民主主義における平等は幻想であり
自身の上昇可能性を信じるがために
民主主義は維持される

つまり、

「己の力不足だから貧乏なんだ」っていうのはそりゃそうだけど、
貴方の遺伝、育ちから貴方はできていて、
貴方は自由でもなんでもないのだ。
身体も能力も与えられたものだから。

という考え方。ブログ見てる人がどれだけいるかわからないけど、どうだろう?
確かに、スラムダンクでいうと
桜木はその肉体、つまり器において可能性があるわけで、他の一年生には同じ真似はできない。
虚無感満載ではあるが、確かに!と思う人は多いのではないだろうか。

最近、「オンライン化だ!」と焦る人がいる一方で「今からオンラインおせーよ」という人もいる。
オンラインの中は平等だと思う人もいるかもしれないが、不平等だらけだろう。先行者優位を生む環境や能力を持っていた人が勝つだろうし、途中から参加した人が勝つには差別化できる能力がいる。

ここで、大事なことは
不平等というのはあるルールのもとでの順位だということだ。僕が木村拓哉と見た目や演技で勝とうとすると、絶対に無理である。
虚無感から脱出するために僕が編み出した方法は

勝てないところでは勝負しない

である。これは最近、よく言われるメタ思考が必要であり、そこでももしかしたら不平等が起きる可能性は高い(メタ思考能力はIQの数値と関係する)

まだ、虚無感あるぞ!と思いのそこの貴方!
大丈夫だ。
なんの実証もしてないけども、メタ思考の深さはその人の体験に結構依存する。
確かにコンサルの人はメタ思考のバリエーション半端ないと思うけど、深さが無いのではないかと思う。
例えば、僕はバーに関しては肌感覚があると自負しているが、バーであればコンサルの人に負けない自信がある。メタ思考で記述できることと、人間の実際の経験から基づく記述できることの質の違いはみなさん想像つくと思う。

まあ、ここで問題になるのは
色々な経験ができるメンタル、身体があるかどうか
これにはその人の器が関わってくる。(桜木の話を思い出してくれ)だから、ここに関してはそれぞれの器で最大限のパワーを出すしかない。これをやらないうちに、
「もうダメ!オワター\(^-^)/」となるのは良くないのではないだろうか。もちろん確実に不平等にはなるけど、、、ここにもそれまでの環境がものを言う。

不平等は結局なくならない。民主主義なんてみんな信用しない方がいいし、ええこと言うてるやつのこともその思想を丸飲みしない方がいい。
「○○さんだからできたんでしょ?なんて思うな」って言われるけど、結局はそうなのである。

虚無感が凄いって?
不平等が前提だと気楽ではないだろうか。
無限の可能性とか平等を思わせる民主主義を信じることほど辛いことはないんだから。
みんなそれぞれ正しい場所にいるなんて僕は言わない。正しいことなんて、便宜的なものだ。
これからも日々は続く。それだけだし、すべての行いは後で意味付けがされる。
不自由で、不平等な世界で、何をすればいいか。それはシンプルに自分に従うことだ。自信を持てってことじゃない。落ち着いて、気楽にいこーね、って感じだな



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