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武士道と大和魂

※ 写真:庭に生えてるミントでミントティー。


今日は
少し真面目な事を書こうかと思います。


以前の職場でよく

「武士道って何ですか?」
「大和魂ってどういう事ですか?」

と聞かれた事が有りました。

そして
多くの人から聞かれました。


「武士道って何なんだろ?」

「大和魂って日本人だけしか無いの?
でも自分の何処に有るのか解らない。一体どういう事?」



しかしながら
大和魂を語るには
武士道等(茶道・華道・書道・商人道等)の「道」の付く物が、何を求めてるのかを説明しなくては成らず、とても話が長くなるし、お相手が理解出来ない場合も多いので、少し避けていたのですが

簡単に言うと
それは生き方のスタイルの1つです。

○○道から学び大和魂に至る
という
人の生き方の1つ。

人は
日頃、意識している事の積み重ねが人生に成ります。

言い換えれば
何を意識するかで、その人の人生は決まります。

まぁ
なんとなく書く気に成ったので
今日は書き残して置こうかと思います。

(枇杷茶でチャチャチャ)


まず

「道」の付くもので思いつくのは
・柔道
・剣道
・空手道
・日本野球道

等の激しく身体を動かし、相手との技の上で勝敗を決めるスポーツ系

・茶道
・華道
・書道

等の心静をかに落ち着かせ、「物」を相手に形を表現する文化系


その他に
余りメジャーではないけれど、古くから近江商人達が大切にしており、現代も商店主や営業職の方々に受け継がれている

・商人道

人の生きる道を学び、体験し、体験毎に理解を深める道。


全ての「道」に共通し
学んでいて、重要な鍵となるのは

・相手と自分
・物と自分
・世界と自分

そして、それとの

・間合い
・バランス
・呼吸

それらに気を使う事

この3つに
テクニックや技は全く必要有りません。


全ての「道」に共通した
重要では有るけれど、初歩的なポイント。


そして
道を求める人間に重要なのが


・真っ白な素直な心
・何度折れても諦めない心
・常に自分を前向きに操作する心
・自分はバカで未熟者である事を常に自覚する心

自分の状態がどうなっているのか
自分に対する気遣い

こちらも
テクニック・技ではありません。



「道」を学ぶには
沢山の種類が有ります

しかし
道を学ぶその先の答えは全て同じ場所

道が求める到達点は
たった1つだけだと感じます。

(猫道?)


その「道」の到達点は


「気遣いの知恵」の修得1点のみ。


知恵とは

色々な知識
沢山の知識を自分なりにまとめ上げた結果に出てくるアイデアの事。

その目的は
人間として最高の人格に成る事


色々な
○○道
と言うのは、その道を学ぶ事により、その知恵を修得する手段の1つです。




現在存在する多くの「○○道」は
常に「他人からの評価」に重点が置かれているように感じます。

スポーツ系の「道」なら
・相手より強く成りたい
・勝つ為の技を磨きたい
・強い筋力を身に着けたい

そして
勝負に勝って他人からの称賛を受けたい。



文化系の「道」ならば

・綺麗に見せたい
・美しく見せたい
・慎ましく見られたい

他人から、その様に見られたい・・・

何かの「賞」を取って
他人からの称賛を受けたい。

その様な感じではないのでしょうか。


しかし
「道」を学ぶ上で、求める上で、他人からの評価は必要有りません。

むしろ
自分の軸が「ブレ」るので、本来目標に対し障害に成ります。



「私は○○道一筋です」
と言う人も沢山います。

むかしのマンガで
「柔道一直線」と言うのが有りました。


しかし
本来の「道」を学ぶには
1つの○○道を追求してるだけでは
ダメなのです。


一人の人間が
運動系の○○道も行い
文化系の○○道も行う

両方の○○道を
行わなければ、広い知識は得られない物なのです。


偉人と言われる武士達も

「真の敵は己の中に有り」

と言う様に

本当の学び相手
真の相手は「自分」自身だからです。

ベストを尽くさなかった自分
知識が足らない自分
迷ってしまう自分

自分が相手なので
本来は1人で学び歩むべきですが

その「道」と言うのが険しくて難解なので
他人の胸を借り、2人で助け合いながら学んで行く、
と言うのが武道です。

今の武道は
試合等で「敵役」が存在します。
しかし
本来から行くと敵ではなく
「知恵」にたどり着く為の
一緒に道を学ぶパートナーです。

スポーツ系の「道」は
相手に対する気遣い
自分に対する気遣い
気遣いを学ぶ事が目的だとおもいます

文化系の「道」は
物を言わない物を相手にする事が多いです。
物を使って自分の精神状態を表現する事。

物に対する気遣い
自分に対する気遣い

その
気遣いを学ぶ事が目的だとおもいます

○○道とは
気遣いを学ぶところ。


「知恵」とは
人間的成長の頂点を目指す言葉


丁度
ネットに素晴らしい図解が有ったので
引用させてもらいます。

(勝手に貼り付けましたスミマセン。解りやすく、素晴らしい図解です。)



この図の中で
データ → 知識 
までは、スムーズに行くと思います。


しかし、
次の「理解」と言うのが、とても大変な事です。

ここまで来ると、本当に理解するのが、とにかく苦しい。

何度も悩んで
何度も諦めて

頭では・・・
知識では解っている筈なのに
デキナイ・・・

口では上手に説明が出来るのに
少し出来たかと思うと
次は失敗する・・・



悔しくて
悔しくて
涙があふれる程、苦しい

とにかく悔しい。


そこが理解のエリア


心が何度も折れます。
何年もの間、眠れない夜が続きます。

悔しくて悔しくて
自然と涙があふれて来ます。


相手は自分。


なかなか成長しない自分


それがこの
「理解」と言うエリア。



ここを乗り越えるには

(自分は未熟者なんだから、もっと学ぼう)
(キレイな景色を見て心もキレイにして再チャレンジしよう)
(美味しい物でも食べて、もう1度やり直そう)

と言う

・真っ白な素直な心
・自分の未熟を素直に認める力
・諦めない力
・自分の感情を良い方向へと操作する力


とても重要です。

(my畑で毎日何かしらの収穫が有ります)


沢山の失敗からでしか学べない
精神的な大きな苦しみからでしか産まれない

それが
「理解」のエリア


僕はまだ
「知恵」の世界まで達してません


ただ
分かっているのは

「武士道とは何ですか?」
「○○道とは何ですか?」

と問われた時の答えは

「知恵の修得と自分と自分以外に対する気遣いを学ぶ事」
と言うこと。


知恵の在る人は

他人と争う事は有りません。


何かしら問題にぶつかったら

今まで得た知識と知識を織り交ぜながら

どうしたら
全体が喜ぶ事が出来るのか?

どうしたら
全員に利益が出るようになるのか?

神や仏が居るならば
彼等が喜ぶ事を提供しようとする者


そんな人は常に

戦わずにして勝つ。

それが知恵の力。

(盛過ぎ冷やし中華)

よく

(○○道で優勝しました)
(○○道が○段です)
(○○道を教えてます)


言う人は多いです

しかし
1番大切なのは「○○」の方では無く、「道」の方です。
試合をして道の答えを得ようとする事が○○道の存在目的です。

対戦相手に勝つ事ではありません。


この道の先には何が在る?


僕は
それが「大和魂」だと思っています。

多くの深い知恵を持つ者が集合体になると
知恵は「叡智」に成ります。

多くの知恵の総合力。


叡智の根底は


海外風・外国風に言えば


驚くほどの深い「愛」
他人の想像を超える「愛」


最上級の上の「愛」と言う言葉。

「愛」とは何か?

何に対しても
抜け目のない
「最上の気遣い」が出来る事


その言葉を
日本風に言うのが



大和魂。


戦前までの日本人には

「愛」と言う言葉は無かったと聞きます

明治の頃
夏目漱石が英語教師をしていた時に
「I love you」の訳を学生が
(私は貴方を愛しています)
と訳したそうです。

しかし漱石の翻訳の答えは
「我々の国の言葉にLoveを愛と訳せる言葉はない。
英語の I love you と言う言葉を日本風に訳すならば (月がとても美しいですね)と訳します」・・・


何とも美しく感慨深い言葉です。
ロマンチックじゃないですか。


世界には
言葉に表現できる程、薄いものではない。
行動でしか表現出来ない物が沢山ある。


それを言語化表現したものが
大和魂。



大和魂を得る為の「知恵」

知恵を得る為の「○○道」




最上級の気遣いと言う物を
シッカリと理解して行動している人々
または
それを得るために意識をして居る人々


それが
日本精神
大和魂


戦前までの日本人の成長目標だと感じます。


だから

いつでも知恵の力を
充分に発揮出来るように
心も道具も

道具の手入れ
心の手入れを
怠りなく行う

そして
整理・整頓
直ぐに動ける準備をして置く

物に対する気遣い
人に対する気遣い


まだ僕の能力が
知恵に届かなくても


(大和魂の在る言葉を使う事)
(大和魂の在る行動を行う事)

「この状況を大和魂に変えるにはどうするべきか?」

そういう意識する事で
自分のベストな人生が造れると思ってます。



損とか得とか置いておいて
真っ白で
素直な気持ちを維持させる事

生涯をかけて
大和魂を修得する事

それが僕の

求道の道。


(毎日が収穫祭)

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