シリーズ『就活の哲学草稿』第1回 序論

こんばんは。さみだいです。勢いで2つ目書きます。

シューカツアンチをやっております。さみだいです。
学部3回生になり、シューカツに足を突っ込んでみた。

シューカツのヤバさを暴く

シューカツは、かなり抑圧的なものだった。何が、どう抑圧的だったかはこれから順番にすこしずつ書いていく。とにかく、現代社会の、加速し続ける消費社会/情報社会/管理社会/個人主義/資本主義の縮図、フロンティアだった。

ヤバいことには、ヤバいと言わなければならない。たぶんシューカツは一部の人にとってはスリリングなゲームのように見えているかもしれない。そういうふうに考えられるのはまぁ、生き方としてすごく魅力的でいいことかもしれない。でも、ぼくはこれからの人生を決定することを、ゲーム感覚で決めるのは少し違うような気がする。ゲーム感覚でいられるのは、それなりの勝率が確保されているからじゃないのか。自分も心のどこかで「やってみればそれなりの戦績を獲れるのではないか」と思ってしまっているが、全敗は怖い。人生を決めるゲームで全敗なんて、笑えない。ヤバいことだ。

そんなものは、みんな経験しているのだと言う人がいるかもしれない。
では、みんなが経験しているものなら自分も我慢して耐えなければならないのか?
その抑圧は、本当は経験しなくてもいいものなのではないか?
経験しなくてもいい抑圧を、みんなが経験しているというウソのせいで経験しなくてはならないのは、おかしい。シューカツはクソだ。

それでは、シューカツをやめればいいという人もいるかもしれない。
いや、働かなあかんやろ。もちろん、最終的にはシューカツからの自由が必要で、最もラディカルなシューカツは間違いなく就活しないことだろう。でも、働かなあかん。ラディカルなことをするには、勇気が必要だ。革命はそんなに簡単に起きない。ぼくにはラディカルなことをする勇気はない。
だから、シューカツをする。ラディカルな気持ちを、姑息的な実践の中にマインドとして組み込む。シューカツをしていく。

シューカツに向き合わなければならない。
そして、シューカツに向き合うということは資本主義の縮図、フロンティアに向き合うということであり、結局資本主義に対峙するということだ。

ぼくは資本主義がどんなものか知らないが、シューカツを通して、資本主義の邪悪さを暴いて見せたい。

シリーズ『就活の哲学草稿』とは

ぼくは、シューカツアンチとして、『就活の哲学草稿』という形式でちょっとずつエッセイ的なものを書けたらと思う。シューカツをやっていくなかで、クソだと思ったことを、どこがどうクソなのか分析していこうと思う。

ぼくは、哲学の専門的な教育を受けていない。というか、いかなる科目の専門的な教育も受けていない。哲学の原典も読んだことがない。さいきんはやりのマルクス入門書をぺらぺらめくったり、気になった難しそうな本を積読してみたり、人文界隈の著作家のエッセイを読んでみたりする程度だ。

最終的な目標は、この『就活の哲学草稿』をちゃんと原典にもあたって、具体的な哲学の話に基づいて書きなおして『就活の哲学』を著することだ。
もちろん、ぼくはこれまで何かを成し遂げたことがないので、そんなことはなくて『就活の哲学草稿』でさえ第2回があるかどうか怪しい。

『就活の哲学』は、シューカツをしなければならないが、シューカツの抑圧性に目覚めてしまった人のためにある。シューカツの、資本主義の抑圧を自覚しながら、それでもそこから真反対の方向を向くほどの勇気は持てない人のための自己啓発書になればと思う。

ツイートもしたし、勘のいい人なら気が付くかもしれないが、プルードンという昔の賢い人の著作に『貧困の哲学』というのがある。途中まではイイカンジに理論展開が進むのだが、結論が気に食わない。(これも、読んでいない。)そこで、マルクスというこれまた昔の人が、それを批判して『哲学の貧困』という文章を書いた。(これも、読んでいない。)という話がある。

『就活の哲学』は、結局ラディカルではない。シューカツへの自由を説くことしかできない。ほんとうは、みんな一斉にシューカツなんてやめてしまうべきなんだ。シューカツがあるから苦しみが増長されるのだ。シューカツから自由になれたらいいのに。だから、誰かが『哲学の就活』という本を書いてほしい。ぼくにはできなかったことを、してほしい。

哲学が、シューカツに悪用されてしまうことをボロクソに批判してほしい。デカルトが、カントが、ヘーゲルが、ハイデガーが、リクルートスーツに身を包み集団面接を受けさせられている表紙が見たい。

今後の予定

今後書いてみたいことをなんとなく考えているので、先に書いておく。書くかどうかはわからない。
草稿なので、ヤバさを語るにとどめておく。
決して、決して哲学がわからないからとか、徹底した分析はめんどくさいからとかでは、断じて、ない。

「新しい用語が生まれてくることのヤバさに自覚的になろう」
「『シューカツ生のためを思って』近づいてくる企業から逃げろ!」
「エントリーシート、〇ね」
「ミスマッチを防ごう、は欺瞞」
「幅広い視野とかいう発想はクソ」
「主体的な選択なんてない」
「自己分析のヤバさを暴く」


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