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『フォー』

「フォー」、元来内気な私がヘルメットの中で声をあげた。
自然に口から出ていた。人生二度目の「フォー」だった。一度目は初めての北海道ツーリングで、オロロンラインを北上する際の歓喜の「フォー」だ。
二度目の「フォー」は2024年3月5日の昼下がりの事だった。それは歓喜とは言えないものだ。「ほ~う」と感心するような不思議な落ち着きのある「フォー」だった。
勿論、レイザーラモン•HG(ホットガイ)とも違う「フォー」だ。
それは、肝臓癌ステージ4の「フォー」で、次いで出た言葉は「シーックス」だ。それは、肝臓に癌が6個転移しているという事でもあった。

私は半年前にかくかくしかじかあり、盲腸癌のステージ2をクリアした。実際は外科医がクリアしたのだが、私も術後の痛みに耐えてよく頑張った。「優勝おめでとう」と言ってあげたいくらいだった。
その後、更に、かくかくしかじかあり、転移予防の抗がん剤治療を5日で自ら打ち切った。私の身体に全く抗がん剤が合わなかった。頭にダメージをクラったからだ。まだ、後遺症があるかんじだ。
私は取りあえず、賭けに負けたのかも知れない。あくまで、取りあえず。

私は医師に尋ねた。
「だいたい後どのくらい生きるかんじですか?」
「‥平均すると、二年半くらいですかね」
私と医師との会話は穏やかにすすむ。
医師からいくつか提案があり、私は暫し思考し、いくつかを受け入れて、いくつかを拒否した。
私は、一度下車した『標準治療』の列車に乗る事にした。それは、化学療法という抗がん剤の列車でもある。
「前回とは違う抗がん剤を使いましょう」
私はそれに応じた。
夏に手術を受けた際に切り出した盲腸癌が保存してあるそうで、それをDNA検査に出して、最適な薬を見つける事になった。ついでに、私はかねがね思っていた事を医師に告げた。
「そもそも、癌になったら寿命だと思っているので」

私はいつでもその列車を降りる事ができる。それは私の権利だ。副作用も了解している。しかし、頭にダメージをクラうのはまっぴらごめんなのだ。頭だけはハッキリ明瞭でありたい。語弊を恐れずに言えば、ゾンビ化してまで生きていたくはないのだ。(そうならない人が大半だと思うが、私は前回そうなりかけた)

まず一つ、肝臓に癌が転移していた。明日は肺のCT検査だ。癌の転移は指10本で収まるのだろうか。「転移がテーン」と言う日が来るのだろうか。

そして、私は誤解をしていた。ステージ4といっても、自覚症状は全くない。痛くもかゆくもない(盲腸癌の手術跡はすこし痛いが)。末期癌とステージ4は違うらしい。
私はまだ、ステージ4の新米患者なのだ。

この日、私は看護師に半年ぶりに(強制的に)体重計に乗せられた。モッズコートを着ていたからだろうか、夏から8㎏増えていた。「エーイト‼」だ。
私よ、ひとまず立ち上がれ、まだ、テンカウントではない。見せかけでもいい、ファイティングポーズだけはとるのだ。「転移がテーン」となるまでは、癌細胞の隙をついてカウンターのチャンスを狙うのだ。



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