見出し画像

『長い一日』を読む長い一月 〜11日目〜

滝口悠生さんの連載小説『長い一日』(講談社刊)を一日一章ずつ読み、考えたことや想起されたこと、心が動いたことを書いていく試みです。

第11回は「伸縮性の実感」。このタイトルがなんだか面白くて、章の内容にのっとれば「伸縮性を実感する」ということなのですが、想起されるのは「実感」というものが伸び縮みするような様子で、実体のないはずの「感覚」に形が与えられたような気になります。
実感という言葉を辞書で引けば、「実際に事物・情景に接したときに得られる感じ」(『デジタル大辞泉』)と書いてあって、なんとなく「実感する」ということは、目の前のことに限られるように思いがちですが、その「感じ」が伸びたり縮んだり、広がったり小さくなったり、ときには自分の身体から離れていったりして、また元に戻る、そんなことを想像するととても愉快な気持ちになります。わたしなりの「伸縮性の実感」の解釈です。
また前置きが長くなりました。

あらすじ
窓目くんはご飯を食べるために外出する。窓目くんの私服はここ数年でアウトドアメーカーのものばかりになった。時間はまだ10時くらいで、目当ての店はまだ空いていない。窓目くんは独り言を呟きながら歩く。
窓目くんは歩きながら色々なことを思い出している。八朔さん宅に集まった友人たちのこと、大学時代のこと、学園祭の日に道端で弾き語りをやったこと。
夫は窓目くんをモデルにした人物を小説にたびたび登場させていて、妻はそのことが窓目くんに嫌な思いをさせていないか危惧するが、窓目くんは特に迷惑ではないと思っている。そもそも、夫の小説がたくさん売れるとは考えていない。
意味もなく屈伸運動をする窓目くんは、その伸縮性を実感することに小さな満足と、よろこびを感じている。窓目くんの小さなよろこびである。

小さなよろこび

誰にも伝えられることのない、伝えるほどのものでもない、私服を着る日つまり週末と祝日の、小さな俺のよろこび。(p.119)

 夫である滝口さんは、自分のこととなるとうまく書けないが窓目くんのことならうまく書けると思っていて、これまでも窓目くんをモデルにした人物をたびたび小説に登場させています。この章では、引用の箇所と同じく、窓目くんに「今からみたら軽すぎるし小さすぎる過去の理由や出来事、別に話すまでもない記憶というのがたくさんあ」ると語らせています(p.116)。
「誰にも伝えられることのない、小さなよろこび」がわたしたちの人生のそこかしこにはある。そういうことを忘れないためにも小説はあると思っています。日々いろんなことがありすぎて、大切なことも些細なことも、わたしたちはどんどん忘れていってしまいます。だからこそ、「思い出せないからといって、そこになにもないわけではないよ」という窓目くんの呟きはとても響いてきます。窓目均三十五歳、いいこと言うじゃないか…


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?