大森靖子『超天獄』の考察

大森靖子さん作詞作曲の超天獄がカッコ良すぎた、素晴らし過ぎたのでnoteに書きたい。今回はその詞の個人的な解釈をしていきます。この曲は今の大森靖子はこういう作品ですという表明だなと思いました。では早速。

(歌詞)
エセエモ縋りついた
安くないと買えなくて
パチモンデコって暮らしてる
オシャレじゃなくちゃ殺される

→(解釈)
トレンドとして流行っているエモい作品、本質の中身は偽物なのにそれをなんとか装飾して時代の評価を受けている。今の時代は装飾して映えているところを人々に演出することに価値があり、装飾を施さない、映えないものは受け入れ難い世の中になっている

(歌詞)
怖い街無くなった
お手軽な夢ツマミにして
酒で群れてる青春て
世田谷なんか住んでたまるか

→(解釈)
「街」が難しくて解釈に困った。街=他人の集合体ってことなのだろうか?無くなったという表現から前は違ったと解釈した。

文脈から世間や他人からの評価を過度に気にすることも無くなったという意味に捉えた。

表面的なキラキラした安い目標や夢を掲げて仲間同士で何か成し遂げた気になっている青春を過ごす人間や表面的な見栄えだけ気にしているような人間にはなりたくない(世田谷住み=勝ち組、キラキラ余裕、映えの比喩)

(歌詞)
下剋上 vs 駆け抜けるトランス
下積み vs つくられたカリスマ
アドトラックのホストを睨む
甘えてるやつは時代に食われる
→(解釈)
vsということは並べられた二つは対照なのだと思う。音楽的な素地がないのでよく分からないがトランスという用語はEDMなどのキラキラした、ここでは批判対象のものを指すと考えた。

下剋上(ここでは上記へのアンチテーゼ、カウンターチャーなのか)vs元から流行りのカルチャー

地道な下積み(見栄えが悪くて綺麗ではなく、世間ウケはしないが中身があることの比喩)vs本質は無いハリボテのカリスマ(装飾を施して映えてはいるが中身がないことの比喩)

「アドトラックのホスト」は街中で見るホストの宣伝カーのこと。年収何千万!みたいなキラキラした世界を見せて世間的な評価を得てはいるがそのような世間の流れに対するアンチテーゼとして"睨んで"いるのだろう

そうした時代の正解に都合よく乗っかってキラキラ映えてることに価値はない。本物じゃ無いものは時代に置いてかれるぞ!


(歌詞)
スーパーのくせに映えてんじゃねえ
パチ屋みたいなコンサートだりぃ
ナチュラルテイストな添加物
顔の下半身真っ白な亡霊
→(解釈)
スーパーは本来人間の日常品を売る、生活(人間のある種汚い本質的な部分)に根ざしているのに、そこでも見栄えを気にする時代への風刺
パチンコ屋みたいなキラキラ装飾だけ立派で中身がないコンサートはクソ
ナチュラルテイストな添加物=健康に優しいことを表面的に謳っているが、無造作ヘアーのようなもので自然感を演出している時点で不自然だというウィットに富んだシャレ

「顔の半分真っ白な亡霊」はマスクをしているコロナ禍の現代人、さらに彼らを亡霊と喩えていることから自分の脳みそを使わずに世間の流行や映えばかりを追い求めている人、自分の価値判断を持たない人のことを生きていない、亡霊と喩えたのだと思われる

(歌詞)
全てに命ぶち込む宿命
少々手荒な音楽ですが
頭ん中一旦お揃いしまして
整っていきましょうや
→(解釈)
私(大森靖子)は時代のトレンドに合わせるような装飾こそしないが、全力で命をかけて自分の信じた音楽を作る、そしてそれを世間に伝えてこんな生き辛い世の中を変えることこそが自分の宿命なのだ。皆さん、私の音楽の世界に着いてきて一緒に!最高の所へお連れします!

(歌詞)
一面ブルー 空でも海でもない
一層ブルー 呪いも恨みもない
超天獄 ここは超天獄
命は重さはなくあたたかい
→(解釈)
その最高のところは天国や地獄といった単純な二元論に収まるような窮屈な所ではない。世間が正解(天国)や不正解(地獄)とみなすような次元では無い、それよりもっと高次元なメタの世界での超天獄へお連れします。ここは空も海も、呪いも恨みもない美しい世界です

「命に重さはなくあたたかい」=ここ個人的に一番好きな歌詞です。個人の解釈を述べます。現実世界では命は平等と言いながらそこに年収や社会的地位やフォロワーなど様々な要素で人に価値がつけられてしまいます。それを靖子さんは命の重さに喩えてるのだと思います。時代が正解を決めてそこに価値をつけて命に重さをそれぞれつけてしまうような現実世界へのアンチテーゼとして超天獄を作ったのだと思います。超天獄といった超次元の世界では他人に優劣をつけることなく、ただそこに皆が楽しい、嬉しい、美しいといった価値観を共有して優しく存在していることを歌っているのだと思います。まさに大森靖子とファンたちが作るこのライブの世界こそが超天獄なのです!


(歌詞)
家族 同郷 友人 同胞
誰も 触れない 美しき正体
私は誰でしょう
私は誰でしょう
わからないでしょうね
恐るるな 神聖
→(解釈)
親しい間柄、仲間たちも知らない、時代では測れない個人が持っている超次元での美しさを誰も共感することはできないでしょうね、ただその自分だけが持っている美しいという価値観を大事にして。その自分だけの感情は神聖で決して世間や時代が犯していいものではない。世間や時代の表面的な評価に怯えないで、恐れないで、そう私は私だけの特別、神聖。


(歌詞)
エログロシティポップ
サブカル地雷メンヘラロック
ジャンルだなんて何もかも
本物なれない言い訳さ
→(解釈)
この辺は結構そのまんま。エロとかグロとかシティポップとかサブカルとかメンヘラロックとかそんな誰かが与えた既存の枠組みで分類できちゃう芸術なんて本物って言えないよね

(歌詞)
キャッチコピー捨てちまえ
代名詞なき女になる
喧嘩を売った街だけが
私の街になってゆく
→(解釈)
そんな枠組み飛び超えた、世間に名前がつけられない未出の人間になってやる!

で。唯一解釈できなかったところ「喧嘩を売った街だけが私の街になってゆく」
どういう意味なのでしょう。。1番の通り街=他人や世間の集合体と考えてもよくわかりませんでした。その街でライブをして自分の芸術を見せることを喧嘩を売るって言ってるのでしょうか。。ここはよくわかりませんでした。

(歌詞)
どうだって良いことは金になる
天国の模倣品出回って
価値ないことが価値になる
さすればつくろう超天獄
→(解釈)
表面的に時代を準えて正解(天国)とされたものをマネすれば、それって本質的な価値はないけど時代にはウケてお金になるよね(本当は価値がないのに価値があるものとみなされる)

そんな生き辛い、どうしようもない時代だからこそ、もっと自由で本質的な、どこまでもいける世界を私が見せてあげる。天国でもない、地獄でもない、もっとメタな次元の場所超天獄!


(歌詞)
一面ブルー こんがらがって進ぬ
一層ブルー 散るため舞い上がる
超天獄 ここに超天獄
轍は使い熟す あたらしく
→(解釈)
轍は車の通り道、つまりは前例、伝統が時代に残してきた作品の形跡のこと。こうした過去の芸術を新しく使いこなすことでもっと時代を超越したすごい芸術を私は創る(使い熟す、読み方はつかいこなすだが、靖子さんは曲中でつかい"じゅくす"と歌っていたのでそこにもこだわりがあるのだと思われます。)

(歌詞)
加速 東京 有給 妄想
誰も 知らない 路地裏の肖像
あなたは誰でしょう
あなたは誰でしょう
わからないでしょうね
恐るるな 新星
→(解釈)
きました、分からないゾーン。「加速、東京、有給、妄想」ここに関しては謎です。恐らくですが1番の「家族、同郷、友人、同胞」に合わせて音をはめたのかなと思います。

誰も知らない路地裏の肖像、つまり周りの人がわかっていない、見つかっていないあなたの価値観、大事にしているもの、それを他人はわからないでしょう。でも大丈夫。時代からは新しくて既存の枠組みからはみ出した新しいあなたの価値観、感情、作品、正義(これらを新星と表現した、あっぱれ)を信じて!勝手に測ってくる世間や他人や時代を恐れず突き進め

(歌詞)
超天獄 ここは超天獄
超天獄 ここは超天獄
超天獄 ここは超天獄
ああ 間違ってないよ
→(解釈)
時代が正しい、正しくないと二元論で決めつける天国や地獄でもない場所で作品を作ること、間違ってない。装飾をせず、実力で、美しい世界を作る。時代に測れないものを作ろうとするこの姿勢、間違ってない。そしてそれを受け入れるあなたも、みんな間違ってないよ。

(歌詞)
家族 同郷 友人 同胞
誰も 触れない 美しき正体
私は誰でしょう
私は誰でしょう
わからないでしょうね
恐るるな 神聖
→上述


以上です!あくまで個人の解釈なので悪しからず。

大森靖子さんの作品を作る魂の叫びのように感じました。うわぁかっこいい、痺れるとファンとしてはやられました。

これまでの大森靖子さんは時代に生き辛い他人を想定してその人のことを思いやって書いてるような楽曲が多かったように思います。ただ今回は大森靖子自身をダイレクトに出した珍しい楽曲だと思っております。

でも、だからといって彼女の作る大きなテーマに変わりはないと思います。時代の生きづらさ、不条理さからくるカウンターカルチャー的な表現、それは既存の時代の価値観という呪いに苦しめられた多くの人たちを救うと思います。その呪いが人によっては可愛いであったり、社会的な孤独であったり、だと思います。最近の大多数の"みんな"の同調圧力であったり、感情をカツアゲ的な強要で共感させるような時代の生き辛さにメスを入れる彼女の音楽はこれからも多くの人を救い、新時代のジンテーゼとしてこれからの未来へ轍となって伝わり続けるでしょう。それが楽曲で表現されたように彼女の"宿命"なのかもしれません。彼女が作る最高で最強な美しい超天獄へこれからも私は1ファンとして参加し続けたい限りです。

超天獄ライブに参加した皆様、お疲れ様でした。素晴らしかったですね。

彼女のライブを見たことない方は興味を持ってもらえたら嬉しいです。大森靖子の作る超天獄に魂を揺さぶられると思います。では。

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