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『長い一日』を読む長い一月 〜18日目〜

滝口悠生さんの連載小説『長い一日』(講談社刊)を一日一章ずつ読み、考えたことや想起されたこと、心が動いたことを書いていく試みです。

第18回、「立花茶話子さん」。居間に置かれたテーブルの裏面に記された「立花茶話子」という名前から、夫婦はそれぞれに、以前の持ち主に思いを巡らせます。

あらすじ
夫婦が住む家の居間には幅三十センチ、長さ二メートルあまりのテーブルがあって、その一枚板は元々着物の裁板として使われていたものだった。その板の裏には「立花茶話子」と銘が記されていて、脇には「昭和二十七年十月吉日」と日付が記されている。
会ったことものない誰かの、おそらく嫁入り道具であろうその裁板が、今度は食卓として使われて、自分たちの生活の一部となっていくことを、夫はおもしろいことだと思う。
その板の上に食事を並べながら、立花茶話子さんの、考えてもわかるはずのない結婚生活を夫婦は想像する。夫は家事と育児に忙しい、ごく一般的な家庭を。妻は商売を営む家に嫁ぎ、毎日夫や職人らと仕事にはげむ立花茶話子さんを想像する。想像のなかで、立花茶話子さんはのっぴきならない手遅れの事態になって、彼女の愛した家と仕事を離れなくてはならなくなる。そうして、嫁入り道具だった裁ち板は流れ流れて、今は夫婦の家にある。

読み違えること
最初、この回のタイトルを読んだとき、「立花」ではなく「立話」と読んでいました。「立話茶話子さん」。本名ではなく、何かの芸名とかあだ名かと、ぼんやりと思っていました。読み進める途中で勘違いに気づいて、おそらく本名であるということもわかりました。ただ、自分が読み違えていただけの話なんですが、読み違えることで想起されて広がっていくものがあって(この人は話好きで知られていて、近所の人からは「立話茶話子さん」と呼ばれていたかもしれない)、そういうことも小説を読むことの面白さとしてあると思っています。
小説の夫婦と同じように、「茶話子」という名前について、わたしもまたいろいろと考えてしまいました。「さわこ」と言う名前の音自体は、多分そんなに珍しくはなくて、そこにあてられる「茶話子」という感じの意外性がなんともいえない味わいを生み出しているのではないか、とか、調べてみたらちょうどそれくらいの時期に薄田泣菫という作家が「茶話(ちゃばなし)」というコラムを新聞や雑誌で連載していて、茶話子さんの名付けはその作品に関係しているのではないか、とか(さすがにこれはこじつけがすぎるかもしれません)。この回には、ほんとうはもっと語ることがあるかもしれませんが、なぜか名前が気になってしまい、そのことばかり考えてしまいました。

明日は滝口さんと、漫画家のオカヤイズミさんのトークイベントの配信を見ようと思います。どんな話が聞けるかたのしみです。
最後に、気になった一節を引用して、本日の分は終わりたいと思います。

誰かがなにかを思えばそれは誰かに伝えずにはいられないし、伝わらずにはいない。(p.189)


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