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年末年始

※写真は元大ボス

明けまして、おめでとうございます。


毎年恒例
今年も仲の良い友人家族5家族
未成年2~16歳
成年35~75歳
総勢20名で、年末年始を迎えました。


子供って
コミュニケーション能力が本当に素晴らしいですね。

合った初日、1時間後には皆で遊び始めてました。

まだ言葉の使えない幼児には、ちょっと年上のお兄ちゃんお姉ちゃんが寄り添って、抱っこしたり、お菓子を食べたり、鬼ごっこをしたり。

「友達を作る」事の天才
「他人と仲良くする」事の天才です。


そこにテクニックは必要無く、だだ
「一緒に食べよー」
「一緒に遊ぼー」

って言うキッカケを投げかけるだけです。

コレって年齢は関係無いですよね。


僕の友達は、年を重ねると重ねる程増えていきます。

僕は大阪のオバちゃんの
「ハイッ飴チャンあげる!」って言うのと同じ事を日常化してます。

そしてお別れの時に
「アリガトね!」

と言えば、2度目に出会った時は更に嬉しい気分に成ります。

そんな和やかな雰囲気の中
仲間の子供の高1の男の子が留年決定と言う事で、悩んでました。

まぁ、原因は、本人の話だけを聞いても真理には届きません。
被害者.加害者、双方の話しの間に入らなければ見える物では無いですし。

しかし
確かに1回目の停学で無期停は、少し理不尽な感じ...。

その長期の停学になり、停学期間が長い為に出席日数不足に成る...
との事でした。

理不尽な出来事ほど、大きな学び、大きな成長に繋がる事は多いです。

僕が出来事を振り返って「理不尽」で有った事は

「思考の転換期」
「進路の変更期」の可能性が高いと感じてます。

そして
思考を転換した為に凄まじい成長が出来た。
進路を変更した為に凄まじい成長が出来た。

そんな事が多かったと思います。


訳が解らない程の理不尽は
自分でも、他人でも訳が解らない程の成長が待っている。
と思ってます。

そこで重要な事は絶対に
「抵抗」しない事
「対抗」しない事
「反抗」しない事。


そして
経験をして、その楽しい答えを知っている多数の大人に相談する
また
人気の有る多数の大人に相談する

とにかく
楽しく問題を乗り越えて結果を出せる経験しているか、その答えを持っている人だけに相談する。

そうすると
可能性が大きくて、楽しくて、しかも人生に目標が有れば、その近道を教えてくれます。


因みに
その相談相手を選ばず、楽しい結果を出せていない、ただの大人に相談すると、確実に潰されて、立ち直れなく成ります。

(少し仲良し)


その高1の子は、身体も人一倍大きく、バスケが好きで、プロバスケットボーラーに成るために、今の高校を選びました。

しかし
本人の長期の停学とバスケ部顧問の停職
それが為
その道も閉されたのでは無いかと感じていた所

仲間の1人が

「競技の世界は争いの世界だ。争いを仕事にするのは大変な事だぞ」
そして
「バスケは米国が本場、日本でバスケはプロスポーツとしてメジャーでは無い」

別の大人が
「フィリピンの国技はバスケだぞ」

別の大人が
「試しにフィリピンへ1ヶ月位バスケ修行に行って見れば?」

別の大人が
「俺はフィリピンで会社をやっていたので安心出来る知り合いが多い、今連絡してあげるから待ってろ」


と言い
しばらくすると

「おーい、今返事が来たぞ」
「1ヶ月位ならその人の家に泊めてくれるって言ってるよ」
「そこからプロバスケを持ってる企業へ話しを付けてくれそうだぞ!」


と言う事に成りました。


日本では遠い道程に見えたプロの道が
いきなり目の前に転がり込んで来た感じです。


別の大人が
「まぁさ、その1ヶ月の間、実際にプロの人達とその世界を目の前で見てみて、続けられそうならば継続すれば良いし、駄目そうなら他の道を考えれば良いんじゃない?」

また別の大人が
「でもさ、フィリピンは英語圏だから、その1ヶ月で英語の語学力は格段にUPするよ」


またまた別の大人が
「目標が有るならば、道は沢山有るんだから、ちょっとした事でイチイチ諦めてたらキリがないぞ〜」


と言うなり
次は具体的な問題へと移りました。

フィリピンで1ヶ月幾ら掛かるのか?
僕は料理が得意なので料理のバイトは有るのか?

等等の問題が提示され

フィリピンで1ヶ月の実質的な費用は10万円で有り余る事。
その家のオーナーの母親は家でレストラン経営している事等の結果を知り

ドンドンと問題が解決されて行きます。


そして

「強烈な希望が湧いてきた!
僕はフィリピンへバスケ修行に行きます」


キラキラ光る眼に変わってしまいました。

まぁ
今後どうなるかは解りません。

スポーツの世界は常に競争の世界
親たち.大人達が実現したい世界は共生と共存の世界。

厳しい現実が待っている事は確実です。


しかし、本人は
絶望から希望へと「光」が輝いていました。



その時の環境が
知識と経験を沢山持った大人達が沢山と
その子供たちで総勢20名



戦前迄の日本人の家庭は1家族の人数は10人位居るのが当たり前、そして、家の周りのご近所は全て親族。

いつも家の中は、沢山の大人と子供がウヨウヨしている環境

その時の環境と戦前の家庭の環境が、似ている様な気がしました。


沢山の知識と沢山の経験を持ってる大人達の間に親族の子供達がウロウロしている。

そして「問題」が起きたらその複数の大人達の知識と経験をぶつけて合わせ「智慧」を出す。

特に子供の問題は
現代社会の様な核家族内で問題を解決するのでは無く、数十人の親族全員で問題解決を探る。

子育ても
親が自分の子だけを育てるのでは無く、日常の生活やルール等は、少し年上の子が年下の子供を面倒を見る。
子供社会で子供は生活とルールを教わる。
大人達は子供へ智慧を伝える。

子供達も楽しいし、責任も感じるので年長者は勉強にも力が入る

大人達、「親」にも余裕が有る


大人が
子供に対して行なう1番重要な事は
生きる為の智慧を授けること。

子供は
親族の持つ、最先端の智慧を大人達から得る。


子供は
親だけでは育て切れない

親族の子供は親族で育てる。


そんな姿を感じた年末年始の仲間との旅でした。


(貫通した傷。元ボス猫へ初チュールをあげたら、食べ方が解らず噛じられました)


今年のスタートは上々です。


あと
元ボス猫の手懐けも、日々行ってます。

まぁ
僕の家へ来てくれるか、くれないかは猫次第です。


しかし
ナンカ、猫に「恋」をしてしまった気分で、楽しいけれど変な感じです。


元大ボス猫..
家に来てくれたら嬉しいデス。


恥ずかしいけど
野良猫に恋する男

青春がナカナカ終わりません。

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