2023年の区切りとお試し隠居宣言

どうも、せいしゅうです。なんだか久しぶりに文章を書くな。
今年の後半は、あんまり元気のある言葉を吐き出せそうにない自覚があったので、意識的に投稿とかするのも控えておりました。

PENTAX645 ファーストロール。

早くも、いやようやく…?
短くも長い1年が終わり、2024年が来るなあという気持ちでございます。

2023年は、ひとことで言うならば自分にとって「清算」の年でした。

2023年の始まりからずっと予感はしていて、そしてそういう予感はなんだか当たることが多いので、ことあるごとに周りにも話していたような気がするけれど、これまでの5年間にしてきたこと、考えてきたこと、起こってきたこと、それらがひと区切りになったような感覚があり。

自分を取り巻く事柄にとっては「おしまい」を迎えるものが多く、それらをなんらかの形でどうにか繋ぎ止められないかという奔走や、やっぱりどうにもならなかったものの清算と片付け、その流れを受け止めるまでに1年が掛かったなというかんじ。

さよなら校長室。5年間お世話になりました

今年に入って、自分の身近だった人や場所がなくなることが続いた。それはポジティブないしはネガティブな理由での移住だったり、町との折り合いが付かず事業が撤退したからであったり、亡くなってしまったり、プライベートな別れであったり。

自分の暮らしているところが、観測できる範囲でもシュリンクしてきているのを否応にも実感する。

世を見渡してみても、割とひとつの大きな転換期を迎えているのではないかと思う。これまでの時代の流れの慣性が効かなくなり、あちこちの大型施設がその体躯を維持しきれなくなったり、上手くいっていると思っていた人や組織があっという間に崩れたり。

一方で、新しい概念が生まれたり、次々に挑戦を進める友人たちがいたり、新しいお店が増えたり次の世代がどんどん台頭し始めていたり。自分も新しいことをしていくフェーズに入った実感はあり、これまでやったことがないことにも取り組んできたつもり。

ただ、いろんなことが「次の5年」に向けて変わっていく一方で、その変化になかなか心がついていけてない自分もいる。

それはきっと、この5年の間、たくさんの偶然が重なって人や環境に恵まれていて楽しかったから。そしてたくさんの可能性を思い描きながら、目の前のことに追われて、それらを置いてきぼりにしてきてしまっていたからだと思う。

廃線になる根室本線。同じ景色を見ることはもうできない

あの人ともっとこんなことしてみたかったのにな、この環境を生かして出来たことたくさんあったよな、はじめからもっとちゃんとコミットしていたら結果が違っていたかもな、、

今年の終わりの方は、そんな考えてもしょうもないことばかり考えて力が抜けてしまい、なんだか疲れてしまって前に進められないような状態だった。

とにかく残されたものを掬えるものは掬い、整理するような期間。年末になってようやくいろいろとひと段落し、これから先の5年を考えていこうというタイミングで、自分の考え方も変わってきたことに気づいた。

これまで、所謂ローカルや地域に携わることをするのに際し、他地域のことを自分ごととするように動いてきた。それは世の中的にも「自分ごと化」が重要なテーマだったからというのもあるし、自分の「属さないけど属している」という少し特殊なポジションがよりそうさせていたのもあると思う。

他人のことや地域、組織や会社の中にしれっと混じりながら、それでいて割とコアになる部分を一緒に考えたり時には担うこともあった。自分の時間や頭の中のリソースを他地域のことに多く割いてきたと思うし、そうさせてもらうことで生き延びてきた。

思えば、何ひとつ繋がりもスキルも持ち合わせないまま北海道の過疎地で身一つでフリーランスになり、地域おこし協力隊などの制度や特定の行政などのバックアップを受けずにこれまでやってこれたのは、地域で何かしようとする友人たちが声をかけてくれ、制作などでサポートする立場にたまたま居させてもらえたおかげだ。

そうやって陰ながら皆をサポートする忍者のような役目をすることが自分の生存戦略でもあり、それが皆や地域にとって良い未来に繋がるような共生関係にもなっていけたら良いなと思っていた。

それは間違っていなかったと思うし、その役を与えてもらえることは当たり前じゃなくめちゃくちゃありがたいことだし、今後もそうあれたら良いなという気持ちは変わることはない。だけど今は、その形を少し変えていくべきなのかもしれないと思い始めている。

”これまで、他人のことを自分ごとにすることばかりで、自分のことをちゃんとやってこなかったんじゃないだろうか。”

そう考えるようになったのは、自分の足元に残したかったものを残せなかった後悔や、自営業としての経済的な不安定さや厳しさに直面しているのもあるし、自分のスキルの限界やそもそもの至らなさや課題の多さ、地域での制作委託業にありがちな色々な雑さで正直消耗を感じてしまうことも増えてしまったからかもしれない。

それに、自分のことをちゃんとやるのは大変だ。何か旗を振れば責任が伴うし、自営業であれば、不安やリスクやコストもひとりで背負ってやることになる。他人のことばかりすることで、知らず知らずのうちにそこから目を背けてしまっていたのかもしれないという気づきもあった。

なので、これからもご機嫌でやっていくために、次の5年のやり方を、生存戦略の設計を考え直さなきゃいけないと思い始めている。

そういうタイミングというのもあって、年始から「人生の棚卸し」をする期間を設けてみます。ズバリ、お試し隠居。

この冬は撮影や制作などの委託をお受けすることや地域系のイベント等への参加を控えて、ゆっくり穏やかに暮らしながら、テレマークスキーで雪山を駆けたり、積まれていた本を読んだり、これまでの溜まり溜まったデータや機材を整理したり、自分のための発信や制作をしたりしようかなと思う。
(とはいえ2023年にお受けしてる制作まだいくつか残してしまっているので、それはもちろん最後までやります!)

そんなお試し隠居生活、数週間で終わってすぐ元通りになるのか、数ヶ月ゆっくり考えるのか、それとも長く続いちゃうのか自分でもまったく分からないけど、その期間をつくっちゃえるのはフリーランスの良いところ。

この春からは周辺地域で観光客向け撮影サービスや物件的なことを始めることで話も進めていて、そして実はずっと暖めていた構想もそろそろ動き出してみたい…ということもあり、そのあたりも練りながら少しずつ動きつつになるかなってかんじです。いっぺんにはできないから、少しずつ。

なので、これまでのようなあちこちに行ってのクライアントワークは体制が整うまで少し控えようと思っていますが、もちろんまったく受けません!というわけでもないので、もし自分にできることがあればいつでも、これまで通り気軽にご相談いただければ嬉しいです。

いま、自分の目の前に、いくつか進めそうな道が分岐しているような気がしていて、きっとどの道を歩んでもいいのだろうけれど、少し立ち止まってこれまできた道のりを振り返りながら、いま一度考えてみたい。

なんとなく、自分のこれまでの役割がひとつ終わりを迎えているような感覚もある。

いろいろ勝手に「自分はこうだろう」と思い込んだりしていたけれど、自分の弱さを見つめ、それでも出来そうなことや、いろいろと手放すことを考えてみたら、もっと軽やかに進んでいけるような気がしている。

2024年、皆にとって「これからの5年」に続いていく新たな道が見える、良い年になりますように。

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