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『長い一日』を読む長い一月 〜15日目〜

滝口悠生さんの連載小説『長い一日』(講談社刊)を一日一章ずつ読み、考えたことや想起されたこと、心が動いたことを書いていく試みです。

一昨日、昨日と夏休みをとりましたが、今日からまた本編について書いていきたいと思います。窓目くんに続いて、今度は大家のおじさんが髪の毛を切りに行きます。「床屋で(一)」。

あらすじ
妻は布団の中で、おじさんがでかけていく音を聞く。おじさんの行き先に考えを巡らせて、床屋かもしれないと思い至る。
妻はおじさんの足取りを、頭の中で追っている。家の近所の駐車場やアパートをおじさんの目を借りて見る。かつてあったお地蔵さんのことを考えているうちに、想像のおじさんは床屋で髪を調えられている。床屋の外では、葉桜を見て、中学生の声を聞く。

半径100mの美しさ
この章では、妻は(実際には布団のなかにいるにもかかわらず)おじさんの目や耳になって、近所の道を歩いていきます。そこで見えるものや聞こえるものは、妻の想像の産物にすぎないのかもしれません。それでも、目に映る「タチアオイの明るいピンク色」や、「葉桜の輝くような緑色」はとても鮮やかな色彩を持っているし、おじさんの髪を調える櫛の音や、床屋の店主がタバコに火を付けるライターの音、校庭から聞こえてくる中学生の声もたしかに耳に響くように感じられます。それにつられて、読み手であるわたしも、その音を聞いた気になり、その色を見たような気になっています。
こういう美しい情景が、家の近所の、おそらく半径100mくらいの場所で展開されているということにもグッときます。

おじさんのこと、夫婦のこと、何を思ってもこの家の周りから延び広がるこの街とこの街の道のことを思う。まるでこの家からならばどこへでもいけるような気持ちに少しなる。この家に暮らすのもあとひと月たらずだ。(p.153)

この章ではこの一節が好きなのですが、こういう文章がおじさんのことを思う日常の何気なさの中に挟まれてくることがとてもいいなあと思います。

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