見出し画像

手帳や日記の振り返りがどうも苦手だ。

自分について何かしらの記録をあくまでも自分専用のものとして自発的に取り始めて、今年で14年になる。
それ以前から運営サイト(オタク的な二次創作中心サイトである)のコンテンツとしてブログは書いていたが、それは読者を想定したもので、自分専用では無いので除外する。
自分専用の記録を取り始めたのは、持病の強迫症を派手にやらかして精神科に通うようになったのがきっかけである。症状やコンディション、その際に何をしていたかを記録しないと、診察の際に医者に話す事がパッと浮かばないからだった。

最初は自作のテンプレートをExcelで作成して印刷したものを使っていたが、そのうちテンプレート印刷が面倒になりジブン手帳を使う様になった。
ちょこちょこと日記などを書ける自由欄があったので、一言日記を書く様になった。

となると今度は、プライベートの事と持病に関する事が同じスペースに書かれている事が気になる様になる。
なので、数年後からは普通の手帳(ほぼ日記)としてほぼ日手帳、持病用として市販の小型の日記帳に分割した。
いわゆる手帳沼の始まりである。

その後バレットジャーナル移行へと幾つか段階を踏んで、現在はgoodnotesで日常使いのバレットジャーナルノート(本当に基本形の、味も素っ気もないやつ)と持病関連のノートの2つ、後はデジタルではなくアナログとして5年手帳と、MDノート文庫サイズを紙もの貼付やスタンプ帳として使っている。本当はデコ手帳としても使いたいが、デコをするだけの余裕が無いのか面倒な気持ちが先立ち、出来ないでいる。


とまあ手帳を使っているのだが。手帳の使い方の書籍とかである「手帳の振り返り」。
私はこれがどうも苦手である。
別にやらなきゃいけないものでもないのだが、とにかく苦手である。
何故ならリアルが地獄とまでは言わなくとも楽しくないからである(仕事中、常時メンタルの病気の症状が出てるから仕方ない)。

特にここ数年は転職と転職を決意させる程のあれこれ、転職してからは持病の悪化と、パッと思い出そうとして楽しい記憶というものが殆ど浮かばない。
手帳を見るだけで、敢えて明文を避けた書き方をしていたとしても当時のイヤ~な雰囲気みたいなものを思い出してしまうのだ。

書き終えて一定期間を過ぎたものは当時の事も記憶から抜けているので「ほーん」と眺められるが、毎月、毎年の振り返りとなると無理である。
これには私の後ろ向きな性格も関係している。
「他人と比べるな、比べるなら過去の自分!」って言うじゃないですか。
過去の自分にも勝てる気がしないからだよ!(どーん)
バウム検査で医学的に「逃避的な性格ですね!」と言われた私が、そんなわざわざ、傷を抉る様な事をしたがる訳がないのである。

多少はデコしたりして、見てて楽しくなる様なものにしてみたりと悪あがきをした事もありました。
でも無理でした!
文章と言うか文字列に暗さと怨念の気配をどうしても感じちゃう。
特にそんな事を書いて無くても感じちゃうし、一時は「バレットジャーナルは何でも書くもの」というのを真に受けて、本気でネガティブな事とか仕事の業績とかも書いてセルフデスノートを錬成していたので余計である。
(その後、公式の(ライダー・キャロルさんの)バレットジャーナルの本に「わざわざ嫌な事を思い出す事を書かない」とあるのを見て、「せやな!」と書かないか、書いて発散したくて、でも後から見ても殺傷力が強そうなものは付箋で隠す様になりました)

あと、デコで何とかしよう対策は、デコを見るのと素材のシールとかを見たり買ったりするのは好きだけど、使うのはそうでも無かったし使うのももったいなく感じてしまうので、そっちの意味でも無理だった。
例えデジタル移行して残数を気にする必要がなくなっても無理でした。


そんな訳でマジで手帳の振り返りが苦手な私だが、大本の理由としては、手帳は「見るのは自分のみ」なのが大きい気がしている。
(たまにインスタとかに「見て見て~」ってやるのは除外)

何だろう、無意識に、気持ちが内に向いてしまうのが大きいんじゃないかなって。閉鎖的と言うか。
見るのは自分だけだから、取り繕わなくても良い。それは本来は気楽な事なんだろうけど、自分の場合、刺々しいものもむき出しになっているんじゃないかって、いざ振り返る時に思ってしまっているのではと。

元々、セルフいじめが得意技なんですよね。
「どうせ自分は」とか「自分なんか」とか。基本的にネガティブなんだけど、自分に対しては殊更ネガティブ。
リアルタイムにそう思ってる分にはそうでも無いのだけれど、手帳に書かれたものをあとから読み直す、振り返るとなると、いくらか客観的になる訳で。客観的に見ようとしてネガティブな事が羅列されているかもと思うと、それだけで気が滅入る。
(実際に書かれている内容は関係なく、気持ちの上で)

人様の愚痴をTwitterなどで見る分には、ある程度なら、そして書き方によっては、言っては難ですが娯楽みたいに眺められるんですよ。
ただ、自分が書くネガティブな事には毒があると思っていて。しかも自分用なので、取り繕ってあっても本当の内容は分かる。
わざわざ毒沼に足を突っ込みたくないと言うか。
そんな感じで手帳の振り返りがどうにも苦手なのである。


因みに、自分のTwitterやブログやnoteは読み返す事が出来るし、何なら読み返すのが好き派です。
これは人様に見せる事を想定しているので、多少は取り繕っていて角が取れて丸くなっていると思っているからだと思います。
単純に読み物として読める。リアルに存在している自分の事は好きになれないけど、読み物というフィクションになった自分の事は好きです。絵でもそうだけど、自分の見せたいところだけを見せられるので。

ただ、実際に角が取れて丸くなっているかは別問題です。
先日愚痴を連投していたら「愚痴用アカウントなんですか?」と匿名投稿サービスから毒を吐かれたので。
辟易したTwitterのフォロワーさんからなのか、そういう通り魔的な事を趣味とする人からなのかは分かりませんが、この事は永遠に根に持つし、何ならTwitterを飛び越えてここ外部でもどこまでも擦っていくぞ、わはは。
顔を出す度胸もないのに、仮にフォロワーさんなら少なくとも当時はフォロー解除もしなかったであろうに(フォロワー数はスパム対策にちょいちょい確認している)、匿名という有利な立場から石を投げたやつが悪い(真顔)。


そんな訳で、自分の手帳を振り返るのは当時の記憶が薄れて手帳で見るのが初見みたいな状態になるほど時間が過ぎない限りは苦手な訳ですが。
取り敢えず、書く事に意義があるっしょな気持ちで、バレットジャーナルの方にもちょこっと日記を書いたり、写真がある時はぺたぺた貼付したりしています。

デジタル手帳の良いところは写真や画像添付がラクな事ですね。アナログ手帳の頃より断然、写真は増えてると思います。たまに絵を描いた時もスクショを貼れば済むし、本当にラク。

5年手帳もなるべく当たり障りない事を書く、ネガティブな事はなるべく客観的に書くのをモットーにして2年目に突入してます。上記の通りのネガティブな私が5年手帳を始めたってだけで、自分の中では大事件です。興味は確かにあったけど実際に始めた当時の自分、一体何があったんだ。

紙もの手帳は本当に紙ものを貼ったりスタンプしたりしかしてないので、悪い記憶は残りようがないです。今まで紙ものをどう保管しようか、いっそ捨てるか?と毎回悩んでいたので、「取り敢えず貼っちゃう!」となった今は気楽です。
最近だと、昨日のライブのチケットを貼りました。
これも、写真を撮影すればgoodnotesのバレットジャーナルに同期できるから便利ですね、ほんとに。

これからも未来の自分の読み物になる様に、まずは「書く事に意義がある」と続けて行きたいですね、手帳。
面倒な時もあるけど、ToDoとして助かるんですよ。
Googleカレンダーも使ってるけど、転記する方が頭に残るんですよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?