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方法|『透明な好奇心』

 それでは次に、この連載において我々が用いる方法について説明する。

 我々は基本的な手法としては、社会学の「質的研究」と呼ばれる方法を用いる。具体的にはドキュメント調査法、参与観察法、自由面接法、そして半構造化面接法である。

 と、このように書いても社会学徒以外には何のことやらさっぱりわからないはずなので、以下、もう少しわかりやすく説明していこう。

 これは、大学に入るに際して積極的に「社会学部」を選んだ山崎晴太郎の思考や思想を理解する上でも必要なことなので、少々寄り道にはなるが、お付きあい頂きたい。

1:社会学のはじまりと二つの流儀

 社会学とは、その名前の通り、社会について考える学問だ。

 この学問が一つの研究分野として成立したのは19世紀の後半のことだから、学問の世界の中では比較的新しい。1000年以上も前から存在していた医学や法学や哲学といった古株から、ルネサンス以降に歴史学や人類学や生物学が枝分かれして、研究分野として一本立ちしていった一連の動きの中でも、かなり後発である。

 だが、オーギュスト・コントやハーバート・スペンサーが社会学を創始する以前に社会というものが地球上に存在しなかったわけではない。当然のことだ。人間の個体と個体が複数存在して、何らかの関係性を持てば、それは現代の社会学の基準では社会と呼びうる。

それが現生人類の間である必要さえ無い。4万年前にネアンデルタール人とクロマニヨン人が何らかの形で交流していた時、そこには生物学的な意味で「人種を越えた」、人間社会が存在していただろう。人と人が関わりを持つということについて考えて、何かを書き残した人物も古今東西、枚挙に暇がない。

 だが、人と人の関わり合いや、人の集まりを「社会」と名付けて、それについて研究しようということを人類が思いついたのは、19世紀も終わり頃のことだったのだ。それまでは、今で言う「社会」に相当するものはあっても、それに対応する名前が無かったのである。

 さて、こうして社会学という学問が誕生したわけだが、社会学者が社会について考えるためのアプローチは二つあった。

一つは人間が経験して確かめられることを基礎にして考えていくというものである。これを実証主義(Positivism)と呼ぶ。

例えば、ある社会集団がどのような条件でどのような行動を見せるかということは、水がどんな条件で気体になるかということと同じように、誰が観察しても結果は同じである。これにより、社会は化学や物理学と同じように、科学的に研究出来るという考え方のアプローチである。もちろん人間の集まりの行動は厳密に再現することが出来ないので、何度でも条件を揃えた実験が出来る自然科学のようにはいかないのだが、統計学の発達により、現代では自然科学にかなりの程度近づいたレベルでの研究が行われている。

もう一つは、他人の経験や行動の意味を研究するために生まれた方法論で、理解社会学(Verstehen)と呼ばれている。例えばある社会集団の成員は食事の際に自分の体に並行に箸を置くのに対し、別の社会集団では自分の体に垂直に箸を置くとする。その経験的事実そのものは誰が観察しても同じであるし、何か別の経験的事実との間に相関関係の存在を仮定し、統計によってその相関関係の確からしさを示すことも出来る。

 だが、そのような研究方法では、「何故、箸をそのような角度で置くのか」「その社会集団の成員にとって、箸を置くことの意味は何か」ということは研究出来ない。そこで、話を聞いたり一緒に同じことをやってみたりして、人々の行動の「理由」や「意味」を探るアプローチである。

 もちろん、社会学者が必ずこの二つのアプローチのどちらかのみを用いるということではない。それは社会学では不可能である。専門的には「解釈の理論負荷性(Theory-ladenness) 」と呼ばれるが、社会学者が何かの社会現象を観察する時、それまでに誰かが考えた言葉や考え方の影響から完全に逃れることはできないからである。

自然科学ではそういうことは起こりにくい。観察者がH2O分子を水と呼ぼうがwaterと呼ぼうがaguaと呼ぼうが、実験結果の解釈が変わることは無い。だが、例えば社会学者が「デザイン」という言葉を使って社会調査をするとき、何を「デザイン」と呼ぶかはその社会学者の使う理論によって異なるし、そうなれば調査結果も異なり、結果の解釈も異なってしまう。

こうした限界がありつつも、実証主義的なものを目指すか、意味の理解を深めることを目指すか、という傾向の違いが社会学の中には存在するのである。

2:量的調査と質的調査

 前節では社会学が宿命的に、「経験の観察による実証」と「意味の理解と記述」の二つの方向性を併せ持っていることを説明した。
この二つの方向性の存在を不幸と捉えるか、幸運と捉えるかは人それぞれである。

ある人は、それ故に社会学は一人前の科学にはなり切れない半端な存在であると嘆く。またある人は、意味の理解という考え方が無ければ生み出されなかったであろう、マックス・ヴェーバーやゲオルク・ジンメル、ピーター・バーガーといった理解社会学の成果を高く評価する。

 ここで重要と思われるのは、山崎自身も写真を専攻していた立教大学社会学部現代文化学科において、こうした方向性の対立あるいは分裂を経験していた、ということであろう。なお、山崎が所属していたのは、この二つの方向性のうち、後者である「意味の理解と記述」を中心とした指導を行なう三浦雅弘ゼミ (*1) である。

 さて、社会学には考え方として「実証」と「理解」の二つの方向性があるが、調べ方としては「量的調査」と「質的調査」という二つの方法論が存在している。それぞれの代表的な手法は「アンケート」と「インタビュー」だ。

アンケート調査は、「この社会集団には、このような傾向がある」ということを実証するような研究に向いている。典型的なのは、次のような流れだ。社会学者が、ある社会集団についての仮説を立てる。次にこの仮説を裏付けられるようなアンケート調査を設計して実施する。そして、結果が仮説を裏付けるものだったか、仮説を裏切るものだったかを検討する。ここでは統計学が、結果の「確からしさ」をある程度まで支えてくれる。

インタビュー調査は、「この社会集団には、このような意味を自らの経験に与えている人たちがいる」ということを理解し、記述するような研究に用いられる。

ここまで説明した上で、冒頭に戻ろう。

 我々が今回、用いるのは社会学の「質的研究」の手法である。

 何故ならば、我々が目指しているのは、山崎晴太郎と彼の率いるセイタロウデザインという会社に関わる人々が何を経験し、それらの経験にどのような意味を与えているのかを理解し、記述することだからである。

 もう少しわかりやすく言い直してみよう。

 例えばこんな状況を想像して欲しい。

 ここはセイタロウデザインの二つある会議室の一つだ。

 山崎晴太郎が3人のスタッフとともにクライアント企業の担当者とのビデオ会議を行っている。山崎の隣に座っているのは、取締役の小林明日香だ。彼女の名刺には「producer」との肩書きも入っている。長年、山崎を支えるビジネスパートナーの一人である。

 セイタロウデザインのスタッフたちの手元のPCには、関連する資料が次々に映し出されている。主に話しているのは山崎と、別の場所にいるクライアント企業の担当者二人だ。ただし、社外スタッフのアサインをどうするかという話題の時には、小林が積極的に発言する。どうやら小林は社外スタッフの選定や交渉の窓口を担当しているらしい。

山崎の向かいに座っている二人のセイタロウデザインのスタッフたちは、山崎に促されるか、自身の持つ情報の共有が必要となると口を開く。

 逆に、山崎は終始、饒舌だ。

 議題に上がっている案件について、次から次へとアイデアを披露し、クライアントの意見を聞き、また別のアイデアを出す。

このミーティングは双方の進捗状況の共有と、幾つかのさほど大きくない意志決定を目的としていたが、2時間に及んだミーティングの大半は、山崎を核としたアイデアの発散に使われているように見えた。

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これが、可能な限り客観的で私見を交えずに記述した、ある日のセイタロウデザインの風景である。

 この記述から何がわかるだろうか?

 山崎が饒舌であること。

 小林がPMBOK(*2) で言うところの資源マネジメントや調達マネジメントを担当していること。

 観察対象となったミーティングの時間の大半がアイデアの発散に使われていること。

 さらに現場の観察からは、セイタロウデザインの会議室のおおまかな大きさ、壁の色、家具、室内装飾についての情報を読み取ることが出来る。

 会議室の本棚には、デザインに関連する文献が整然と並べられている。

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 実測データもある。

 山崎らが囲んでいる長机は長辺が1800mm、短辺が1000mm、天板の高さは床から上面までおよそ720mm。表面は木目のプリント合板。脚部は軟鉄のかなり頑丈なものだ。それが二つ、短辺を接して並べられている。

 これらが、観察によって得られる客観的な事実だ 。(*3)

 だが、こうしたものをいくら読んだところで、「何故、山崎がこのようなミーティングのスタイルを採用しているのか」はわからない。「同席したセイタロウデザインのスタッフたちにとって、このようなミーティングの経験はどのような意味を持つのか」もわからない。

 そこで必要となってくるのが、彼・彼女らにこれらの経験の意味や理由を尋ね、あるいは社会学者自身が彼・彼女らと同じことをやってみるという調査方法である。

 すなわちそれが「理解社会学」であり、「質的調査」なのだ。

3:デザイナーはいかにして本を書いてきたのか

 だが、読者の中にはなおも疑問を持つ者がいるだろう。

 そもそも、何故、社会学という手法を用いなければならないのか?

 この疑問はもっともである。

 これまで数多く出版されてきた、デザイナーによる、あるいはデザイナーに焦点を当てた本の中で、ここまで厳密に社会学の手法を用いたものは、管見の限りにおいては存在しないからだ。

 実は、今回、このプロジェクトを開始するにあたり、改めて国内のデザイナーの著書を見渡してみた。その結果、少なくとも以下の六つのパターンがあることがわかった。

パターン1:エッセイを添えた作品集

 多くは1章が4ページから、長くても8ページほど。冒頭は軽妙な随筆のような雰囲気で入り、少し一般化された命題へと展開し、「私の仕事で言えば……」と続けて著者が過去に手掛けた事例の紹介へと進む。マット紙やマットコート紙を使っている場合は、写真家による洗練された構図とライティングの商品写真が章の末尾に添えられる。

 この形式の本は多い。例えば佐藤オオキ『問題解決ラボ――「あったらいいな」をかたちにする「ひらめき」の技術』(ダイヤモンド社、2015年)や水口克夫『アートディレクションの「型」。:デザインを伝わるものにする30のルール』(誠文堂新光社、2015年)がこうした事例に含まれる。
より割り切った書き方として、マクラにあたる冒頭の随筆を置かない形式のものもある。例えば佐藤卓『クジラは潮を吹いていた。』(トランスアート、2006年)だ。

パターン2:一定規模のプロジェクトに焦点を当てたエッセイ

 佐藤可士和『世界が変わる「視点」の見つけ方:未踏領域のデザイン戦略』(集英社新書。2019年)は好例だろう。この本では佐藤が慶應義塾大学で行っている集中講義「未踏領域のデザイン戦略」について、第1章では講義のコンセプトを示し、第2章では実際にこの講義で制作された成果物の事例紹介と関係者の対談を収録している。第3章では「視点をつかむためのヒント」と題して、佐藤自身の発想法や思考法をエッセイ形式で収録している。

 また、ナガオカケンメイ『ナガオカケンメイのやり方』(平凡社、2008年)は、ナガオカの会社が「D&DEPARTMENT PROJECT」というリサイクルショップ部門を新規に設置し、事業を軌道に乗せていくまでに書かれたナガオカ自身のブログの抜粋だ。

パターン3:エッセイ集

 著者であるデザイナーが様々なテーマについての随筆を書き、まとめた本である。

 原研哉『デザインのデザイン』(岩波書店、2003年)、『日本のデザイン: 美意識がつくる未来』(岩波新書、2011年)、『白百』(中央公論新社、2018年)、吉岡徳仁『みえないかたち ~感覚をデザインする』(アクセス・パブリッシング、2009年)、内田繁『普通のデザイン:日常に宿る美のかたち』(工作社、2007年)など、これも非常に多い形式である。

パターン4:対談

 著名デザイナーが誰かと対談するという体裁の本である。

 例えば最近では「くまモン」などのデザインで知られる水野学とライターの山口周との対談『世界観をつくる:「感性×知性」の仕事術』(朝日新聞出版、2020年)が、1冊全て対談で出来ている。この他、佐藤オオキが17人のデザイナー(隈研吾以外は全て外国人)と対談したものを集めた『ネンドノオンド』(日経BP、2019年)、原研哉と阿部雅世の対談集『なぜデザインなのか。』(平凡社、2007年)などなど、類書は数多い。

パターン5:デザインの方法論の解説

 もちろん、対談やエッセイ形式の本しか無いというわけではない。

 例えば西澤明洋『ブランドをデザインする!』(パイ・インターナショナル、2011年)では、西澤の会社であるエイトブランディングデザインが用いている「フォーカスRPCD(*4) 」という手法について、その適用領域を第1章で示した後に第2章で方法論の概観を行い、第3章では個別事例における「フォーカスRPCD」の活用例を具体的に解説している。

パターン6:デザインの基礎となる諸理論を論じたもの

 代表的なものとして向井周太郎『デザイン学:思索のコンステレーション』(武蔵野美術大学出版局、2009年)をここでは挙げておく。
この本は向井の最終講義の内容をもとにしてまとめられたものであるが、冒頭で論じられるのがチャールズ・サンダース・パースの記号論で、ロマン・ヤコブソンやイマニュエル・カント、ジャック・デリダへの言及も見られる。続く章はバウハウスを論じたもので、ヴァルター・グロピウス、ヨハネス・イッテン、パウル・クレーによる思想の交錯からヨーゼフ・アルベルスとラスロー・モホリ=ナギによる「基礎教育課程」の創始に至るプロセスの読解である。各章の末尾には出典注があり、巻末には長大な参考文献の一覧がある。

 以上が我々が考えるところの、デザイナーが書く本の代表的な6つのパターンである。

さらに細かく見れば、西澤の本の第3章はパターン1の作品集に近いし(使用している紙もマット紙で、美しいカラー写真が多数収録されている)、プロジェクト関係者による対談や鼎談が幾つも収録されているという点では、パターン4と共通する要素があるとも言える。

 別の視点から見れば、デザイナーによる本は「作品紹介」「対談・鼎談」「エッセイ」「方法論の解説」「基礎理論の検討」の5種類の内容が主である、ということも出来よう。

4:普遍と永遠への欲望の表出

 さて、面白いことに、今回調べた限りではここに上げた6つのパターンのうち、先行する研究者や思想家の議論に依拠した(広く知られた表現を用いるならば「巨人の肩に乗る」)文章が収められているのは、パターン6として示した理論書だけである。

他のパターンでも、他のデザイナーや建築家の名前が若干挙げられることはあるにせよ(*5)、個々の文献まで言及して、そこで行われている議論を掘り下げたり、あるいはそれらを架橋するような思考のありようを探ってみたり、ということは無い。

あくまでもデザイナーが自分の生活や仕事の中で出会った気づきをきっかけに、いくばくかの思索を展開するのみだ。

 何故そうなるのか、ということは本稿の考察対象ではない。
だが、そうであるものとそうでないものの違いであれば、指摘出来る。

 先人による議論を丁寧に紐解き、それらに接続する形で展開されている思考は、それが人類がこれまでに蓄積してきた膨大な知の中のどこに位置づけられるものなのかを、誰でも然るべき手続きによって把握することが可能だ。

たとえば向井の本の409-410ページを見てみよう。そこには、この本を書くに際して向井が参照したパースに関する文献が、パース自身の論文集も合わせて10件、示されている。それらのうち最も新しいものは米盛裕二による『アブダクション:仮説と発見の論理』(勁草書房、2007年)である。
つまり、数え切れないほどあるパース論の中で向井が依拠したものは何か、そしてどの時点のものまでなのかが、この2ページに掲載された情報によって把握出来るのだ。

それらがどのような意味を持つのかは、それらが無い場合を考えてみればすぐにわかる。

もしもこれらの情報が付記されていなければ、我々が向井の思考をトレースする際に、パースにしろヤコブソンやカントやデリダにしろ、彼らに関する最大公約数的な議論を参照することしか出来ない。となれば、読者による向井の思考のトレースの精度の上限は著しく落ちるだろう。

だからこそ研究者は、自身の書く学術的な文章には可能な限り精密な注と参考文献をつけたがる。精度のために。

これは、言ってみれば普遍性への欲望のようなものだ。

 あるいは、永遠への欲望。

 自らの書いた文章を普遍性へ、あるいは永遠へと接続したいという欲望。

 極めて著名な文学作品や有力な宗派宗教の文書を除くと、文書や文章がそれ単体で普遍性や永遠性を持つことは稀だ。その理由は簡単で、それらの文書や文章が他の文書や文章に対してどのような関係にあるのか、不明確だからである。それらの文書や文章の中に記述された内容は、他の文書や文章へのリンクが示されていない限り、4000字なら4000字で書けること以上の内容は含み得ないし、それが書かれた瞬間という、歴史上のある一点を遡ることも出来ない。

 ところが、注と参考文献が適切に示されていると、その文書や文章は空間と時間を易易と超越する。向井の文中に登場するパースにしろカントにしろモホリ=ナギにしろ、論者によってその読解は異なるわけだが、誰のどんな読解に依拠しているのかが示されていれば、本の読み手は目の前にある文章と、その文章が依拠した別の文章の間に、リンクを設定することが出来る。

 そして、そうしたリンクが多ければ多いほど、目の前にある文章の人類の言説空間内での位置づけは、精密となる。無数の既知の点との関係を用いて未知の点の座標を取得する、交会法(Intersection/Resection)の測量(*6) のようなものだ。

 こうして既存の言説空間内の既知の諸座標に対する精密な座標が与えられた文章は、別の既知の点へのリンクを辿り、また辿ることで、およそあらゆる方向へと関連性の環を繋げてゆくことが出来る。パースやカントからは古代ギリシアの哲学者たちへも、中世のキリスト教神学者たちへも、近世の思想家たちへも環が繋がっているだろう。

 また、そのようにして無数の既知の点との関係性の中に精密に位置づけられた文章は、未来においてもその内容の理解が容易である。

 わかりやすくするために、一つの喩えを出そう。

 ここに一人のデザイナーがいる。

 彼または彼女は、自分の作品を一つ取り上げ、それを作るに至った経緯や、それがいかにして同時代に受け入れられたかを記述する。

 この文章の鮮度は、発表された瞬間が最も高い。彼または彼女と同じ時代、同じ社会を生きた経験を持つ者が無数に存在するからだ。現象学的社会学の創始者アルフレッド・シュッツの言葉では、このような人々を同時代者(Nebenmenschen/Contemporaries)という(*7) 。
しかし、時が経つに連れて、その文章が書かれた文脈を知る同時代者は減り、いつかは一人もいなくなる。この文章を我々が書いている2020年10月には、既にレオナルド・ダ=ヴィンチが生きた時代を体験した人が一人も居ないように。

 かくして一人のデザイナーが書いた文章が「誰でも知っているはず」の前提としていた情報は失われ、その文章は年ごとに理解し難さを増してゆく。それが極めて重要な文書であれば、研究者による豊富な注解も付け加えられよう。レオナルド・ダ=ヴィンチ手稿はその好例だ。しかしながら、ほとんどすべての文章は、そうならない。ただ、見向きもされなくなって忘れられるだけである。

 だが、例えば彼または彼女が同時代の社会状況についての信頼出来る文献への参照を、自分の文章に二つなり三つなり書き加えていれば、後世の読者はそれらの文献との位置関係を手がかりに、彼または彼女の思考をより正確に追うことが出来よう。

 研究者はそれを知っている。

 だから、普遍と永遠に自らの文章を接続しておくために、参考文献と注にこだわるのだ(*8) 。向井周太郎もおそらくは、それを意識していただろう。

5:何故、社会学なのか

 さて、ずいぶんな遠回りをして再び我々はこの問いに戻ってきたが、ここに至っては「何故、山崎晴太郎の本はこれらの先行する諸形式を採用しないのか」という問いも派生していると言えよう。

 もちろん、以上で見た六つのパターンによるデザイナーの本が、いずれも興味深い内容であることは、改めて言うまでもない。
それを再確認した上での話であるが、我々の目的は、山崎晴太郎という人間の現時点でのありようを、出来るだけ全体的に、なおかつ出来るだけ客観的に把握し、記述し、それが何を意味しうるのか考えることである。
すなわち、これはデザインの話ではないし、アートの話でもないし、ビジネスの話でもない。おそらくは人生論でもない。

 単に、西暦2020年という時間を生きる、ある奇妙な人物のありようの記録なのだ。

 この奇妙な人物の仕事の進め方が人々に広く注目され、記述されるべき価値を備えているということも、我々は当然の前提とはしていない。
これまで本節で見てきた諸々の本との違いは、そこにもある。

 ある本がビジネスとして出版されている以上、そこには、その本の内容が対価を取って頒布されるに足る価値があるという信念が存在していなければならない。でなければ編集会議を通らないし、経営者は出版を決断出来ない。だから、デザイナーについての本であれば、そこには、「このデザイナーは人々に広く注目されるに足る価値を備えている」という信念が必ず存在している。

 一方の我々は、その前提すら保留にしている。

 このプロジェクトを根本的なところで駆動しているのは、何よりも山崎自身の「自分のありようをより全体的に、より客観的に理解したい」という欲望である。自分を知りたいという欲望だ。

 こうした欲望の充足という目的に照らし合わせたとき、完成し世に出た作品を集めること、山崎自身がデザインやアートについての随想を書き綴ること、誰かと対談すること、成功したプロジェクトの経緯を提示することは、もしかすると必要なことかもしれないが、それで十分とは言えない。

 何故ならば、それらは全て成功し世に出ることを許されたものであり、また/あるいは、山崎の意識が対象化することが出来たものであるからだ。そこからは、失敗し世に出ないまま消えていったもの、山崎の意識が対象化していないけれども山崎の活動の必要な一部であるものは、失われている。

 だからこそ、敢えて我々は社会科学の方法論を用い、記述と理解の対象として山崎晴太郎を調査することにしたのである。この方法論を用いるならば、成功と失敗は等しく観察され記述されるべき対象となるし、山崎が意識していないものも、調査者によって意識されることが可能となるからである。

 こうして観察され、記述された、とある奇妙な人物のありようについては、本プロジェクトの後半で、本人である山崎晴太郎を交えての解釈と分析を行なう予定である。この段階では、山﨑の書棚にある膨大な文献が呼び出され、議論に接続されることになるだろう。
ただし、それが唯一の正しい解釈と理解ではないことも、予め指摘しておく。

 とある奇妙な人物についての解釈と理解の可能性は、これより後のあらゆる時代と場所に生きる人々に対して、等しく開かれている。それは我々の希望でもある。あらゆる時代と場所に接続出来る、Universalな、普遍的な情報を残しておくこと。

 そのための社会学でもある。

6:調査期間と方法

 このプロジェクトの調査を開始したのは2020年6月18日からである。

 フィールド調査を行っているのは加藤晃生で、セイタロウデザインの社員には初日に調査目的と方法を説明している。

 加藤はセイタロウデザインのオフィス内を、一部の極秘案件を除き自由に観察し、撮影・測定・録音・録画を行っている。また、必要に応じてクラウド上の各種内部資料へのアクセス権も付与されている。

 加藤がセイタロウデザインのクライアント企業とのミーティングに同席する場合には、セイタロウデザインを対象とした学術調査を行っている人間とだけ説明し、加藤はミーティング中には一切発言しない。またセイタロウデザインが担当している諸案件についての感想や意見も、ミーティングの前後においても一切口にしない。これは調査者が調査対象に与える影響を最小限にするためである。

(*1) 興味深いことに、山崎の指導教員であった三浦雅弘には、前者の思いもあったようである。加藤は三浦が立教大学を退職した際、そのような述懐を直接、三浦から聞いている。
(*2)Project Management Body of Knowledgeの略。プロジェクトマネジメント協会という団体がまとめている、プロジェクトマネジメントの標準的な手引書。
(*3)もちろんこれらの記述の中には「整然と並べられて」「あまり発言しない」「かなり頑丈な」というように、社会学者の主観が既に入り込んでいる。これらは「解釈の理論負荷性」の実例として、敢えて残してあるものだ。
(*4)RPCDはそれぞれResearch、Plan、Concept、Designの頭文字。フォーカスRPCDは、この順序での作業を行いつつ、常に「他者との差別化が可能となるポイントに狙いを絞り、戦略を立てていくこと」(西澤2011、26ページ脚注3より)とされる。フォーカスとは、この「狙いを絞る」を表わしているという。またこの方法論におけるリサーチは市場調査だけではなく、既存競合商品の「つくり手の気持ち」を推察する「デザインリサーチ」という工程を含んでいる点に注意が必要である(同前)。
(*5)例えば原研哉『デザインのデザイン』(岩波書店、2003年)の第1章など。
(*6)既知の座標からの方向および、それら2本の方向線に挟まれた角度を求めることで未知の点の座標を算出する測量法。使用する既知の座標が多ければ多いほど、精度は上がる。文書に添えられた参考文献表は、既知の座標の一覧のようなものである。
(*7)日本語で読みやすくまとまっているのはシュッツの『現象学的社会学』(紀伊國屋書店、1980年)の第10章1節「間接的関係―同時代者たち」で、特に221ページと238ページに、本稿での議論に直接繋がる思考が展開されている。
(*8)面白いことに、ポール・ランドの本の中には作品集形式でありながらも、多数の出典注を持つものがある。ポール・ランド『ポール・ランドのデザイン思想』(Space Shower Books、2016年)など。また『ポール・ランド、デザインの授業』(ビー・エヌ・エヌ新社、2008年)では巻末に膨大な推薦図書一覧が添えられている。独立前の山﨑は、後輩のデザイナーたちに、入社祝いとしてこの本をプレゼントしていたという。

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