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摂理 元国際宣教局長の告白-2023年5月10日

原本はこちらです。
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私は摂理の元国際宣教局長です。摂理で使っていた名前は「チョッサラン、初恋」という意味でした。 しかし、私の摂理とチョン・ミョンソクに対する初恋は、チョン・ミョンソクが犯罪者であることを知らなかった時の愛でした。 なので、今はその名前も、その愛も捨てました。
この文章を見て、一人でも多くの人が真実を知って、脱会することを願う気持ちでこの文章を書きました。

何よりもまず、自身の罪を認め、申し上げたいことは、私は幇助者、協力者であり、私が関わったことに対しての法的な処罰は甘んじて受けるつもりです。 そうしてこそ、これからの人生で少しでも私の良心に恥じない生活を送ることができると思うからです。

この摂理の事件で、被害者と加害者を区別する境界線は本当に曖昧ですが、私は、私自身についてこう思っています。
私が私自身を許すことができないので、少なくとも私が加害者の立場でしたことに対する責任と処罰が終わるまでは、私を被害者として見ることはできないと思っています。

先日、拘束令状が出て、裁判所で審査のために他のすべての被疑者、まだ脱会していないメンバーと一日中同じ空間で待たなければならないその状況で、月明洞での時間が思い浮かびました。
まだ脱会していない随行秘書(同行してまわる秘書)、指導者のメンバー達を久しぶりに見ました。 彼らも被害者なのに、、自分が被害者であることも知らずに加害者になっていました。

神様の歴史のためだと思えば、なんの心の抵抗もないでしょう。 私もその立場をよく知っているので、彼らを見ると心がとても痛くなりました。 審査が終わった後、結果を待ちながら皆が何時間も刑務所に入っていました。
一人でぽつんと座っていると、私が今日、脱会者として来たことが、本当に奇跡だと思い、感謝の気持ちが心に湧いてきました。月明洞は鉄格子がないだけで、刑務所より地獄のようだったので、むしろここの方がましでした。

チョン・ミョンソクを知る人なら驚かないでしょうが、私の被害は数え切れません。 私は脱会するまでそれを被害と認識することもありませんでした。 しかし、前半期の何人かの姉妹のように祝福だと考えることもありませんでした。 これをどう理解すべきかははっきり分かりませんでしたが、メシヤの行動を世の中の基準で判断したり、審判を下すことはできないと思いました。

何よりも、私が尊敬し、絶対に信じるチョン・ジョウン牧師がこのようなことを知りながらも、チョン・ミョンソクをメシヤとして絶対に信じていて、彼を罪人として見ないので、私もそう信じなければならないと思いました。
私が愛していた幸せで理想的な摂理の良い部分だけを考え、この部分については考えないで、目を閉じて生きていこうとし、誰にも言ったり、尋ねたりもしませんでした。

その間、このようなことを知りながら、被害を受けながらも、なぜチョン・ミョンソクが無実だと主張して生きてきたのか、今更嘘をついているのではないかという摂理の人たちがいると思います。

摂理人たちが信じている、また私も信じていた「チョン・ミョンソクの無実」は、「チョン・ミョンソクがそのような行動をしなかった」ということではありません。 天の人であるチョン・ミョンソクの行動は、世の中の法で裁くことができない」という信念の中で出てくる不合理な論理です。

ここで言う<天の法、チョン・ミョンソクの無実>は、ただ虚偽であり、欺瞞であり、罪悪であるだけです。 それを私も今更ながらに確信しています。

今思えば、まるでこのすべてのことが家庭内暴力(DV)と似たような状況だと感じました。 男がどんな人かわからないまま、恋に落ち、未来を約束した後、、暴力が始まっても、女性が離れられない理由は、すでにその人に気持ちを捧げてしまったからでしょう。。
だから、「この暴力さえなければ、他のことは全部良いんだから、私たちは幸せな家庭になれる」という追い詰められた希望から抜け出せないように、、。

私もチョンミョンソクの実体を知らずに、摂理の歴史とメシヤに心を全部捧げました。10代の頃、韓国の教会という教会に通いながら信仰を探した私は、摂理に出会った時、とても幸せで希望に満ちていました。
この摂理を愛し、メシヤを愛しました。 後で、チョン・ミョンソクの実体を知りましたが、「この問題さえなければ、他のことはすべて良いんだから、私たちは幸せな摂理になることができる」という追い詰められた希望を捨てられませんでした。
初めて摂理に会った時に味わった「私の記憶の中の幸せな摂理」を諦めるのは難しかったです。 しかし、私の前で他の子たちが被害を受けているのを目の当たりにし、皆が実体を知ってしまったので、もう手のひらで空を覆うような生き方はできなくなりました。

2018年に、時々私は家に一人でいる時に、こんな考えがよく浮かんできました。 「チョン・ミョンソクはもう歳をとったから、もうすぐ死ぬんだろうな。 チョン・ミョンソクが死んだら、もうこんなことはないだろうから、その時は本当に摂理の歴史がうまくいくんだろうな。。」こんなことを考えながら、一人で泣くこともありました。 そんな時は、メシヤに対してこんなひどい考えを持ってしまうことに罪悪感を感じ、悔い改めました。
こんな考えを誰にも話すことができませんでした。
私を偉大なリーダーとして、さらにはロールモデルとして見ている人たちの前で、決して辛い素振りは見せられず、喜びながら、幸せに走っていこうと思いました。
私に明確な答えがないので、とりあえずは自分ができるところまで一生懸命走ろうと思い、どんな立場も示したくありませんでした。そうやって私は加害者になってしまいました。

私の目の前で性暴力を受けた子たちも、牧師さんが全部見ているのに、何も言わず、問題視もしないので。本人も問題視しなくてもいいと思ったのでしょう。 私の目の前で4人がそのような被害を受けました。

また、私が直接関わっていないかもしれませんが、海外にも何人かの被害者がいます。この子たちのことを考えると、毎日心臓が押しつぶされそうな罪悪感を感じます。 許される資格がないことはわかっていますが、申し訳ない気持ちで生きていきます。

この被害者の一人はまだ摂理を脱会しておらず、チョン・ミョンソクの無実を信じています。 もしその子が今、私の文章を読んでいたら、あの時守ってあげられなかったこと、本当にごめんなさいと謝りたいです。本人がこれをまだ被害として認識していないとしても、この被害者たちは自分たちの痛みを癒す時間もなく、絶え間ない攻撃を受けました。

摂理のメンバーたちが最近、ある被害者に「あの時はあんなに幸せだったのに、今になって何でそんなことをするのか。嘘つき。この子がこんなに元気に問題なく過ごしてきた証拠資料を見てみろ。」と攻撃してきたことを聞きました。本当に心が痛かったです。。

摂理側はこのように、「性被害が起きたのに、なぜすぐに話さなかったのか、だからこれは嘘だ」という論理を展開します。
しかし、この被害者たちは、すでにチョン・ミョンソクをメシヤと信じ、十数年間メシヤの権威、清廉さ、価値観、彼を無条件に信じて従うことを教育された状態でした。
摂理で特に教育するのは、「メシヤの行動や発言について、時には理解できないこともある。人間的な考えでつまづいてはいけない。 深く祈ればいつかその意味を悟ることができる」ということです。

また、チョン・ミョンソクに対して少しでも否定的な発言や疑問を提起すると、「信仰の落第者」あるいは「深く祈らず、人間的に判断する思慮の浅い人間」と分類されて管理対象になり、皆がまるで信仰の敗者を見るように扱います。
このような雰囲気の中で性被害が起きた時、これを
1.問題として認識し、
2.すぐに誰かに話す
ということは全く不可能です。

心の中にこのような地獄のような葛藤があるのに、信仰で乗り越えようと、幸せに生きようと、生き残ろうと必死になるこの絶望的な心は、経験したことのない人には想像もつかないほど複雑な苦しみです。

チョン・ジョウンに宣教を辞めたいという気持ちを何度も話しましたが、「まだ西洋圏にあなたの代わりをできる人がいない」と言いながら続けるように励ましてきました。

このすべての混乱から抜け出したいので、チョン・ミョンソクにも直接宣教を辞めたいと言いました。 チョン・ミョンソクは「あなたがしなければ神の歴史が狂う。主の隣にいる価値を知らなければ、神様はその人を捨てられる。私もメシアの使命をやらないといった時、死にそうになった。」などの話をしながら、絶え間なく説得、脅迫、洗脳をしました。私が月明洞を去りたい、使命を辞めたいと言えば言うほど、私を近くに置きました。

チョン・ミョンソクが出所して3ヶ月後、極度のストレスで突発性難聴を発症しました。 左耳が全く聞こえなくなりました。 今まで病気をしたことがなかった私は怖かったです。 健康のため、体を大事にしたいから宣教を辞めさせてほしいと泣きながら頼みましたが、チョン・ミョンソクは笑い飛ばし、むしろ私を月明洞にさらに縛り付けました。

チョン・ミョンソクは私を弄ぶ時、いつも海外のために言葉をかけたり、手紙をくれたり、電話をくれたりすることは、「あなたのためにやっているのだ」ということを必ず私に認識させるようにしました。彼に会いに行く度に、私自身が祭壇に上がる犠牲のいけにえのように感じることもありました。 しかし、私さえ我慢すれば、純粋に信仰を持つ海外メンバーたちが私が望む「幸せな摂理」の中で生きていけるだろうと思いました。だから、そんな中でも海外の摂理がうまくいくのを見ると、本当にやりがいを感じ、嬉しかったです。

ある時、心が辛くて、私と近くで働いていた前半期のウォルソン牧師に「先生に会うたびに、体を売って子供たちを養う母親になったような感じがします。」とつぶやいてしまったことがあります。どういう意味か、彼は知っていたでしょうが、摂理では、チョン・ミョンソクに近い人はただ羨望の対象でしかありません。私が私の前で性暴行された子たちを守れなかったように、私を守ってくれる人もいませんでした。

チョン・ミョンソクが私を絶対に使命なしにはしておかないことを知っていたので、2019年に私は「もう韓国で牧会をしたい」と言い訳をし、チョン・ミョンソクがそれならいいと言って、私が海外宣教を辞めることをやっと許可しました。

チョン・ミョンソクとチョン・ジョウンは私が辞めるとすぐに清州、大田などの牧会地を提案しました。チョン・ミョンソクは「月明洞に近いところに牧会に行ってこそ、私にちょくちょく会いに来ることができるんじゃないか」と言いましたが、その言葉を聞いて、私は絶対に近くの牧会に行きたくありませんでした。 摂理人生で初めて、メシヤ様が与える使命を従順に受けず、少しだけ時間をくださいと言いました。

その後3年間、絶えず私に使命を与えようとしましたが、避け、静かに過ごしていました。 個人講義をしましたが、もう以前のように自信を持って証しをすることが難しくなりました。メシヤの隣にいることに感謝もできず、使命を果たしたいという気持ちも死んでしまった私の信仰が問題だと感じ、摂理の落第者のように感じました。主が私をこのように育ててくださったのに、天の歴史の役に立たないあまりものになってしまったことが恥ずかしく、いつも罪悪感を感じていました。

そんな中、昨年末にあるメンバーがチョン・ミョンソクの未成年者への性暴行について聞いたことを私に話してくれ、自分がその問題についてチョン・ジョウンと面談をしたところ、チョン・ジョウンが「チョン・ミョンソクが性犯罪を犯したのだ。出所前はこんなことがあるとは私は全く知らなかった。 あまりに衝撃的だった。」という話をした、ということを聞きました。

その時、私の脳を粉々にするような衝撃が走りました。 チョン・ジョウンは私にとって摂理のナンバー2ではなかったのです。私にとっては、ある意味、チョン・ミョンソクよりも信頼していた、一番の人でした。

私はチョン・ジョウンが言うとおりに話し、彼女が考えることを考えようとしてきました。 そんな尊敬するジョウンオンニが、チョン・ミョンソクには罪がない、メシヤだと、、、すべてを知りながらもメシヤの潔白と罪がないことを叫んできたので、私も今までのことを犯罪と見なさなかったのに、、
突然これが犯罪だと言い出すなんて、、、
しかも自分は全く知らなかったなんて、、、
そして10年懲役を終えて出てきた人が、未成年者にわいせつなことをしたなんて、、、
チョン・ジョウンはその面談したメンバーに、「海外は、私がすべての主犯で自分は何も知らなかった」と言ったそうです。。。韓国は、随行秘書の何人かに言及し、「彼らが全部やったことで、私は一度も女を繋いだことがない」と言いました。

もちろん、私の過失と介入に関してはすべて認めます。

しかし、彼女が「私は何も知らない」というなんて。。

私が見た海外の子たちの被害のうち、いくつものケースが、チョン・ジョウンが<閉鎖された空間で会うように>と面談を組んだので、起こったことでした。 そのうちの一人の子は、チョン・ミョンソクに触られた時、部屋を出てチョン・ジョウンに混乱して焦りながら話したら、チョン・ジョウンが笑い飛ばしたことまで覚えていると言いました。

出所後、下着姿で寝ていたチョン・ミョンソクがいる寝室に私を夜遅くまで置いておいて、「今夜はあなたが先生をよろしく頼む」と言って、自分は疲れたからと言って家に帰ったのもチョン・ジョウンです。 その日、私は本当にひどい目に遭いました。 それでもチョン・ジョウンを、チョン・ミョンソクを守ってきました。。。
なのに、自分だけが潔白で、一度も女を繋いだことがないなんて。。

その時、私の頭の中ですべてが壊れました。

"ああ、チョン・ジョウンは自分だけを守ろうとするただの嘘つきで、
チョン・ミョンソクはメシヤではなく、ただの性犯罪者だ。"

これが真の摂理の歴史であれば、仮にも使徒と呼ばれる人がこのように状況によって言葉を変えて自分だけを守ろうとすることはないでしょう。 迫害と困難があっても、本人が涙を流しながら叫んできた御言葉を叫び続けなければなりません。私たちは、ただチョン・ジョウンが噛んで吐き捨てたガムでした。

チョン・ジョウンがある時、私にこんな発言をしました。 「先生は隣にOO(随行秘書の一人)がいるのに、OOを触ればいいのに、どうして他の子に触るのよ」。 この言葉を聞いて、彼女の意図がこうなのだと分かりました。 どうせチョン・ミョンソクをコントロールするのは難しいから、私のような人、随行秘書のような人、絶対信仰のある人はいくらでも被害に遭っていいように彼の周りに配置したのです。

チョン・ジョウンは「性被害」を防ごうとしたわけではなく、ただ「性被害によるスキャンダル」を防ごうとしただけでした。

彼女はその発言の後、笑いながら言いました。 「確かに、OOはちょっと反応が面白くなさそうだものね、、」

チョン・ジョウンは自分の好きなように被害を受けても問題ない人を選びました。 彼女たちが自分のように加害者になることも知っていました。 チョン・ミョンソクがどんな人間か誰よりもよく知っているからです。 しかし、今になって自分だけが正しいふりをするその偽善には本当に反吐が出ます。

チョン・ジョウンが白石教会で集会をして、涙を流しながら自分は何も知らなかったと言ったその日、そのニュースを聞いて私はメディアにインタビューをすることにし、チョン・ジョウンについて暴露することを心に決めました。

音声を変えないようにわざとお願いしました。私が誰であるかを摂理のメンバーにたちに知ってほしかったからです。 遅くなりましたが、私は真実を話しているからです。 2時間以上インタビューをしました。 放送された部分は氷山の一角に過ぎません。

私は罰を受けながらも、真実を語り続けます。脱会後、これまでに約27人の脱会を手伝いました。私が拘留起訴されずに与えられたこの時間は、私ができる限り、真実を伝え続けるつもりです。

今が摂理の人にとって、摂理脱会の最後のチャンスだと感じ、さらに焦燥感を感じます。

これからチョン・ミョンソクは残りの一生を刑務所で過ごすでしょうし、性被害スキャンダルが再び起こることはないでしょうから、このような波風は二度と来ないでしょう。なので、最後の与えられた機会です。

私は最初は摂理を離れてからも、私が摂理で成長したこともあり、幸せなこともあったと肯定的に考えようとしました。 しかし、今私に残っているのは、毎晩私を訪れる悪夢と、罪悪感と、法的な罰と、非難だけです。

私のような恐ろしい苦しみを味わう人が二度と出てこないことを願っています。しかし、すでに私のような立場に立っている、まだ摂理を離れられない子たちには、この過程が怖くて苦しくても、むしろこれを経験して新しいスタートを切るようにと伝えたいです。

長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。私が経験したことは、私の過ちを正当化するものではありません。

最初に述べたように、私は加害者であり、幇助した人であったことを誰よりも私がよく知っています。胸を締め付けられるような痛みと後悔を感じ、すでに私の罰は私の良心から始まっており、この罰は一生終わらないことを感じています。

私を見て、摂理を信じ、信頼していた全ての方に、改めて本当にお詫びを申し上げたいです。申し訳ありませんでした。


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