#2 ホテル暮らしの日記:もりもり寿司
今日はもりもり寿司という寿司屋に行ってきた。
私は生まれてこの方「スシロー」「くら寿司」のような安価系の寿司屋にしか行ったことがない。回らない寿司、いわゆる「ギンザ」で「スーシー」なんて経験は一度もない。いや、あった。
大学時代、ゲイのおじいちゃんに有楽町の高級寿司屋に連れていってもらったが、なんというか、状況が状況だけに味のことはよく記憶していない。
なので今回が事実上初めての本格的な「スーシー」になるわけだ。
今回赴いたのは「まわる寿し もりもり寿し 片町店」
まるまるもりもりみたいな語呂を売りにしているらしい。多分。
いっぱい食べたのであんまり覚えていないが、「のどぐろ」「サーモン」「エンガワ」「ハマチ」「ズワイガニ」「カニミソ」「ランチセット」とかだった気がする、あと一貫がどうしても思い出せない。
写真はそのランチセット。あら汁がついて1200円だった。
このクオリティでこの値段はすごい。間違いなく人生で1番旨い寿司だった。
排泄音のような店名ではあるものの、扱っている寿司はクソほど旨い、やはりクソであった。
私はここで寿司をもりもり貪って、後でもりもりクソをするしか選択肢がない。
お昼休憩が40分ほど余ったのでお散歩に向かった。
犀川(さいがわ)という金沢の川だ。
とにかくデカくて桜が綺麗。歌を歌ってもバレないくらい川がうるさいのが特徴だ。DEENの「1人じゃない」を歌っていたら後ろからバイシクルおじさんが通り過ぎた。私の歌に懐かしさを覚えたに違いない。
こんな感じで、私は異郷の地で1人であっても、人の心を喜ばせることに余念がないのだ。
河原で横になる。
いつぶりだろうか、もうしばらく芝生に寝転んでいなかったことを思い出す。ここに寝転んだタイミングでもそうだが、金沢に来てから言いようのない幸福感に包まれることが何度かあった。
先日は「猩猩(しょうじょう)」という飲み屋で飲んだ帰りに同様の感情が生じた。なんというか、高揚感なのだが、その中に可笑しさが含まれている。別に面白くはないんだが、かといって微笑ましくて笑顔になってしまうのとは種類が別で、急に道端で吹き出しそうになってしまう。そんな感じだ。
これを「幸福」と定義すると、私の幸福は思い描いていたそれとは少々異なる。
私が思い描いていた幸福は、家族が子供を抱きながらニコニコしていて、その周りにモワモワしたピンク色のオーラみたいなのがまとわりついている感じ。ベビーパウダーの容器とかにプリントされていそうなイメージ。
だが実際はどうだ。
1人夜道を歩きながら、もしくは1人芝生に寝っ転がりながら、吹き出しそうになるのを堪えている成人男性。
なんのパッケージにプリントすればいいんだよこのイメージ。狂った奴が書いた小説の裏表紙とかかな。
まあなんだかんだで、人の幸福なんて千差万別。人殺して喜んでるゴミがいるくらいだから、私は幾分マシだろう。ただ笑っているだけなんだから。
1人を楽しむ能力は確実に資本になる。男性の約4人に1人が生涯未婚なんだから、そうなった時になんとも思わない能力を携えていることのメリットは計り知れないでしょう。まあ俺はイケメンだから大丈夫だろうけど。え?
というより「幸せになりたい」なんて人がいるけども、人は幸せにはなれない。
幸せは感情であって状況ではない。幸せな状況なんてこの世に存在しない。どんだけ自分が幸せでも視点を海外に飛ばせば戦争が起こってるし、どっかで誰かが襲われてる、そして少なからず我々には共感能力が備わっている。否定のしようがない事実を全部無視できるスーパー鈍感人間になる自信があるなら幸せになれるだろうけど、まあ無理なんだよ。
だからその時幸せだと感じたら、全部味わうほかない。雫の一滴まで残さず飲み干さなければならない。
ということで、自室に戻ってもりもりクソでもすることに決めた。
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