限定性

よく言われることに
「君にしかできないことをやってほしいし、
きっとできるよ」
というのがある。

本人からしたら、やりたいように生きさせてもらっている。
「生きさせて」っていうのは、社会の中に僕は生きているからね。

昨日もそんなことを友人から言われたので、色々考えてみたけど、狙えることではないのは間違いない。
かと言って、他人の言う通りにやって実現できることでもないような気がする。

社会との関わりの中で生きるのが人間であり、
それを考慮に入れないのはおかしい。昨日のそのコメントがまた一つの社会として僕に響いたのは確かだ。
そういう方向に歩を進めたいなあと思ってしまったのである。

影響を受けない部分があるなんて、僕は思わない。影響が編集されて「僕」はできあがっている。
「君にしかできないことをやってほしいし、きっとできるよ」というのは、僕はめちゃくちゃ変わっているように見えるんだろう。
ただ、悲壮感を込めているというよりは、面白がっている感じがある。
「次はどう楽しませてくれるんだい」そうだな、僕の人生は一般的にはピンチが多かった。あ、今も一般的にはピンチなのか。

僕がどうなるかなんてよくわからない。「こうなる!」っていう言葉を大人は欲しがる(銀行とかそんな感じだよな)。けどまあ、そんなわかりきったようなことはもうしたくないのである。
だから、もうやりたくないことはやらない。心に耳を澄ませて、それに従うことだろう。

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