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船の様々な人生(船生)をふと思ってみた

仕事が終わって家事とかも終わるとYouTubeを見ることがある。ミニチュア小物作りや猫とかいろんなものを見たりする。
そんなおすすめ動画の中に昔テレビで流れていたCMの動画が。
東日本フェリーのもので乗ったことはないが子供の頃このCMはよく目にしていた。
懐かしさのあまり見てしまったが本当に懐かしい。気になる方は『東日本フェリー CM』で検索を。

このCMに出てくるフェリーは様々なものがあるがその中で『ぼらん』というフェリーが何故か気になった。理由はよくわからないが何かモヤモヤいうか言葉にできないような物哀しいような感情が沸いてくる。
あまりに気になるのでこのフェリーについて色々と調べてみると…
と、その前にこの東日本フェリーという会社は現在存在していない。
ここで話すと長くなるので知りたい方はこちらを。

『ぼらん』
内海造船瀬戸田工場で建造され、1983年に苫小牧 - 八戸航路に就航した。船名はラテン語でとびうお座を意味する。
この他室蘭- 八戸航路、函館 - 青森航路にも用いられ、1998年3月に引退した。
その後、1999年1月に海外売船され、中国で大舜として、煙台- 大連航路に就航したが、同年11月24日、煙台から大連に向かって航行中、荒天で煙台へ引き返す際に火災が発生、山東省煙台沖で炎上沈没した。乗員乗客312名のうち36名が救助されたが、翌日までに118名の遺体が回収され、150名以上が行方不明となった。

wikipediaより引用

これを知った時ショックを受けた。第二の船生がこんな悲惨な最期を迎えていたとは知らなかった。だからあのCMを見たとき何とも言えない哀しいと言うか虚しいような言い表すことのできない気持ちになったのかも知れない。さっきも言ったがこの事故の事はウィキペディアを読むまで全く知らなかった。
多数の犠牲者が出た事は本当に辛い。

それじゃあ過去に自分が乗ったことのあるフェリーはどうなったのだろう?
過去に乗ったことのあるフェリーは昔釧路・東京間を就航していたフェリー、まりもとブルーゼファー。

『まりも』
近海郵船のフェリー航路開設のための第一船として日立造船に発注され、瀬戸田造船が建造した。1972年4月に東京 - 釧路航路に就航した。
1990年のブルーゼファーの就航後は予備船となり、1992年にオーシャン東九フェリーへ傭船され、東京 - 北九州航路に就航した。1996年11月、おーしゃんのーすの就航により引退した。
その後、海外売船されフィリピンのスルピシオ・ラインでPRINCESS OF THE WORLDとして就航していたが、2005年に火災で焼失、その後解体された。

Wikipediaより引用

10代の頃、私用で東京に行くことになり飛行嫌いの私が乗ったのが『まりも』
初めての船旅でワクワクしていたのもつかの間、沖に出ると船の揺れは激しくなりついに人生初の船酔いを経験することに。
東京湾に近づくまでは激しい船酔いで倒れてました(笑)
船内のまりも湯の湯船のお湯エライことになっていたのは今でも憶えてる。

『ブルーゼファー』
同航路に従来就航していたまりもに代わり、姉妹船のサブリナに続いて1990年に就航、東京 - 釧路を約31時間で結んだ。船名は従来のフェリーのイメージを一新すべく「青い微風」の意味でギリシャ神話に登場するゼフュロスの英語名を入れ爽やかなそよ風を象徴するものとし、アルファベットの最後となる「Z」を入れ「究極の」という意味を含んだものとした。
後に、帯広商工会議所の要望により上り便のみ十勝港への寄港を開始したが、旅客、貨物の減少が続き、1998年の通年乗船率は20パーセント以下に落ち込んだため、釧路港発着のRO-RO船による運航に切り替えられることになり、1999年11月13日釧路発の最終便に用いられ、11月14日で運航を終了した。
その後、中国の津川国際客貨航運へ売却され天仁となり、大韓民国の仁川港と中華人民共和国の天津港間を結ぶ国際航路に就航し、2020年にバングラデシュのチッタゴンに移送され解体された。

Wikipediaより引用

次の東京行きで乗ったのは『ブルーゼファー』
就航してまだ時間が経っていない頃だったのでまだまだ船内はピカピカ。
まりもと違い船の揺れはそんなにひどくなかった。
快適な船旅をしていると小さい男の子が船のフロント係のおじさんに『船のスピードもっと早くできないの?』と話しかけてた。
すると『じゃあ百万円下さい』と笑いながら答えてた『船の速度を早くするにはお金がかかるんだよ』
男の子は『えーーーー?!』とびっくりしてたけど係の人は本当なんだよーとニコニコしながら男の子の相手をしていたのが印象的。何か微笑ましい。
そんな思い出のあるブルーゼファー。
ブルーゼファーのウィキペディアの下の方にはブルーゼファーの現在地を知る事のできるリンクがあった。
早速行ってみると…確かに現在地を教えてくれたが。
場所は『CHITTAGONG BREAKYARD』時間は『2020-11-28 22:49』になっていた。
つまり、チッタゴンの解体工場で解体された。時間も当然そこで止まったままだ。
また何とも言えない哀しいというか虚しいというか表現出来ない暗い気持ちになった。

船としての役目は終え、解体されてしまったけど再生可能なものは形を変えて生まれ変わり新たな旅に出る。だからもしかしたら何処かでまた出会えるかもしれない。そう思う事にしたら少しは哀しみも薄れた。

『ぼらん』の人生ならぬ船生はあまりにも悲惨なものだが『まりも』はニ度の衝突事故を起こし、衝突した船の乗客で負傷者を出し、最後は火災で船生を終えることになったがそれに対して『ブルーゼファー』は大きな事故もなく船の役目を全うしたので幸せだったのかも知れない。

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