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ぐっときた記事;さようなら「デザイン思考」
実は、僕の最初のこの業界(公共経営業界というのでしょうか)に入った時のタイトルはワークショップデザイナーでした。なんだか恥ずかしいです。
結局、その後、ワークショップでは、知りたいところが掴むことができないということに気づき、いわゆる「親和図法」の限界をしり、使うところは限定的としてきました。付箋を使うだけでは本音がわからない。本音をしることにはどんな手法がいいのだろうかと。
その後「業界」はデザイン思考の波が登場にある一定の定着がみられると思います。それでも、勉強になるもの、ないものが玉石混同だなぁと思っております。
その気分に近いのが、↓の記事でした。
さよならすべきなのは、デザイン思考ではありません。カッコ付きの「デザイン思考」です。ただただ付箋を使ったり、ただただ拡散と収束を繰り返したりする、その「デザイン思考」とは、もう、おさらばしましょう。さよなら。さよなら。さよなら。
デザイン思考と「デザイン思考」。その一番の違いは、先ほどお話しした「人の気持ち」を考えているかどうかにあります。デザイン思考は、イノベーティブな「モノ」をデザインするためのメソッドではありません。心地いいとか、楽しいとか、ホッとするといった、「人の気持ち」をデザインするためのメソッドなのです。
しかし、その後、親和図法の根元の本である、『発想法』川喜田二郎を読み返すと、全く、その当時とは違った感想になっています。実は、付箋を使って議論の進めていく親和図法、KJ法は、机上の帰納演繹モデルを壊すために考えられていたということに気付いてしまいました。付箋を使って、帰納演繹モデルをいったん解体し、そして、再構築するための手法だったと。つまり、本音を聞くことで、机上の議論を再構成することだったのだと。
ありがとうございます!