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『小説空生講徒然雲30


龍ヶ窪の池の底が見える。私に恐ろしさはない。もとい、我々一行に恐れはないだろう。奇縁で結ばれた我々一行には、奇縁こそ良縁であり、自然だった。イカレているのかも知れない。
水のなかにけむりが沸いている。それは水底に堆積された清浄な砂塵だった。おぼろげな砂塵が一行を導くようにはっきりとした雲の道を形作っていった。私は雲の道を導く空生講の案内人に過ぎないけれど、このときばかりは出エジプトを果たしたモーゼの気分でもあった。出グンマしたかいがあった。

龍ヶ窪の池の水は冷たかった。その、水のなかに有るまじき雲との境目は混濁して揺らめいていた。あまりにも水温が違うのだ。水雲みずぐもは生ぬるかった。
龍ヶ窪の池の底にぽっかり空いた窪みに水雲が吸い込まれていく。我々一行は、沸き立つ雲の龍の背に乗っているようだった。その龍は龍ヶ窪の池から顔を出す事はなく窪みの深淵にどこまでも続いていた。我々一行は為すがままにひかる龍の背に乗り、ひかりが吸い込まれていく窪みのくらがりに一息で呑まれていった。

どくどくどくどくどく。
『毒』とはほど遠い清涼な水のなかで、私の心臓は高鳴っていた。御師としての仕事も忘れていた。申し訳ないが、目の前だけを向いていたかった。私は、カワサキW650を撫でた。「ドドタリドタリドタリタタリドドタリドタリドタリタタリ」「タンタッタッタンタン」後ろからも元気のよい排気音が聴こえた。水の中だぞ。どうなっている。行けるところまでゆこう。

ひかりだ。前方からひかりが明滅している。私たちはそのひかりに向かってゆく。と、その光りの明滅が、まばたきであることが解ってきた。
超巨大な目の瞬きがひかりの道を作って明滅している。見玉不動尊の入り口だろう。眼球というか見玉というか、私たちは其処に「突っ込む」のだろう。いいのか。そして、痛くないのか。先頭は私だ。眩しい。
超巨大な見玉に、私とカワサキW650はアクセルを開けて突っ込んだ。

おお、近づくとひかりが弱まった。見玉尊はくっきりとした二重をしていた。記念に、逞しいまつげを一本欲しくなった。見玉尊をくぐり抜けるとき私は手を伸ばした、「熱い、炎だ」。う、火傷した。「熱い、やだこれ」、後方からシマさんの声がした。二名、火傷したようだ。「タナカタ、ダイジョウブ、タナカタ、ダイジョウブ」、それはよかった。なにせ、タナカタさんに、見玉不動尊で『見玉』をいれてもらうために来たのだから。タナカタさんが見玉不動尊の不興を買ってはいけない。正し、二名は不興を買ったかも知れない。

さあ、着いた。我々一行は見玉不動尊の小さな滝をくぐり抜けて来たようだ。どうやってだ。縮尺が合わない。まあ、いいか。それより、私たちはずぶ濡れだった。



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