顔占い10 氣濁神枯 必是貧窮之漢 中国古典の私流のアレンジ/氣が濁り諦めた眼は不運な状態かもしれません

顔占いは中国の古典(神異賦{しんいふ})があるのですが、

それを日本語で私の感覚でアレンジしたものを書いていきます。
人相学古典の読解です


(10氣濁神枯 必是貧窮之漢)

「顔や身体全体から出ている生命力の雰囲気が濁っていたり

 眼から出ている精神力の雰囲気や勢いが弱っている人は 

 必ず貧しくて生活や生き方に困っている人です」


氣(キ)とは顔占いでは人の生命力や活力や勢いなどの雰囲気を現す言葉です


濁(にごる)とは、言葉そのままの意味でよごれて汚くなっている状態です


神(シン)とは顔占いでは主に眼の光の具合や感じを現す時に
言う事が多い言葉です


枯(かれる)とは、植物では水分がなくなって萎れた状態ですが

ここでは弱っているとか力が無いとか勢いがない状態を指します


必(カナラズ)は「かならず」です


是(これ)は「~である」とか、正しいという意味です


貧窮(ひんきゅう)とは「貧しくて生活に苦しむ」という意味です


之漢(のかん)とは、正確には「~の男」という意味ですが

ここでは男女に分けないで「~の人」と取るといいと思います


まず始めに氣と神の説明をいたします


顔占いでは神とか氣という言葉がたくさん出てきます

神も氣もほとんど同じ意味で使うことが多くて

生命力や活力とか、勢いとか、あるいは精神力の事を言ったり

元気、やる気とか「生き生きした感じ」と説明することもあります


「神氣(しんき)」と言ってくっつけて説明することもありますし

神と氣は分けて説明することが難しいぐらい意味が同じです


ただ、神異賦の原文の中ではやや使い分けがされている傾向があり

氣という時は、顔や全身を観たときに使うことが多くて

顔や身体から発せられる雰囲気や生命力を表現する時に

使う場合が多いです


神という時は、眼の状態を説明をする時に使うことが多いです

神氣は眼から発せられるとか、

眼に神が無い(60 両目無神~)とかいう言い方をして

眼と神を一体として説明することがとても多いです


神という時はその人の精神力の事を言う時も多くあり

活力、生命力のほかに「気力」という意味が加わることもあります


それでは詩句の説明に戻りますが

氣が濁るとは相手の顔や全身をみたときに

顔や身体から発せられる雰囲気が濁って観えるのです


具体的には雰囲気が汚らしい感じがすることを言います

よごれている感じとか、なんか清潔ではないキレイではない感じです

不潔な感じとか、その人の周囲だけ空気がよどんでる感じです

実際に顔や身体を見たときに汚く見えることも多いです


本人は服を毎日洗濯していて顔や頭を毎日洗っているのに
汚く見えたりします


これは不思議なのですが本当にそう見えるのです

なかには近づくと実際に臭い人もいます


気が濁るのは本人の生き方や性格に原因があります

自分の動物的な本能にばかりに身をまかせて生きていると

顔の皮膚がゆるんでたるんでくるのです

皮膚がブヨブヨしてきてブクブクと太ったような感じになるのです

それがもっとひどくなると皮膚の色がおかしな色になってきたりします


また起床、食事、生活などをそのときの気分や思い付きでするような

いい加減でだらけた生活をしていると

このように濁った汚れた氣になってしまうので

自分で自分の生活や生き方を律していかなければなりません


自分の生活や生き方を自律して整えていくと

顔や身体から出る氣は比較的早く変化しますので

正常な状態に戻すのは全然難しくありません


ですが悪事をおこなっていると戻りません

そこは特に注意して下さい


次に「神が枯れる」についてですが

神は眼の状態に現れます

特に「眼の光の具合」に現れます


眼を観る時は目つきから始まって眼の周囲の色や状態とか

眼の形とか眼の運びとか視線の移動や方向とかも観ますが

特に眼の光が強いのか弱いのか、清いのか濁っているのか、

正しい眼か正しくない眼なのか、は重要です


眼の光が弱いのは一番良くない状態で危険です

人生に絶望したときとか、生きる目的や希望を失ったときに

眼の光が弱くなることは多いです


あと命にかかわるような病気になったときも眼の光は弱くなりますし

寿命の終わりが近い時も眼の光は弱くなるのです

生命力や生きる気力が弱ると眼の光も弱くなるのです


この詩句にある「神が枯れる」とは

まさにこの眼の光が弱くなった状態だと思ってもらって良いです


それ以外でも眼の光が濁ったり、暗くなったりすることも

広い意味で神が枯れるという状態を現しています


眼にはその人の感情や精神状態も現れますので

眼の状態の確認(神の状態の確認)はとても重要です


ただ注意することとしては

相手の顔を観る時はいきなり眼から見てはいけないのです


まずは相手の顔全体や全身の雰囲気から観ていって

眼以外の顔のパーツや部分を個別やセットで観ていき

最後に眼を観る、という見方が正しい順番になります


眼の印象はインパクトが強いので

いきなり眼から観ると判断を間違う場合があるようなのです


それからいきなり眼から観たときに

相手の方が人格的に強い場合(魅力的も含む)は

相手の眼光に魅入られてしまって正しい判断ができなくなります


そういう事もあるので必ず顔全体から観ていき

最後に眼を観るという順番を守ってほしいと思います


それでは続きの詩句の意味の解説を続けます

顔の気が濁って眼の光である神が枯れた人は

「必ず貧しくて生活や生き方に困っている人です」とあります


これは生きる目的や目標が無くていい加減に生きている人の
ことだと思います

あるいは自分の動物的な本能だけで生きている人のことを
言っているのだと思います


ですが例え目的や目標が無くても規則正しい生活をしていると

この詩句が言うように気が濁ったり神が枯れたりはしないので

自分で自分を律して規則正しい生活をしてほしいと思います


そしてなんでもいいので自分のできる範囲で社会や周囲の人に

お世話になっている恩返しのつもりで貢献や奉仕をしていると

いずれ運勢が変わり自分を取り巻く状態が良くなります


そして自分が思ってもみなかった何らかの幸運が手に入る

機会が巡ってきます

なので投げやりにならずにその機会がくるのを待ってほしいと思います


氣   生命力やその雰囲気

濁   にごって汚れているさま

神   眼の光とか精神力

枯   弱い状態

必   かならず

是   である

貧窮  貧しくて生活に困っている状態

之漢  の人

(10氣濁神枯 必是貧窮之漢)

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