#19 ホテル暮らしの日記 : 罪と悪

世の中に絶対的の悪といふものはない。悪はいつも抽象的に物の一面を見て全貌を知らず、一方に偏して全体の統一に反する所に現はれるのである。悪がなければ善もない。悪は実在の成立に必要なる要素である。

西田幾多郎 小説家(1870〜1945)

先日、ふとYouTubeを開いた時、トップページに無期懲役囚を追ったドキュメンタリーが表示されていた。

動画を見ると、囚人たちは塀の中で体を動かし、与えられた食べ物を規律に従って食し、それほど不自由のない生活を送っているように見えた。

しかし彼らは彼らにしか分からない苦痛を味わっているに違いない。
横にいるのは人殺しかも知れない。
全ての行動が監視・管理されている。
仮に釈放されたとして、その先の生き方がわからない。

そして、そんな状況になったのも、彼らの生まれつきの性格だけが原因でないかも知れない。両親から暴力を受けただとか、深刻ないじめを受けただとか、そういった外的要因が犯行の間接的な原因になっているかもしれない。

彼らは悪なのではなく、罪を負っただけなのだ。

当然、私が被害者家族なら、その犯人を死ぬまで恨み、釈放された暁には被害者が受けた以上の苦しみを与えて殺してやりたいと思うに違いない。しかしそれは極めて個人的な情動であり、悪に相対する善とは言えない。

そして、私がこの記事を書いているのは、その動画のコメント欄を見たからだ。
「こんな奴らのために税金を使っているのが許せない」「はやく死刑にして欲しい」「被害者のことを考えると悔しい」などなど、正義感たっぷりな暴力的発言が盛りだくさんだった。被害者でもないのに。

コメント欄の彼らは、倫理的な側に立っているということを盾に自らの暴力的欲求を満たそうとする化け物に他ならない。社会的に弱い立場にいる人間を見つけると集団で襲いかかる、タチの悪いバーチャルチンパンジーだ。あんなものが世論になってしまってはたまらない。
戦時中、戦地に出向かない人間を非国民だなんだと非難したのはああいう奴らだろう。

人間も自然の一部であって、本来中立なはずだ。例えば地震。ランダムに大地が揺れ出す現象。マジで迷惑。でもこの現象は悪でも善でもなく、ただ起こるだけだ。
そして地震は大量に人を殺してきたけど、あれを悪だなんだと太平洋プレートに怒鳴り散らす奴はいない。

人間も同じで、先天的にか後天的にランダムで外れ値が出る。でもその人はただそう生まれた/生きることになっただけで、本来善でも悪でもない。本来中立な存在なのだが、便宜上、その時代を生きる人々が持つ社会的な尺度に基づいて、相対的に善悪の判断が下されていく。
場合によっては有害すぎて早く殺した方がいいこともあるだろうが、そうでない場合もあるはずだ。そしてその判断は裁判官が下してくれる。散々犯罪者を見てきた人だから、更生の余地があるかないかの判断は、少なくとも一般人よりは正確なはずだ。

被害者に近い存在なのであれば、個人的な感情を抱くのは無理もない。しかし、通りすがりの野次馬が勝手に善悪を判断し、罪人に石を投げるのには、私は反対だ。

こういった風潮が改善されれば、再犯率も下がるんじゃないか。

犯罪者になってしまうような荒んだ環境に生まれなかった幸運、被害を受けなかった幸運の方を注視できる人間が、もうちょっと増えたら嬉しい。

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