まずは身近なところから活躍すれば大丈夫 とよくビジネス本を見たら書いているけど、 僕には活躍する場所がない。 身近な飲食業は今、大変革の時で雇われの身になるのはなかなか難しい。 中食産業をやってみたいが、資本がない。 次の手段は事業計画書を作り、投資を集めるしかない。 こう文で書いていると、やることは実は決まっている。 東京にいる仲間達も助けてくれるのがありがたいことだ。徹底的にパクることから僕は初めようと思う。 家族には頼らずに、友人などから当初を募るからなかなかの事
友達に 「お前は純粋なのに歪んでいる」 と言われる。 僕は確かにそういうところがある。 自分でもこの矛盾で身動きがとれないことがよくある。 純粋というのはどういうことだろうか。 それは「整っている」という状況が好ましいということだと思う。 「人とは〜あるべきだ」という感じかな。 普遍性とでも言った方がわかりやすいだろうか。 「お前は純粋なのに歪んでいる」 歪みとはなんだろうか。 おそらく意識して良い人間であろうとしてるのに、本質的にはそうでない部分があるのだろう。
民主主義における平等は幻想であり 自身の上昇可能性を信じるがために 民主主義は維持される つまり、 「己の力不足だから貧乏なんだ」っていうのはそりゃそうだけど、 貴方の遺伝、育ちから貴方はできていて、 貴方は自由でもなんでもないのだ。 身体も能力も与えられたものだから。 という考え方。ブログ見てる人がどれだけいるかわからないけど、どうだろう? 確かに、スラムダンクでいうと 桜木はその肉体、つまり器において可能性があるわけで、他の一年生には同じ真似はできない。 虚無感満載
連続投稿記録が途絶えてしまった、、、 いやまあ、カレンダー的にということだけど、 なんか惜しい気持ちになるよね。(バイアスだな) というのも、今日は「そもそも、飲食できない前提だし、できたとしても苦戦すると思い込んでいるけど、実際どうなのか?」と色々な人に連絡をとってみたのだ。そちらに熱中していた。 元お客さん含め、連絡しやすい人達に連絡してみる。 すると、まあ普通に返信は来るし、寧ろ好感触であった。バーという存在に対しても肯定的であった。 様々な媒体に触れて、とりあえ
あることを猛烈にやりたくなるときのことを考えてみる。本能的なことを言っているのではなく、猛烈になんとなくこっちの方がいいと選ぶときのことである。 肌感覚というものだろうか。 最近、その肌感覚が働かなくて「うーん」となっている。 それはなにかというとコロナで目指していた飲食業展開に対して「甘いのかもしれない」という理論が自分の中で構築されたからである。 これからはオンラインに寄ることは間違いないと思う。それは単純にみんなその方式に慣れるからでかり、今までの常識は通用しないと
僕の住んでいる地域は、老人が多く 保守の空気が満載である。 僕の両親は60歳手前で、老人とは世間では言わないかもしれないが、 マインドはほぼ老人と言って間違いないだろう。 権威主義 物質主義 差別 これを御飯食べるときに平気で会話に織り込んでくるので、聞いてるこちらは非常に疲れる。 とはいえ、ヒューマンエラーではなく、システムエラーなのだと思う。昭和の影響だろう。 クレヨンしんちゃんの「大人帝国の逆襲」という映画をご存知だろうか。 昭和的な世界観に大人を引き込み、大人
今日は雨があがったので、 外を歩き回り、坂を上り、汗をかいてきたのだが、 やはり頭のスッキリさが違う(プラシボもあると思うけどね) プラシボ含めて、やはり運動はいいのである。 日光も浴びることができるし。 人間にら他の動物と違い、理性があると言われている。脳のある部分が猿と人間を分けているということ。 脳が人間の行動を制御しているので、「自粛しようー」と理性的に思っても、人間のハードである身体、そしてその脳自体が運動や日光をそもそも欲しがる行動をしてるからおかしくなるのは
さっきの投稿は、毎日1投稿を達成するための投稿である。 昔から、低気圧に弱いので眠たさについてシンプルに書いてみた(ほぼ、呟きだけど) 継続は大事だー! 毎日の勉強は複利のように後々効いてくるー! とめちゃくちゃわかっているけど、 人間そんなに一面的ではなく、多面的である(すみません、怠け者の言い訳です。でも、最後まで読んで)。 特に僕はあることによっぽどハマっている(楽しんでる)状態でないと、あれこれ勝手に色々と考えてしまう。 さらに、体の弱さがそこに要素として加わる。
雨の日は眠たい 昔からから眠たい なんでこんなに眠いのかなと思うくらい眠たい 今日はそんな日
最近、やってて楽しいなあと思うことは 自分への投資である。 紛れもなく意識高い系である。 具体的には勉強であり、つまり座学であり 実践を伴わないのが弱点ではあるが 実践しかしてこなかった(しかも感情と鈍い理性で)僕にとってはなかなか意味のあることなのである。 あの時のことはこれか!まじかー! うわー、こうやから身体辛かったんかー おいおい、こんなの大学くらいで教えておいてくれよー などなどございます。 人に聞いていいフィードバックが得られるのは、確率にして5%しかないよ
よく言われることに 「君にしかできないことをやってほしいし、 きっとできるよ」 というのがある。 本人からしたら、やりたいように生きさせてもらっている。 「生きさせて」っていうのは、社会の中に僕は生きているからね。 昨日もそんなことを友人から言われたので、色々考えてみたけど、狙えることではないのは間違いない。 かと言って、他人の言う通りにやって実現できることでもないような気がする。 社会との関わりの中で生きるのが人間であり、 それを考慮に入れないのはおかしい。昨日のその
思うに、面倒なことというのは周りが決めることなのである。 僕にとっては、勉強も運動も別に面倒ではないし、最近はむしろお酒を飲むことが面倒だ。 これは僕の環境からである。 why?と反抗的になるのが大事とか、メタ思考が大事と言われているが、 そう思うにはきっかけが必要で、なんちゃっでではなんちゃってでしか終わらない。 ここに多様性っていう重要なキーワードが出てくる。多様性が大事と思う、とかではなくて、多様性によって世界がどう見えるかということである。 急に有名経営者、文豪
コロナの影響で、親父もテレワークをしだした。 医療機械の業界である。手術機器を売る仕事で、手術の際はサポートに入る。 要は、手術のサポートをすれば機器が減る(身体に入るものだから)ので、サポートをすればするほど業績は上がる。 昨今の営業が要らないと言われる中で、最後まで営業が必要そうな業界である。この営業がロボットが取って代わるころには医者もロボットになっているかもしれない。 しかしながら、かなり時間を持て余している。 新規開拓ができないからで、さすがにテレビ電話で契約が成
ポジションをとれ! とよく本に書いてあるけれど、うーん、と思う。 それは、非常に窮屈なことだと思う。 自己分析からの自分の意見、行動ってことだと思うけど、 それは自分の今までのパターンを分析するだけなのではないだろうか。 バスケで言うと、右にフェイク入れてドリブルついて、そしてターンしてフェイダウェイをしても5回くらいやったら相手にバレるし、そもそも飽きる。僕は少なくとも飽きる。 ポジションをとれっていうよりも、 自分のポジションを確認して、そこからどうする?? っていう
人は環境の子供である。 今日は久々に東京のメンツの顔を少しだけ見たが、自分ののんびりくらいと遅れ具合に吐き気がした。 革新的な考えがピコーンと思い浮かぶわけがなく、 周りにいる人とか周りの環境システムにより、 人はその考え方が変わってくる。 人に接することは、その人のインプットやアウトプット、心に触れることができる。 環境システムはそこにいる人の特徴をある程度方向づけるものだろう。 コロナの影響で、1人にならざるをえないことが多い。接しても家族くらいだけど、家族か
飲食をやりたいのだが、この状況で バイトさえもできない状況である (いや、バイト募集している飲食もあるかもしれないけど。ビザ屋とかね) そして、飲食の人達は今、相当に困っている お金の問題である。オーナーは日銭商売という、ビジネス形態に縛られてなかなか打開策が見つけられず、従業員は自らの立場の危うさにさらされている。 「いやいや、貯金しとけよ」とか「そもそも税金払ってないんでしょ?」みたいな意見はごもっともなんだけどなあ、、、 淘汰されるべきって言われると辛いのが正直なと