ワタクシ流業界絵コンテ#11

 前回までは演出家一年目の絵コンテあれやこれや、といったものを書いてきましたが、原作モノをアニメにしていく際の諸々の心構えは殆どこの時期に学んだと言っても過言ではありません。師匠格である芝山努さんや須田裕美子さん(いずれも「ちびまる子ちゃん」監督)からは具体的に「コンテはこう書け」とか「アニメかくあるべし」といったことは口では言われませんでしたが、作品を通じてそこら辺を実感できる機会は実は滅多にないのだということが後々わかるにつれ、僕の演出家としての出発は本当に恵まれていたのだと実感しています。
「ちびまる子ちゃん」は劇場版をはさんで二年ほどやりました。その後は某女児玩具のアニメーション化にかかわったり、その劇場版の監督に抜擢されたりもしたのですが、折からのバブル景気の影響で幾多のトラブルの果てにお蔵入りとなりました。その間に同期の演出家達はどんどん新しいTVやビデオ作品に関わっています。一番沢山の経験を積まなければならない新人の時期に「まる子」の後にやったものといえば、ビデオ(30分)が一本と、お蔵入りした劇場(80分)が一本。「これは致命的だ」と当時は深刻でした。
 中小プロダクションに所属している演出家にとっては、自分が担当したフィルムがそのまま名刺になり、営業になります。製作会社のプロデューサーの覚えがよければ、「あの会社のあの人(演出家)を」と名指しで作品に呼んでくれますし、更には「監督をやってみないか」というラッキーなお誘いもあるわけです。しかし、そうしたウリになるようなフィルモグラフィーが演出四年目になっても「ちびまる子ちゃん」のみでは、外の人に目が止まることもありません。当時所属していた会社は自分のところで作品の製作が出来るほどの規模でもスタンスでもなく、ましてや上には望月智充さん(「魔法の天使クリーミーマミ」「きまぐれオレンジロード」メイン演出)や本郷みつるさん(「クレヨンしんちゃん」監督)など実力派の演出家が沢山…これじゃオレの所までお鉢が回ってくるわけないじゃん、ガックリトホホというわけで、自作品のお蔵入りという事態にかなりショックを受けて落ち込んでいた僕は悪い方に悪い方にと物事を考えて更に落ち込んでいきました。
 とはいえ、ちょうど色々な技術をおぼえはじめていた頃でもあり、「アニメを辞める」なんてことは思いもつきませんでした。それに、会社を辞めてフリーになるにしても先に書いたように「ちびまる子ちゃん」だけでは余所のプロダクションでは雇ってくれそうもないだろう、とそういうところだけは計算高く(単純に意気地がないとも言えますが)、しばらくは会社の基本給にしがみつく日々が続きました。タダ飯喰らいを雇うほど会社もお人好しではありません。「これやってみるかい」とある時渡されたのが、『赤ずきんチャチャ』という漫画のコピーでした。(つづく)

NHK出版『放送文化』2001年2月号掲載


読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)