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生涯の信仰の軸「孝情心」

先日、大学生からこのような質問があった。
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Q. "信仰の軸"とはなんですか?
また"信仰の軸"を持つにはどうしたら良いですか?
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信仰の軸か…と思いつつ思うままに返答をしている自分に気がついた。
以下の内容はその時に返信しながら思った事をまとめたものである。

1.信仰の軸とは…

最近の人には馴染みが少ないかもしれないがコマで例えるとその中心軸が思いつく。この私の世代でも少ないと思うが幼いころ私は父からナイフの使い方などを教えてもらったことがある。自動の鉛筆削りもあったが鉛筆をナイフで削ったりするのが楽しかった。その手先の器用さは兄とは違い弟の自分が受け継いだようだ。

ある時、自宅の前の道路沿いに植えてあったプラタナスの木を伐採していた。その木を削って父はコマを作ってくれたことがある。あまり見たことのないコマの形だった。今となっては懐かしい思い出の一つになっている。

時が経っていずれ私にも子供が出来、自宅近くの公園で桜の木を伐採していたのでその時のことを思い出し子供たちの喜ぶ姿が見たくて「よ~し作ってみよう」と思い立ち、家に持ち帰ってその木を削り始めた。桜の木を削った時の香りはとてもいい匂いがした。普段の目まぐるしい生活の中でまるで森の中にいるような感覚になったことを覚えている。

久しぶりに慣れないナイフを握って木なんか削ったせいか指にマメが出来て痛かった。途中、コマを作るという目的からいい香りのする木を削るという事に動機がずれそうになったが、仕事を終えてからのわずかな時間で数日で何とかコマは完成した。

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父が作ってくれたものに比べれば小さくて形はいびつであったが子供たちも珍しさに喜んでくれたので目的は一応達成したようだった。しかし何回か回してみてもそのコマのブレは止まらないので満足がいかない。中心がしっかりと立っていなかったことが原因だった。

どうにか削りなおしてブレないようにはなったが、「軸」と聞いてこの時のことを思い出したのだ。コマの「軸」は中心からズレてはいけない。そうしなければコマは長くは回らずブレて倒れてしまうという事…。

私は「信仰の軸」とは「動機」であると思う。この動機が少しでも自分という動機にズレてしまうと、たちまちブレて倒れてしまうのだ。自分だけを中心に事を回そうとすると何事も難しくなっていく。それは自然の法則がそうなっているからだ。太陽系は太陽を中心に回っている。自然界は中心がはっきりしているのだ。人間だけ中心が分かっていない。それは人間が堕落したからであると原理は教えてくれている。

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「軸」がブレずにうまく回るようにするには必ず中心を立てなければなならない。「信仰の軸」といったとき、信仰の対象は神様であるから人間にとってその動機の中心は神様である。だから「信仰の軸」は神様を中心に動機を立てればよいのだ。

2.信仰の軸を立てるには…

その神様を教えてくれているのが原理である。その原理が分かると神様が置かれている立場やいかなる気持ちを持たれていたのかがよく分かるようになるのだ。しかし、ここまでの理解はあくまでも知的理解だけに留まるので「信仰の軸」を立てることは出来ない。

ではどうすればよいのだろうか。それは追体験、実体験というものがどうしても必要になってくる。知的に理解したものが本物かどうかを体感、経験して身体で一瞬でもいいから味わってみる事だ。

その気持ちを味わえば味わうほど神様を近くに感じ親しくなっていくものである。またその苦労や苦痛を味わうと親である神様に対して自分の中に何か抑えがたい湧きあがってくるものがある。それが親孝行心だ。苦労や苦痛を味わったものでしかそれは分からない。それを長い歴史の間、幾度となく味わって来られたのだ。このような神様に対して「何かしてあげたい」といった抑えることが出来ず湧きあがってくる親孝行心こそ「孝情」であるといえるだろう。

神様に対する親孝行心…この「孝情心」が生涯の「信仰の軸」となるのである。

ま、そんなことを思いながら思いつくままに返答をしていた自分がいた。


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