見出し画像

「ありのままの自分でいい」の勘違い

ありのままの自分でいい。

自分探しや、自分という存在に悩んだとき、これからどうしていけばいいのか悩んだとき、「ありのままの自分でいいんだよ」と言われたことはないだろうか?

素敵な言葉だ。

ありのままでいいんだから、努力とか、苦労とか、苦しみとか、そんなものをわざわざ自分から背負うようなことはしなくていい。

やりたいようにやっていい。やりたくないことはやらなくていいんだ。

………

もちろん、これを見に来た読者は分かるだろう。

そんな意味の言葉ではない、と。


ありのままとは?

そもそもありのままの自分とは何か?

結論を言えば、「自分の良いところも悪いところも受け入れること」である。


例えば、仕事をやりたくないと思ったとき。

仕事をやらないのがありのままの自分ではない。

「仕事をやりたくない」と思っている自分がありのままの自分だ。

自分が今、「仕事をやりたくない」と認めること。

実際に仕事をやるか、やらないかはどうでもいいことだ。


「仕事がつまらないからやりたくない」はありのままではない。

外に理由を作り、言い訳をすることは自分を受け入れていない。

逃げてしまえば、そこにありのままの自分はいない。


ずるいことをしたとき。

「自分はずるい人間だ」と受け入れることがありのままの自分。

「自分はずるい人間じゃない」と否定することは、ありのままの自分ではない。

「ずるいことをしてしまったのには理由がある」と言い訳をすることは、ありのままの自分ではない。


怒ったとき。

「自分は怒った」と受け入れることがありのままの自分。

「あいつが悪いから、自分は怒るしかなかった」と言い訳をすることは、ありのままの自分ではない。


ありのままの自分でいい。

それは、自分が仕事をやりたくない人間であり、ずるいことをする人間であり、怒る人間であると受け入れること。

受け入れたくないことを受け入れること。

言い訳をせず、自分がそういう人間であると受け入れること。

それが、ありのままの自分ということ。


ありのままの自分を受け入れることは難しい

「自分の良いところも悪いところも受け入れること」が、ありのままの自分である。

良いところは受け入れられる。

しかし、悪いところを受け入れることは難しい。

特にそれが、社会的に良い人からかけ離れているならなおさらだ。

卑怯。ずるい。陰湿。空気が読めない。気遣いができない。無口。騒がしい。高圧的。支配的。責任から逃げる。

こういった面が自分にあると受け入れることは難しい。

自分はそんな人間じゃないと、否定したくなるのが普通だ。


しかし、それではありのままの自分を受け入れることにはならない。

それも自分なのだから。

良いところだけ受け入れて、悪いところを受け入れない。

それではいけない。

悪いところも含めて自分。

だから、ありのままの自分を受け入れることは難しい。


どうしてありのままでいいのか?

良いところだけじゃなく、悪いところまで受け入れなくてはならない。

それでどうしてありのままでいいと言えるのか?

悪いところなんて、無ければいいんじゃないのか?

そうはいかない。

悪いところも自分の一部なのだから。

悪いところだからといって否定することは、自分を否定すること。

自分を否定すれば、そこには苦しみが生まれる。

悪いところが表に出たとき、「自分はそんな人間じゃない」と自分を否定する。

自分を自分で否定して、心穏やかにいられるわけがない。

それは自分を自分が愛していない、ということになる。


子どもは母親に愛される。

しかしその愛が、子どもの良いところだけに向いていたら?

勉強ができるから愛してる。

勉強ができないから愛さない。

お手伝いをするから愛してる。

お手伝いをしないから愛さない。

ご飯を残さないから愛してる。

ご飯を残すから愛さない。

そんな限定的な愛しか向けられない子どもはどんな気持ちだろう?

子どもは怖くなる。良いことしかしてはいけないと、恐怖すらもってしまう。そうでないと愛されないから。

悪いところを受け入れてもらえず、良いところしか愛されない子どもが、どんな成長していくか。

こういった子どもは、いわゆる『良い子』になる。良い子でないと愛されないから、良い子になるしかない。

だけど、良い子には限界がある。

常に親の視線を気にし、良い子でふるまい、悪いところを出さないように気を付けなければならない。しかし悪いところもその子どもの一部だ。それを抑え続けることが、いつまでも続くことはない。

だから良い子は爆発する。良い子ほど、凄惨な事件を起こす。良い子ほど我慢しているから。「まさかあの子が…」と近所の人に言われる。

だから、子どもの悪いところを否定してはならない。愛するということは、悪いところまで受け入れることだ。


これと同じことが、ありのままの自分を受け入れるということだ。

自分の悪いところも、自分の一部。

「私はそういう人間です」と受け入れること。

「ずるい人間です」と受け入れること。

「卑怯な人間です」と受け入れること。

それでいい。

ありのままの自分を区別しない。

「そんな人間じゃない」と否定しない。

それが、自分が自分を愛するということ。

母親が子どもを愛するように、自分が自分を愛する。


ありのままの自分でいいとは自分で自分を愛すること

それは苦しい作業だ。

認めたくない自分を認める作業だから。

出来の悪い子を、愛さなくてはならない。

目をそらせるなら、そらしたままでいたい。

それを許さないのが、ありのままの自分でいるということ。

しかしそれができたとき、自分で自分を愛することができたと言える。

それまでは、自分を他ならない自分が否定していた。愛していなかった。


悪いところも自分の一部。

良いところも自分の一部。

受け入れる内容は区別しない。

全てが自分自身。

それが、ありのままの自分でいいということ。


ありのままの自分を受け入れると、そこには安心が生まれる。穏やかさがある。

自分を自分が愛する。これ以上の安らぎは無い。生きづらいと思っていた人生に光明が見える。


あなたは、ありのままの自分でいたいと思ったことがあるだろうか?

もし思ったのなら、今これを読んでそれでもありのままの自分でいたいと思えているか?

思えたのなら、それは大きな一歩。

あなたは今、自分の悪いところと向き合う覚悟が生まれた。

あとは、時間をかけて向きあっていけばいい。急ぐ必要はない。焦ることもない。

愛することに、急ぐことも焦ることもなくていいのだから。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?