変えようとしない、ということ。

僕は、どうしても母の受け付けることができない点がある。

それは、水回りがとてつもなく汚いところだ。どうしても、すぐ放置。今日はとくにごみ屋敷の様相を呈していた。

今日はあまりにも見かねて、全て掃除したのだけど。

得られる"なにか"

さて、そんな母のことを責めるのは簡単なのだと思う。でも、ふと友達に言われたことを思い出した。

「せいちゃんはいい旦那さんになるよ。皿洗いしてくれるから。」

友達の家でご飯を作ってもらった後、お皿を持って行って洗おうとしたときの話だった。それを家の台所で皿を洗いながら思い出した僕は、気づいた。

母が台所掃除が苦手だったからこそ、自分が皿洗いをよくするようになったということ。そして、それが将来家庭を持つ時に、奥さんや子どもを楽にするということ。

そう考えると、お母さんの件もなんだか感謝がこみあげてきた。

そして、皿を洗いフライパンを洗い片付け、ごみを分別する手に力がこもった。

「これはお母さんだけの取り組みじゃない。この事象を通して自分も修行させてもらってるんだな」

これが今回の大きな気づきの一つである。

例え一瞬嫌だと思ったとしても、その人がそうであってくれたことで、得られた"なにか"がある。

そうすると、感謝こそすれ、変えようという気は起らなくなってくる。

変える時は、一緒に関係性を変える

その気づきと共に、お母さんに感謝を伝えたら、お母さんの反応が変わった。いつもだったらまだ使うから、、という理由で捨てられない台所の無駄なものを捨てる決心をしてくれた。

なるほど、今まで幾度となくループして同じ状況を生み出していたのには理由があったかもしれない。僕が変わることが大事である。これは憶測だが例えば、俺があまりに感謝を示さないから、母もすぐに片付けるモチベーションがわかなかったとか、困っていると言っても、僕もそこまで真剣に片付けなかったから本気だと思ってなかったとか、、、いろいろあるかもしれない。なんにせよ、母がそういう状況だったのは、僕にもループを作りだす要因の一端があったのかもしれない、ということ。

相手を変えようとして、相手にダメ出しするのは簡単だ。でも、それでは相手を責めているだけで、相手は罰を受けている状態になり、喜びからの行動は生まれ得ない。

何かを変えたいとき、それは相手に対してだけいうのではなく、自分の行為と一緒にその"関係性"、つまり、ループ構造を変えていこうとする努力をする必要があるのだろう。

今回、姿勢として、自分が相手への態度を、いやいやから感謝に変えていったら、相手も期せずして変わっていったという事態になった。

こうして、相手を変えようとせず、相手に感謝をすると、逆に変わっていくきっかけとなるのかもしれない。

これも、一つの相手のありのままを受け取るという行為なのかもしれない。

僕が作りたい世界である、「受け取りの循環する世界」という世界観に一歩近づいた気づきだった。

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