見出し画像

氷川きよし『ありのままの自分を取り戻し歌い続ける存在』(後編)人生を変えるJ-POP[第17回]

たったひとりのアーティスト、たったひとつの曲に出会うことで、人生が変わってしまうことがあります。まさにこの筆者は、たったひとりのアーティストに出会ったことで音楽評論家になりました。音楽には、それだけの力があるのです。歌手の歌声に特化した分析・評論を得意とする音楽評論家、久道りょうが、J-POPのアーティストを毎回取り上げながら、その声、曲、人となり等の魅力についてとことん語る連載です。

今年最後に取り上げるアーティストは、年内で無期限の活動休止を宣言した氷川きよしさんです。

氷川さんの演歌歌手としての歩みから、この数年の変貌までを音楽的観点や彼の発言などから紐解き、活動休止後の期待値までを書いていきたいと思います。なお、氷川さんは最近、ご自分のことを「氷川きよしではなくkiinaだと思っている」と発言されていますが、記事では今までのご活躍から便宜上、彼という3人称の呼称を使わせて頂きます。

芯の通った響きを持つ、強靭なストレートボイス

彼が拘る「ありのままの自分」。

自分本来の姿に戻り、自分をありのままに表現する、ということを、この数年、彼はよく口にするようになりました。そして、自分の歌についても、こう発信しています。

「演歌歌手ではなく、歌手・氷川きよしになったら嬉しい」
「何をやっても、どこを切り取っても“氷川きよし”であることは変わらないので、歌う時も演歌やポップスを区別する必要はないなと」

氷川きよしの歌声は、非常に伸びやかなハイトーンボイスが特徴です。この歌声はピンと張った強い歌声で、一本、芯の通った響きを持っています。

彼の演歌になくてはならない歌声ですが、元来、彼の歌声はストレートボイスで、演歌特有のこぶしや細かなビブラートというようなものは持っていません。

ですが、演歌を歌うにあたって、これらの響きをテクニックとして身につけたように感じるのです。

彼本来の歌声は演歌より、どちらかと言えばロックやポップスに向いていると言えます。ビブラートのない強靭なストレートボイスが特徴で、響きがまっすぐで安定しており、非常に伸びやかな響きを持っているからです。

この張りのあるまっすぐに響く歌声は、多くの人の耳に心地よく聞こえるはずです。

さらに演歌を歌うのに、しっかりとしたこぶしを身につけました。
たとえば、デビュー曲『箱根八里の半次郎』を歌っている当時の動画や音声を確かめると、彼がフレーズの最後に首や顔を振って、ビブラートをつけているのがわかります。

これは、元々、ビブラートのない細めの透明感のあるストレートボイスにテクニックとしてビブラートの響きをつけていると言えます。指導者から教えられた通りの歌い方をしているように見受けられる彼の歌声です。

年齢を重ねるにつれて歌声に現れる、透明感以上の色彩感

さらに年齢を重ねるに従い、歌声全体にビブラートが現れ、濃い色合いの響きに変わってきます。歌声の特徴が透明感よりも色彩感に覆われていくのがわかるのです。

また、演歌特有の低音部のこぶしのうねりも現れ、ドスの効いた歌声、野太い演歌歌手としての歌声も身につけているのです。

すなわち、氷川きよしの歌声は、年齢に伴って肉体が成熟するのに呼応するように、歌声も成熟さを増してきています。しかし、これは元来の持ち声ではなく、テクニックとしてビブラートをつけているわけで、さらに演歌を歌うには、どのフレーズも強い男らしい歌声を求められることが多く、かなり喉に負担をかけた歌い方になっていたのではないでしょうか。

この歌声に対し、『限界突破✖️サバイバー』の歌声は、全く違う様相を見せます。

ストレートな力強い響きの歌声には全くこぶしなど存在しません。低音部も高音部も真っ直ぐでパワフルな歌声が一本の線のように響いていきます。また、ロック曲に不可欠なシャウトな高音も綺麗な響きでフレーズの最後に聞こえ、誰がどう聴いても、その歌声はハイトーンボイスのパワフルなロック歌手の響きです。

また、近年、彼はポップス曲やバラードもよく歌うようになりましたが、これらを歌うときには、フレーズの最後の響きを抜いた柔らかい歌声で、非常に力みのないナチュラルで優しい音色を見せるようになりました。

このように、彼は演歌だけでなく様々なジャンルの歌を歌うようになって、日々、努力をして自分の歌声から特有の演歌色を少しずつ消し去っているように感じます。

これが、最近の演歌の歌声にも影響を与え、以前ほどの強いうねりなどは影を潜め、サラッとした歌い方になっている印象を持つのです。

「きよし この夜 Vol.22」で感じたのは、“ナチュラル”だった

活動休止前のラストコンサート『きよしこの夜Vol.22』では、今までの歩みを振り返るかのように前半を演歌で構成し、後半をロック、ポップスで構成する形になっていました。

このコンサートで、彼は、演歌で今まで培ってきた演歌歌手としての歌声とテクニックを余すところなく発揮したと感じさせます。

最近には見られなくなった演歌特有の非常に濃厚で細かなヒダのようなこぶしやビブラートが全曲の歌声に入り、これでもか、これでもかというぐらい力強い演歌の歌声を披露していました。

それに対し、後半の歌声は透明感を全面に出し、歌詞の言葉のタンギング(アクセント)も非常になだらかで綺麗に処理された日本語の発音が並び、ナチュラルテイストな歌声を披露しているのです。

このように氷川きよしという歌手は、ジャンルによって、歌い分けられる、ということを今回のコンサートは証明したとも言えます。

そこには、彼が新しいジャンルの歌を歌うのに際して、弛まぬ努力を続けたことを推察させ、日々、歌というものに真摯に向き合う彼の姿が浮き彫りになってくるのです。

突出した回数を誇る年間のコンサートの裏で…

これまで人気演歌歌手として、一年中、日本各地を飛び回り、コンサートを1日に昼夜の2回行う彼にとって、喉の負担は半端ないものだったと想像します。

2015年にはポリープの手術をし、さらに来年以降の活動休止を発表した今年は、年明けから過密スケジュールが組まれ、4月には2度目のポリープ除去手術を受けています。

2015年のポリープの手術の折には、「10年ほど喉の不調を抱えて活動していたが、綺麗な歌声を取り戻せた」と話しています。

元来、強靭な声帯を持っていると感じますが、ポリープ除去手術によって美しい高音部の伸びを取り戻したことが、『限界突破✖️サバイバー』での彼の力強い歌声へと繋がっていると言えます。

この数年の彼の活動を見ていると、春と秋には全国ツアーを組み、夏には座長公演を東京、大阪、名古屋、福岡などで長期に行う。

さらにコンサートも昼と夜の2回公演は当たり前というスケジュールが組まれており、年間のコンサート回数は多くの歌手の中でも突出した回数を誇り、唯一、3桁を記録しているほどの過酷さです。

2019年に行われたデビュー20周年の記念コンサートツアーでは、40曲を超える楽曲を3時間超えのライブで歌い、昼夜の2回公演という驚異的なスケジュールをこなしています。

歌というものは、声帯にとっては非常に過酷な使い方を強いているもので、普通の話し声でも声帯は1秒間に70〜1万回も振動していると言われています。

それほどに振動している声帯ですから、3時間を超えるコンサートでほぼ歌い続けている状況は、どれほどの負荷を声帯に与えているかということは簡単に想像できるでしょう。

自由に表現する存在としての「Kiina」へ

22年間という長期に渡って、歌い続けてきた彼の声帯は、ある意味、疲弊しきっているとも言えます。

自分の「心と身体のバランスが取れなくなった」という活動休止の理由の一つには、これらの声帯の疲弊感の蓄積があるとも感じるのです。

また、ラストコンサートで話した「ずっと演歌を歌って年老いた姿を見たいというファンの方もいらっしゃると思う。その気持ちに応えられなくてすみません」との言葉からは、彼が演歌とそれ以外のジャンルの歌との間で揺れ動く気持ちがあったことを示唆しています。

これらのことも含めて、22年という年月で一旦、自分の活動をリセットしたい、という気持ちが湧いて来たのかもしれません。

このように彼の歌は、今、演歌、ポップス、ロックというジャンルを超えて、ナチュラルな歌声と歌い方に戻っていると言えるかもしれません。

「無期限活動休止」が、どれくらいの期間になるかはわかりませんが、本来の歌声の響きと、彼本来の感性、そして、彼本来の歌の世界を取り戻してくるのではないかと感じます。

演歌歌手氷川きよしという土台を持った上で、新しい歌手として生まれ変わってくる。そんな気がするのです。

ロックやポップスを歌い、ビジュアル系の彼本来の感性に裏打ちされた姿と活動の仕方は、年代が若く、新しいファンを増やしています。

現にラストコンサート会場であった東京国際ホーラムには、明らかに20代、30代と思える若い男女の姿が、祖父母の付き添いではなく多く見られ、彼のファン層が変わってきていることを感じさせました。

演歌という一つのジャンルにこだわることなく、自分本来の感性で生きようとする彼の姿は、非常に伸び伸びとしていて、好感が持て、多くの世代の共感を呼んでいます。

まだ45歳。歌手として第二章の活動の始まりには十分な時間が残されています。演歌歌手としてトップに立った彼だからこそ、表現できる、彼ならではのJ-POPの世界を今後、堪能させてくれるでしょう。
 
彼だからこそ、彼だけが表現できる音楽の世界。それを多くの人々が待っている存在、それが「氷川きよし」なのです。

久道りょう
J-POP音楽評論家。堺市出身。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン元理事、日本ポピュラー音楽学会会員。大阪音楽大学声楽学部卒、大阪文学学校専科修了。大学在学中より、ボーカルグループに所属し、クラシックからポップス、歌謡曲、シャンソン、映画音楽などあらゆる分野の楽曲を歌う。
結婚を機に演奏活動から指導活動へシフトし、歌の指導実績は延べ約1万人以上。ある歌手のファンになり、人生で初めて書いたレビューが、コンテストで一位を獲得したことがきっかけで文筆活動に入る。作家を目指して大阪文学学校に入学し、文章表現の基礎を徹底的に学ぶ。その後、本格的に書き始めたJ-POP音楽レビューは、自らのステージ経験から、歌手の歌声の分析と評論を得意としている。また声を聴くだけで、その人の性格や性質、思考・行動パターンなどまで視えてしまうという特技の「声鑑定」は500人以上を鑑定して、好評を博している。
[受賞歴]
2010年10月 韓国におけるレビューコンテスト第一位
同年11月 中国Baidu主催レビューコンテスト優秀作品受賞