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#穴係とつながりたい。

私はといえば「じゃあ、穴を掘って」と云われてほっとする。これならできる。できるんだ。そう思って夢中で掘る。やがて、人間を埋められるほどの巨大な穴が出現してびっくりされる。
(中略)
文化祭でもキャンプでも大掃除でも会社の仕事でも、いつも同じことが起きる。すべての「場」の根本にある何かが私には掴めないのだ。

穂村弘「穴係」『蚊がいる』所収 メディアファクトリー

「穴係」という変なタイトルのエッセイにいたく共感する。何か役割が与えられる(それがいかに奇妙なものであったとしても)と安心できるという気持ちはとてもよくわかる。

仕事でなにか思わぬ事態が発生してしまった時のことを想像してみる。
上司や同僚が忙しく動き回っているなかで、どうしていいかわからずただただ呆然とする自分。手が足りなさそうなところを手伝おうと立ち上がるが、「ここは大丈夫だから他のところを手伝ってあげて」。
暑くもないのに脚にはじわじわと冷たい汗が滲んできて、胸の辺りがぎゅうっとしめつけられるようだ。
そんなときに「これやっといて」と言われたなら。その言葉は天啓のように響くだろう。「椅子積んどいて」と言われたならどこまでも高く椅子を積み、「ホワイトボード綺麗にしといて」だったら新品同様に磨き上げる自信がある。しかし、その行いはだれにも褒められることはないのだ(当たり前だけど)。

まわりの人たちにとって当たり前とされていることが、自分だけには理解できないのと思われるのはなぜだろうか。

どこかに書いてあったのを見落としてしまっているのか。
誰かが教えてくれたのに聞き逃してしまったのか。
というか、35歳にもなってこんなことを考えている自分はどうなんだ、大丈夫なのか。

でも、こうやって考えてしまう人って世の中には(少数であれ)いるに違いない。そんな人たちと一緒に穴を掘りたい。
集まれ、日本中の穴係。
めざせ、日本の裏側サンパウロ。
穂村さんを「穴係長」に任命したいけど引き受けてくれるだろうか。


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