日本の男尊女卑についての考察㊼(天皇家についての考察⑤第十二代②ヤマトタケル伝説③)
こんばんは、皆様には
いつも読んでいただき
とても感謝しております。
ありがとうございます。
前回は、倭健が弟橘比売を
走水の海で失いながらも
東国を次々と平定し
タチバナヒメを偲んで
「吾妻はや」と
3回口にした所まででした。
今回は、それでもめげずに
ヤマトタケルの
東国平定の旅は続きます。
まずは甲斐国(山梨)にて
酒折宮に連歌が残されました。
「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる。」
新たに筑波を治めてから
幾夜を過ぎても
ここで寝てしまっている。
という意味でしょう