メモ『意識としての自己』梶田叡一

〈自分探し、自己探求の意味〉

〈私とは〉

・デカルトにとっての「私」→考える働きそのままのp18
・ウィリアム・ジェームズにとって「私」。我がこととして考えざるを得ないもの(自我関与の及ぶ領域)p21
・梶田氏の「私」→自分自身を「私」とする意識
「時間の流れの中に一貫して存在し、今日まで継続的に発展展開してきたもの」という意識を持ち、私」の利益を将来にわたって発展させていく。
つまり
→自分自身を私とする意識であり、私というこだわりそれ自体である。
→私とする意識は、個人史的な記憶の一貫性により支えられる
〈私の主人公は「私」か?〉
・大きな存在(一般者)が、「私」において考え、願い、行動するとか??
→そうすると、内的な促しに導かれて、縁を大事に、自然体でやる。自然としての内的欲求や衝動、感覚や感性といった内面世界の探究を深めていくとなる。
・経験があって初めて個人があるのでは?

〈意識を支える基本的な体験様式〉

by ヤスパース

①能動性
→自分の活動を自分がやっていると感じるといった体験、意識
②単一性
→自分をひとつの纏まった一つの存在であると感じる体験、意識
③同一性
→今も昔も、自分はいつも同じ自分であったという感覚、意識
④外界への対立性
→自分をはっきり境界を持つものであって、他や周囲の事物を「自分では無いもの」と感じる体験、意識

by 梶田

①自我同一性
→私は時間や場所を超えて一貫して「私」自身である
②自由意志
→自分の意志と決断で行為し、統制している
③私秘的内面世界
→誰にも知られない内面世界があり、これが主体性、自立性の中心

〈位置付けのアイデンティティ・宣言としてのアイデンティティ〉p80

①位置付けのアイデンティティ(受動的)
→外から見た私として。「あなたは◯◯」
(社会的ラベルに関する周囲の期待によって形成される)
②宣言としてのアイデンティティ(能動的)
→自分視点の自己のあり方
(自分の自分に対する欲求や願望、意志の現れ)
・この不一致が多様な社会では起きやすい。
・どのように見られるかばかり気にすると、本来の自分を発揮することも困難となる。p84
・宣言としてのアイデンティティとは、言いたいこと、やりたいことを傍若無人に打ち出すことではない。自分自身の本源に根ざす何かを明確にし、大事にし、発展させていくとしても、周囲との絶えざる対話の中で、周囲に分かってもらえる形を追求しつつ、やっていかなくてはならない。(宣言アイデンティティは独善性やナルシシズムと裏腹)
・自己意識は位置付けのアイデンティティに、宣言アイデンティティによる選択作用が働く。
・他者との接触により、「一般的他者のまなざし」(自らによる)を自らに内面化する。これにより多くの行動を自身で規制してしまう。p88

まなざしに葛藤を感じる時の対処p91

①自己概念に沿うよう、まなざしを変化させるべく働きかける
②自己の在り方を行動から変化させ、まなざしと調和
③自己意識を、周囲に同調させる形で、自閉する。
④自己意識とまなざしの関係を断ち切る
・人は常に自分に対して意味づけ、価値付けをしてくれる他者をおく。
没我的な充足感
・その反対がアパシー、自己不全感、自己不充足感。(無感動、無関心、無気力)

・人生は一人旅である。(誰にも共有できない)
・相手の経験世界と自分のは違うのだから、まるっきり一緒とはならない
他人の内面世界を理解すること
・相手の内面世界の枠組みを知る必要。
→枠組み=態度や行動の意味づけ、

内的世界=「私」の意識世界のみによって捉えられている世界
外的世界=「私」と「他者」の意識世界との交錯のなかで相互に確認し合い支え合いつつ捉えられている世界

個性や人格=内面世界
行動や態度は、内面世界によって規定される

・人が生まれ育つ中で、1つの独自な世界が誕生し、広がり、深まる。死ぬ時、1つの独自な世界が消滅する。
・それは、川面に浮かんでは消え、浮かんでは消えしている泡のようなもの。

〈私の世界と他の人達の世界〉

・私たちは、一人旅である。同時に、他人もまた一人旅であることを理解する必要がある。
・どこにもみんなの世界(三人称的世界)はない。

誰の世界を重視するか?

〈第一段〉
・自分の世界が全てと思う(自己中心的)から、そうではないと思うようになって来た時のオプション。

〈第二段〉
①私の世界への呑み込み
→他の人がみてるのは不十分であって、目覚めれば自分のように見えるはずだ。
②あの人の世界への没入
→あの人の見ている世界が絶対。自分自身が見る世界はどうでもいい。
③皆の世界への合流
→世の中の人が一般的にどう見ているか、ということが大切

〈第三段〉(自分自身の内的な意味感に支えられる)
⓪各自の多様な世界を認める
→3つの世界が異なるのは当然。
それぞれの内的論理の理解に努める。
→違いの認識を組み込み、より深く広い「私の世界」の構築を目指す。
お互いに橋をかけるべく、コミュニケーションを促進させる
※三段が一人に共存することもある
相手の世界を意識するとしても、同時に自分の中の固有の実感・納得・本音の世界を強く対置することを怠るな。

自分にピンとこなければ、ワクワクさせるものでなければ、どんなに評価の高い音楽も無益。
相手に合わせるといつのまにか、自分にとっての真実が見えなくなってしまう。自分の感性を捨て、他の人々の言うことを自分の感性の代用品にしてしまう。p136

→自分を持ちながら、人と関わろう。
自分が依拠するものが、外側のものか、内側のものか、常に検討していくこと大事。

〈アイデンティティ形成と探求を巡って〉

アイデンティティ形成の社会的側面

・周囲から一貫して扱われる
→多様なラベルを外から貼り付けられ、それに相応しく生きていこうとする。p152
→ここで生きていくのが上でいう第二段階
・ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
→一次集団と二次集団の中でのアイデンティティを持つのは分けて考えるべき。

〈主体的アイデンティティ〉
位置付けアイデンティティ

位置づけ(+宣言として)

宣言として

位置づけを変えていく
(※貼られたラベルを、自分の実感、納得で考え直す)

〈主体的アイデンティティの水平と垂直の拠り所〉

「不審の花ー利休におけるふたつの志向」(1971、尼ヶ崎)
・人がアイデンティティを深い所で意味づけする時に①垂直と②水平のふたつの軸がある。
①垂直の軸
→真美善聖など、絶対的ななにかに触れることで、自分に意味感を持つ軸。⇔無感覚無感動
②水平な軸
→人との関係の中での充実感、意味感。
⇔孤独感、無関心感

※これらを満たせないと、実存的空虚


〈前・超・脱アイデンティティ〉p170

①前アイデンティティ
→「私は◯◯」を全く考えない状態
②超アイデンティティ
→私なんてだれでもええやん、という状態
→大きな生命の流れへの気づき。
(私が何者かや、宣言アイデンティティもある)
内的な促しによる生き方。

しかし、それはエピソード。泡の色付け
③脱アイデンティティ
→無我夢中で、自分などが介在しない状態

〈困ったアイデンティティ〉
・外からと思っくそかけ離れたやつ
・外からだけで作られたやつ。
→肉付きの仮面。仮面を付け替えすぎて、混乱の状態

自己内対話の機会の不足。p178

〈〉
・内的なエネルギーが出てくるか。
→ただラベルを貼り付けて満足するだけではダメ。

・アイデンティティの機能
→自分を壊さないため

・リンヴィル、ブリューワー曰く「自己概念には色々な領域があって、簡単には統合しない方がいい。いくつもの卵を1個のバスケットの中に一緒に置くようなもの。」
(ストレス拡散機能)
→(それを何となくつなぐものを知れればよい)


アイデンティティをみるとき


〈従来のアイデンティティで適応できなくなったら?〉

・自己の本然的なものと接触していたら、アイデンティティの組み替えをする必要はない。
→社会的な枠組みの中での自分の位置や意味を相対化して、社会的なものに影響されない自己との、本然的なものとの接触をしていく
(本然的なものとの接触がなされるのは、危機の時)(社会的に上手くいってると、しない)
・しかし、社会的カテゴリーを中心としてアイデンティティを作ると、世間からのまなざしでアイデンティティを組み替えなければならない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?