして働いた。

体力には自信があったから、昼夜問わず、会社員のとき以上に働いた。

独立後の約半年間、ライフワークとして週に1日は美容室の計画にあてて進めていたが、紆余曲折あって、結局計画は白紙になってしまった。

「ライフワーク」としたいと思っていた美容室の仕事が白紙になってしまえば、残るのは「ライスワーク」のみ。貯めていたお金は使い道を失った。

自由に使っても構わないお金が増えて、プライベートは充実する半面、売上を目標にしてしまった仕事の時間は苦痛を伴った。

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そんなときに、Twitterを通して知り合ったゆっちさんから誘いを受けた。

「福岡県北九州市の門司港でドライフラワー屋さんを始めたいから、共同代表で遠隔でマーケティング部分をやってもらえない?」

これが移住のきっかけだった。

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門司港地区の眺め(めかり展望台より)

破天荒で、元気があって、大切にしたいものが近い感覚があって、当時、店舗の経営経験をすでにもっていたゆっちさんからの誘いは、自分にとってチャンスだと思い、ほとんど二つ返事で了承した。

続けて、ごきげんなテンションで、「移住しちゃえばいいじゃん」と誘われたので、門司港を見に行った。

本気でマーケティングをするなら、現場の空気を感じることの必要性を感じていたから、初めて訪れたその足で移住を決めた。

店舗経営をするにあたり、門司港にはこんな魅力があった。

【門司港の魅力】
・東京と比較して、家賃が格安
・「門司港レトロ地区」として観光客が数多く来ている
・海があって、山もある。自然が豊か
・商店街地区は、個性的な個人店が多数あって、同業者として協力してくれそうだった
・港町気質で、来る人を拒まないウェルカムな空気があった

また、事務所兼自宅としてタワーマンションを借りたのだが、東京在住時と同じ家賃で、広さは3倍以上、オーシャンビューという魅力があった。

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移住~ドライフラワーのお店閉店「叶えたい情景を描いて臨むことが必要」

ドライフラワーのお店の経営は、小商いをコンセプトにしていたため、活動日は月に10日以下に設定していた。

だから移住後も、週4日はライスワークとしてインターネット広告の仕事をしながら、平日の1日と土日をドライフラワーのお店の開店準備にあてた。

自分たちでコンセプトを考え、心から良いと信じられる商品 / サービスをできる限り考え、数か月の準備期間を経て、ちいさなドライフラワーのお店をオープンした。

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お店に訪れる人々が、自分たちの商品を手に取って、喜んでくれるのを目にすることができた。

・手触り感のある仕事がしたい
・代理はなく、心から良いと信じられる商品 / サービスを自ら手がけたい

その想いを叶えられたと思ったのと同時に、自分が投じて来た時間やお金から生まれた商品 / サービスの価値に、不十分さを感じていた。

振り返って思うのは、このときは叶えたいと思う未来の情景がはっきりと見えてなかった。だから時間やお金を投じることができなかった。「もっとできる」と思っていた。だから提供価値に不十分さを感じていた。

「未来を思い描けているか」「その未来をどれだけ見たいか」。この気持ちが強ければ、行動に変えられたんだと思う。

それが描ききれなかったから、ドライフラワーのお店は閉店を決めた。共同経営者のゆっちさんとは別の道を歩み始め、僕は起業した。

ここまでが、移住挑戦の一幕で、僕が移住を選んだ理由である。

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ドライフラワーのお店計画時 / ゆっちさんと。


起業~現在「彩り、飾る」

そして、起業から現在。

移住する前は、不特定多数を対象にしたビジネスの「手触り感のなさ」を感じていた。

インターネット広告の世界は人の存在がほとんど見えないままに、商品 / サービスが提供されていく世界だった。商品 / サービスの向こう側にいるはずの人の存在が想像しづらい世界で「ありがとう」が聞こえづらい世界。

その世界に違和感を感じて、目の前の人のことを思って、気持ちを込めた仕事をしたいと思った。

「手触り感のある仕事」で大切な人たちの人生や、僕ら自身の人生が「彩り飾られる」ことを夢みて、会社名を「DECORATE COMPANY」と決めた。

DECORATEは「彩り飾る」こと。COMPANYは、「仲間と、みんなと一緒に歩んでいく」こと。

「名は体を表す」を表すし、会社が何のために存在をしているか思い出させてくれる。

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先日、そんな想いが叶ったイベントがあった。

北九州市と、弊店舗のすぐ近くにあるカフェ「片」さんが主催で「街づくりワークショップ」と題した街の緑化イベントだった。

会場は弊店舗前の広場で、僕も主催側に交じって参加した。

あいにくDay2は雨だったけど、それでも四稀や、この広場に愛着をもった人たちが集まってくれた。

自分たちの手で、ワイワイと作業をして街をつくっていく様子は幸福感に満ちていて、それがDECORATE COMAPNYに込めた想いが叶えられているような景色・情景で、じんわりと胸にくるものがあった。

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イベントDay1とDay2の様子

ドライフラワーのお店を閉店したときに、移住した当時の理由はなくなった。でも今は「DECORATE COMPANY」があって、カフェ「四稀」がある。手触り感のあるこの景色を眺めていたくて、僕は今も門司港にいる。

ここ数ヶ月は、カフェ経営はもちろん、マーケティング支援事業においても、この想いを叶えられる状態で仕事を受け始めた。ゆっくりでも一つずつその想いを叶えていけるような経営をしていきたい。

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イベントから数か月経った晴れたとある日の広場

おわりに

数か月前、大分県で「リベルテ日田」という映画館を経営する原さんに経営の話を聞いた。

そのとき「お金は必要だけど、重要じゃないよ」という言葉をいただいた。

その後、原さんを訪ねて大分に行ったときに「いまの成矢くんにはこの映画を見てほしい」と言われ、リベルテ日田でこの映画を見た。

映画「ムヒカ 世界で一番貧しい大統領から日本人へ」より
「君が何かを買うとき、お金で買っているのではない。お金を得るために費やした人生の時間で買ってるんだ」

「手段と目的が入れ替わっている」とはよく言ったもので、稼ぐことを目的にして、仕事を選んでいたこともある。

独立後、美容室の計画が白紙になった頃から「稼ぐことを目的に働くこと」に違和感があった。

原さんの言葉と、この映画に背中を押され、タワーマンションから引っ越した。タワーマンションでの暮らしは良かったが「心からやりたいと思えるライフワーク」だけで生計を立てるためには不要で高い固定費だった。

固定費を極端に減らした結果、「ライスワーク」減らすことができた。

ここ最近、今までよりは自分にとって「重要なこと」が分かってきたように思う。いまは真摯に「DECORATE COMPANY」に込めた想いに向き合って、未来を選んでいきたい。

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以上です。5,000字に近い長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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