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必要なものは庁ではなく

犯罪被害者の会がシンポジウム


犯罪被害者遺族らで作る「新あすの会」が都内でシンポジウムを開き、「犯罪被害者庁」を設立する必要性を訴えた。

―――シンポジウムに登壇した犯罪被害者の配偶者。

殺人事件で夫を亡くし、事件のショックの中で保険手続きや子供に関する様々な手続きに追われたつらい体験を報告。
「本当に大変で辛かった。一か所で手続できれば全然違うかと思う」と語ったそうである。

新聞の30面で目にした記事である。


犯罪被害者の権利が司法制度の中であまりに軽んじられてきたことを問題化して、経済補償などを含め、被害者の権利が大幅に改善されたという経緯があるらしい。

だが、犯罪被害者救済においての一番問題となるところは、犯罪の実態、事実、経緯を隠蔽することなく、被害者遺族が望む限りにおいて知らされうること、こそが必要なのではなかろうか。補償金の額よりも。

そして、大切な人間が犯罪行為により命を落とす、その衝撃と絶望、怒り、やりきれなさを抱え、心身が打ちのめされているときに、「あまりに煩雑な」行政手続きの書類の山。
戸籍を抹消するときに襲ってくる遺族の悲しみ。
行政手続きをする場面場面で、遺族は悲痛な感情を繰り返し味わわなければならないという現実がある。
遺族が精神を病んでしまい自殺に至るといった例も報告されている。

新しく庁を設立することよりも、むしろ理不尽ともいえる行政手続き、銀行手続きなど、ムリ無駄なる行政仕事がいまだに綿々として続いていること、それを改善してゆくことこそが必要なのではないだろうか。

そして、言葉だけではなく真に被害者に寄り添う対応が求められる。

行政改革が何十年も前に叫ばれながら、その煩雑さは簡素化されるどころか、膨れ上がるばかりである。



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