「自分という演算装置」を100%活かすために。
企画メシ2021第2回、九龍ジョーさんの「伝統の企画」が先程、終わりました。個人的にいちばん楽しみな回だったので(わたしが企画メシを知ったのは、九龍さんのTwitterでした)、終わってしまったなあという寂しさと、刺激的な講義の高揚感がごちゃまぜになっています。思考をぐらぐら揺さぶられるようなお話が盛り沢山だったのですが、特に印象に残った「自分という演算装置」の話と、「真に受けること」について書いておきたいと思います。
「自分という演算装置」
九龍さんが「ヤバいな」と思うのは、「見ている角度が違う」と思わせる人だそうです。「見ている角度」はその人の視点であったり、感性であったり、センスであったりと色々な言い換えができると思いますが、九龍さんはそれを「自分という演算装置」と表現しています。演算装置がしっかりと動いていれば、知識がなくても表現をすることができる、というのはとても腑に落ちる話でした。たしかに、あるひとつのことを極めた人は、他の分野を語る言葉も核心をついていると思わされます。
演算装置の話を聞いて、真っ先に思ったのは「自分には九龍さんのような経験もないし、ましてや何かの分野に特化した専門性もない」ということでした。しかし、池田さんと稲田さんの課題についての九龍さんの講評を聞いていると、あらためて、経験や専門知識が演算装置の重要な要素ではないと気付かされました。わたしもこのお二人を推しに挙げさせてもらったのですが、惹かれたのは伝統芸能を体験して感じたことがその人にしか表現できないあり方で鮮やかに描かれていたからだと思います。
余談ですが、小説家の長嶋有さんが「文学のことを感じ方だと思っている」と書いていたのを、ふと思い出しました。(本気と書いて「マジ」と読むように、文学と書いて「かんじかた」と読む)
何かに突出した人を表現する際に、さっき書いたようにセンスや、感性、もっと言えば才能っていう言葉がよく使われるかと思います。しかし、そうすると「ある/ない」という二分法に陥って「あの人は才能あるから」という言葉で片付けがち。
「演算装置」という表現がすごいと思うのは、そこに複数の要素が見出せるからです。性能の良し悪し(技術的な部分にあたると解釈しています)というのもちろん重要ではあるのですが、その装置がちゃんと十分に働く状態であるか(ストレスがない環境に身を置くことが大事とおっしゃっていました)ということも大切な要素であるとお話されていました。
ここからは、私の解釈なのですが、自分という演算装置にどんな機能があるのかを把握することも、とても重要なのではないかと思います。iPhone絶対使いこなせてないわー、って常々思ってるんですが、自分自身についても自分が認識していない感じ方があるはずで。
「おお、そんな感じ方もできるのか!!だったら、こんなアウトプットできるじゃん!」みたいな発見がきっとあるはず。で、そうやって発見していく過程は「自分という演算装置のマニュアルをつくっていくこと」だと思いました。
「自分という演算装置」において性能はもちろん重要。でも、そのメンテナンスと機能を把握して最大限に活かしてあげることはもっと重要。
これが、講義で得た、最も大きな収穫です。
さらに演算装置って視点から考えると、九龍さんが言っていた「悩んだ時は師匠ならどうするだろうか考える」っていうのは、自分の演算装置に「師匠」っていうソフトをダウンロードして機能を拡張することだよなあとか、いろんなことが浮かんできました。でも、これはあんまりうまい例えではないな。
「真に受ける」
ライターとしても、編集者としてもこれまでに多くの仕事を手がけられてきた九龍さんですが「これまでに作ってきたものは、すべて真に受けてきた」とお話されていました。「真に受ける」は辞書では「言葉どおりに受けとること」とされますが、ここでは企画の内容が自分の思いや思考に合致しているのかが意図されているのだと理解しました。
「真に受ける」ってしんどいよなあと思います。自分に対しては、常に「それ、ホントに本気で言ってる?」って問いかけ続けないといけない。そうやって苦労して作ったものも思ったような評価を得られないことの方が多いかもしれません。
だとしても、こりずにまた「これは自分にしか伝えられないものなんだ」と「真に受けて」作る。そうやって、場数を踏んでいくしかないんだと思います。
これからやるべきこと
演算装置のマニュアルをつくるという作業には2つの側面があると考えています。
ひとつが、自分の内面を掘り下げていくということ。自分が好きなもの、嫌いなもの、苦手なもの、大切にしていることなどを解像度を高めて捉え直していく。演算装置の中身を把握していく作業だと思います。
もうひとつが、自分の外にある、未知のものを見たり聞いたりしたときに「何を感じるか」ということを観察していくこと。いろんな人に会うのでもいいし、これまで関わってこなかったジャンルに触れるのもいいかもしれない(それこそ能とか)。自分の演算装置の動きや反応を確認する作業ですね。
どちらの過程も言語化していくことが重要だと考えています。そのために、これからもnoteに文章を残していこうと思います。ここに書いた文章が「自分のマニュアル」になっていくはずです。
これまで「文章を書くことで何かを表現したい」という思いがずっとモヤモヤしていました。企画メシに参加したことがきっかけで、こうして文章を書き始めることができたのは、自分にとって大きな変化でした。
講義では九龍さんに課題にコメントしてもらったにもかかわらず、緊張しすぎて「そうです…」と「伝わったかどうか(ゴニョゴニョ)」みたいなことしか言えなかったことが悔やまれます。
次にお話するときには、「九龍さん、今、これがヤバいですよ!」って自信もって言えるように演算装置に磨きをかけておきます!!
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