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僕の野球。⑯〜大学野球編#3〜

日本一への挑戦

大学生として最後のトーナメントである「関西トーナメント」が始まります。

私たちは順当に、東海地区の予選を勝ち上がり関西トーナメントの出場を決めることができました。

関西トーナメントを制することができれば、関西の王者として日本一をかけた戦いに挑むことができます。


代表としての決断

私は1年生の秋から代表として自チームの運営を含む全ての業務を担ってきました。

もちろん、「スタメンを決めること」もです。

これは中々苦しかった。

今までやってきたメンバーに下の学年が加わり、チームとしての底上げを図ることができました。

その分、今まで出ていたメンバーが出れなくなる。

チームとして勝つためにこれは大きな「決断」になりました。


監督がいれば、決めてくれる。

しかし自分たちには監督がいません。

だからこそ、自分が心が痛くなる役目も負わなければなりません。

「チームが勝つために下の学年も使いたい」

ミーティングの中で生まれた結果はこれでした。


幸い、自分たちのチームのメンバーは全員それに賛同してくれて、一致団結することができました。

試合に出ることができなかった同期には申し訳ないという思いも本当にありました。

だからこそ、責任を持って戦おう。

そう誓いました。

関西トーナメント優勝へ

私たちは一回戦と二回戦を順当に勝ち上がり、ベスト8進出を決めました。

そして迎えた準々決勝。

相手は去年の関西王者と激突します。

試合は両者譲らず、ロースコアの展開の1-1で最終回を迎えます。

迎えた最終回ツーアウト2塁のピンチ。

ここを凌げば、次の裏でサヨナラを迎えることができるかもしれない。

そんなことを考える中、相手の4番が放った打球が無常にもレフトの前へ。

そのまま二塁走者が生還し、2-1。

後続は抑えるもの、次の回の裏は三者凡退に抑えられゲームセット。

激闘を制することができず、引退を迎えることになります。


優勝したかった。

あの時のみんなの顔が忘れられません。

それと同時にここまで大学野球で熱くなれたこと、仲間への感謝の気持ちが湧き上がってきました。

ありがとう。

そうみんなで伝えあい、引退を受け入れました。


成長

大学での野球を通じてチームをマネジメントする力、自ら汚れ役を買ってでもチームのために貢献すること。

これは自分にしかできなかった貴重な経験になりました。

だからこそこの学んだ経験を、社会に出ても活かしていける。

そう確信しました。

この経験から私は、

「野球の素晴らしさをもっと伝えたい」

「野球をから学んだことを次世代にも伝えたい」

そう考えるようになりました。

次回、私が指導者を志した理由。
指導者になってやりたいこと。

この点についてお話ししていきたいと思っています。

僕の野球。

長きに渡り掲載してきましたが、拝読していただきありがとうございました!!!

また次回の記事も読んでいただけたら幸いです。

ありがとうございました!


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