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恥ずかしいと感じることから、進歩は始まる

野村 克也 氏の「ことば」

 先週に引き続き、誕生日シリーズです。今日6月29日は、今年2月に亡くなられた野村 克也 さんの誕生日(1935年)です。プロ野球選手、そして監督として活躍され、「ノムさん」としてテレビにも多く出演された方です。東北楽天ゴールデンイーグルスでも2006年から4年間に渡って監督をされていたので、生徒の皆さんもよく知っていると思います。
 ノムさんは、選手としても多くの偉大な記録を残してこられた方なのですが、そうは言っても彼が選手として活躍していた頃の時代には「王 貞治」「長嶋 茂雄」という大スターがいたため、常にその二人と自分を比較しながら劣等感を抱き続けていたという話はよく聞くものです。監督になってからも、いかにも王道の名監督という振る舞いではなく、ボソッと鋭い憎まれ口を発して注目を浴びるようなスタイルで、ある意味で大スターたちの敵役としての野球人生を送ってきた人です。
 そんなノムさんが、選手としても監督としても素晴らしい活躍となった理由として、彼が技術そのものだけでなく、データや相手との駆け引きなど頭を使った努力を多くしてきたからだと言われています。「ID野球」と言われるノムさん独自の野球に対する考え方は、本当に多くの監督・選手に影響を与えるものになりました。
 ノムさん自身の紹介はここまでとして、今回紹介する「ことば」を。

恥ずかしいと感じることから、進歩は始まる

「野村の哲学ノート「なんとかなるわよ」」(ベストセラーズ、2018)

 これは、ノムさんが1980年に現役選手を引退した際、残した言葉です。大人も子どももそうですが、自分が何かを出来なかった時や失敗した時に、それを嬉しく思う人はいないでしょう。「クッソー!」と悔しんでみたり、「はぁ…。」と落ち込んでみたり、その時・その状況によって色々な反応になると思います。でも、大切なのはその後です。感じた恥ずかしさをバネにして、必死で努力することができるかによって、その経験がただの無駄になるか、自分の糧になるかを左右します。
 ノムさんはこのことについて、こう述べています。

 大の大人にもなって恥を経験することは屈辱的であり、精神的にもマイナスに働きかねないだけに、できれば避けたいところだろう。しかし、恥と思わないのは論外として、そこで決して逃げるのではなく、「なにくそ!恥をかいた分以上のものを絶対に取り戻してやる!」と自分自身を発奮させる。そして、その恥ずかしさを打ち消すために、・・・(中略)・・・
 思えば、野球エリートとは正反対の無名の選手であり、テスト入団を経て、辛うじてプロ野球の世界に入れただけの私は、他の誰よりも不器用だった。プロ野球選手として当たり前にできるはずのこともなかなかこなせないことから、絶えず恥の意識を背負いながら、プレーをしてきた。

「野村の哲学ノート「なんとかなるわよ」」(ベストセラーズ、2018)

 最初から何もかも出来てしまう人・誰にも負けずにやってきた人は、きっと「恥の意識」を背負う経験が乏しいはずです。そういう人を否定するわけではありませんが、どうせだったら失敗や敗戦からもプラスに転換できる強さを持ちたいですし、前向きな心構えでありたいものですよね。

『恥の意識』を経験する

 私自身の経験を振り返ると、この「恥ずかしいと感じることから、進歩は始まる」という考え方には、大大大…納得です。例えば、授業中に指名されて焦った経験、間違った答えを指摘されて赤面した経験、みんなが出来ている中で自分だけ出来ず大汗をかいた経験…などなど、学生時代に『恥の意識』を抱いた瞬間は、10年・20年以上経った今でもハッキリと覚えています。それほどまでにインパクトのある瞬間なので、悪く言えば『トラウマ』なのでしょう。心が弱っている時には、それを思い出してマイナス思考になったり精神的に崩れてしまうかも知れません。けれど逆に、その時に感じた「恥ずかしい!」という想いが、自分を駆り立ててくれたことは確かだったと感じるのです。
 もちろん、周りが過剰にそれを責めたりしつこく指摘したりすることは、あまり望ましくありません。大切なのは、自分自身が「わっ、恥ずかしい!」と感じ、同じ想いをしないように必死で努力することです。

 皆さんの学校生活でも、そういう瞬間はそれぞれに起きているのではないでしょうか。例えば、パソコンのタイピングを練習しながら、「〇〇さんはどこまで打てた?」と聞かれるのも、周りに聞かれていることにプレッシャーを感じる人がいると思います。そう、それも大切な『恥の意識』。数学の問題演習で、指名されて黒板に答えを書いてみる。でも、ちょっとしたミスで×にされて、「やってしまったー!」と思った人もいると思います。そう、それだって大切な『恥の意識』。集団生活を送っていると、そういう瞬間って案外あるものだと思います。

 しかし!!!ここで一つ、そんな『恥の意識』の経験を奪ってしまいかねない、現代社会のキーワードがあります。それは、【多様性】という考え方です。流行り言葉のように「ダイバーシティ」と英訳されるこの【多様性】とは、簡単に言えば『あっ、そういう人もいるよね。いろいろあるよね。』という捉え方ですね。もちろん、それはそうなのですが…、どうやら最近ではそれを逆手にとっていたり、それに守られすぎたりしている人が目立っているのも確かです。では、以下の例について考えてみましょう。

① ピンク色の服を着ている男性
→ ファッションは個性だし、今の時代はピンクみたいにカワイイ色の服を着る男性もいるよね。多様性が認められているもんね。

② 言葉遣いが大人びている子ども
→ 決して間違った言葉遣いではないし、むしろ大人になってからはそれが普通になるわけだし。今は子どもっぽさが少しないけれど、そういう育ち方もあるよね。多様性が認められている時代で良かったね。

③ 授業中に立ち歩く生徒
→ 授業の受け方も、昔みたいに一方的に話を聞くだけではなくなったもんね。ジッと人形みたいに座っているだけよりも、授業中に自分の想いを抑え込まずに喋ったり歩いたりしていた方が自然だよね。多様性が認められている時代だから、・・・?

 そう、おそらく多くの皆さんは、③だけは『えっ!?』となってくれるものだと信じています。私は、まさにその③だけは『いやいや、違うから!!』と全力で否定したい人です。個性とか多様性とか自由とか、そういうものを認めることは別に悪いことではないと思いますし、むしろ良い面もたくさんあると思っています。でも、それと”マナー”とか”ルール”とか”モラル”というものを破ることは、違うのかなぁとも思います。
 身の回りで起きていることについて、皆さんなりにもう一度『えっ!?』と感じるものがないか、振り返ってみてください。楽しいとか面白いというものでごまかされている言動があったら、それに対しては周りが全力で『えっ!?』という空気を発してあげることも大切です。その『えっ!?』の空気が広がることで本人に『恥の意識』が芽生えることにもなりますので。

自由とわがままとの境は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり

「学問のすゝめ」(福沢 諭吉)

 自由なのか、わがままなのか。その違いで『えっ!?』の空気を発するか・発しないかは判断しましょう。他人の妨げになっているのなら、立派なわがままですので。

Thank you!!