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中途半端が一番ダメ?

中途半端が一番ダメ

よく物事に取り組んでいる、もしくは取り組もうとするときに聞きますね。

実はこの「中途半端」という言葉に実は苦しめられてる人っているのじゃないでしょうか?

何を隠そう私がそうだから。もしかしたら私だけかもしれませんが(苦笑)

私は小さい頃に「中途半端」という言葉を突きつけられ、それによって自分が取り組んだことを常に中途半端だと捉える癖がついてしまいました。

あまり詳しく覚えてませんが、中学校のとき学業の成績について親から中途半端だと言われた記憶があります。たしか80点のテスト結果に対して、このままだと90点まではいかない、中途半端だ、みたいな感じでしたかね。

実はこれより前段階でいくつか中途半端エピソードは積み重ねており、例えば、習い事の水泳で1級までいかずに2級で辞めたり、野球やってもレギュラーになれず途中で部活行かなくなったり、音楽もバイオリンやってたけど辛くて途中で辞めたり、と自分でも自覚があったのだと思います。

たまたまそんな折、自分なりに頑張って点数を取ったテスト結果に対してそう言われた(ように捉えた)ことが引き金になって、自分は中途半端だ、やり抜くことができない人間だと自分で思い込むようになったのでしょう。

これ以降、何をしていても中途半端を意識するようになっていた気がします。
それは自分にどこか自信をなさを出す一端となっていたことでしょう。

社会人になっても、仕事でさらに向上できる、自分のやったことがまだまだ、だからもっとやらないと意識高くやっていたつもりですが、何をやっても中途半端に思えてきたり、とにかく人と比べて自信をなくすことも多くありました。

人と比べていては誰の人生も中途半端だらけだと思います。

やり切るって言葉がありますけど、何となく分かるけど、あまりしっくりこないんです。

やり切るっていったい何でしょう。

それは単なる物事の捉え方であり、自己肯定感の高さによって解決することのような気がしてなりません。

私は学生時代に長距離走が得意で、学内のマラソン大会では上位に入ろうと自分なりに頑張ったことがあります。結果1000人中36位という結果でした。自分なりには頑張ったと思いますが、これを中途半端と捉えることもできるし、よく頑張ったやり切ったと捉えることもできます。

問題なのは「中途半端」という言葉に囚われ続け、自己評価を失ってしまっていることなのだと、いまこれを書いている段階では言えることです。

ただ当時はひたすら中途半端のループでした。

そんな自分がこの「中途半端」ループから少しだけ解放されるきっかけがあったのでシェアします。

とある飲みの席にてお会いした社長から言われた言葉

当時自分が24歳、彼が30歳前後だったと記憶してます。
自分が上記のような何をやっても中途半端である悩みを打ち明けたところ

「そんなん言ってたら、俺なんか中途半端だらけだけどね。小学校のとき、サッカーやって、テニスやって、空手やって、野球やって、ピアノやって、、全部途中で辞めたからね。でも俺は自分が中途半端って思ったことがない。むしろ君に言われるまで気にもしてなかった。」

正確には覚えてないけど、そんな感じのことを言われて、自分の中でスッとつっかえが取れる瞬間がありました。

中途半端、なんて本当に捉え方なのです。
自分の思い込みなのです。
誰かが言った中途半端の言葉にとらわれる必要はないのです。

そうやって考えない人にとっては馬鹿らしいことで悩んでいるのかもしれません。
でも自分のやっていることを中途半端だと捉えてしまう人はいるものです。

おそらく「中途半端」でいいんだよ、と面と向かって言ってくれる人はそうはいないと思います。

ただ「中途半端は一番ダメ」という意識高い言葉がピックアップされ、我々の目に耳に飛び込んできたとして、真面目な人ほど聞き流して聞くようにしてください。

中途半端かどうかなんて、人が決められることじゃない。

正直このテーマを出すこと自体、自分の情けない考えを晒すことになり、恥ずかしという思いがありました。
ただ少しでも多くの人が「中途半端」という言葉から解放されていただければと思い投稿した次第。
ぜひ良い捉え方をしていただけると幸いです。

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