11月18日のメモ

恋人って、恋人が欲しくて作るもんなんか?
→まあそれでもいいんじゃね
→自己目的化しすぎでは?

自分はどうだったかな
→恋人が欲しいという考えはもとからあった
 →「この人を恋人にするんだ!」という考えがある時期から芽生えたような気もする
→結局、「一緒にいたいだけなら友達でもいいんじゃない?」という類の考えはしたはずだから先述は少し違うのかな
 →「“ちゃんと”一緒にいたい」とか、「一緒にいると落ち着く」とか、あとは独占欲的な何かが芽生えて告白に至った

独占欲、かぁ
→あれだけ嫌っていた「依存」というものに今はどっぷり浸かっているなぁ
(人間ってなんかに依存せんとあかんのか?両極端しかできひんのかな、中庸を目指そう!みたいなことを考えてた時期がかつてあった)
(いい意味でも悪い意味でも、「依存」を認めてあげられるようになった)
→あれ、私は何に依存してるんだ?

何に依存してる?
→彼女やろ
→それだったら、「Twitterで悩んでる自分」の方が適切なのかも
 →悩まなくてもいいことで悩んでる
→考えなくていいことに対して考えてるなら、ある種の「自分離れ」をすべきなのかもしれない

悩まなくていいこと
・彼女とのこと
 →好きで一緒にいて幸せならもうええやん
・将来と専門のこと
 →どうせ諦めるなら考えんでいい(これは違う)
 →自分の道を進むしかないじゃん

そもそも、将来と専門に関する悩みについて
←自分の友人が、「私が頑張ってる」と思ってる分野について専門外だけど私より詳しいことへの劣等感
←結局誰にも勝てへんやんという劣等感
 →そもそも「ある程度誰にも負けない」ってどこまで行ったらそうなるの???
→でも、自分って、1番じゃね?

・〇〇学をそれなりに極めようとしても、結局それって「私からみた〇〇学」「私のしてきた〇〇学」じゃん
→それってその範囲において1番じゃね???
つまり、既存の切り分け方ではなく、自分の世界の切り分け方において自分は1番なんだから、それでええやん!!
(今→は???)

自分のことを1番みてきたのは、自分。
主観客観はあれど、18年半、片時も離れず自分を見てきたのは自分だけだから、「世界の中で“オレという範囲”においてオレは1番詳しい」んだよな

なんか昔、「現在の自分は過去の自分のその時々における最善の選択の帰結」なんだと思ってそのあと数日間生きる希望に満ち溢れてて、その時に似た感じ(だと思ったけど今そんな自己肯定感に満ち溢れてない)

結局人間って、自己中心的であるべきだと思う。それがあらゆる世界の中心ってことではなくて、他者の世界の中心はその他者だし、人によって世界の中心は違うよね。それって矛盾しないよね。

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