#14 ホテル暮らしの日記 : 妄想

多元宇宙論だとか、パラレルワールドだのと言う話がある。
こういう話題が出る時には、たとえば自分らにはない次元はどういうものだろうだとか、一個上の次元について思いを馳せる場合が多いが、二次元に関してはそれほど議論されていないように思う。「紙に書いた絵は奥行きが存在しない」それで終わり、といった感じだ。

ただ、もし我々自身が二次元的な世界に置かれたとしたらどうなるんだろう。ネットで調べてみると、「アニメの世界に〜〜」とか述べている記事や知恵袋がたくさん出てきた。でもアニメの世界は我々が三次元的な体験をもとに作り上げたストーリーを紙やデバイスに描いただけであって、実際のところそれが書かれている紙等には厚みがある。物質的な奥行きがゼロであるわけではないのだから、、、とにかくそういう話がしたいんじゃない。
我々の世界と並行した二次元世界があったらどうかという思考実験をしてみたいのだ。

我々の世界には空間がある。そして、時間という概念は空間というベースをもとに作り上げられた概念であるらしい。

どっかの熱帯雨林に住む民族は時間感覚が希薄らしいと言った研究がある。
理由としては、
1.熱帯雨林の中は日光が届きにくく昼夜の判断がつきにくいこと
2.年間を通して気温や降水量が変わりにくいこと
3.遠くを見渡す機会が少なく、遠近感が発達しにくいこと
などらしい。3について具体的な話をすると、民族の少年をひらけた湖につれていって遠くのヌーの群れを指差したところ「あの虫はなんだ」といったような質問をしたようだ。つまり、「遠くにあるものは小さく見える」という常識が欠落しており、どれくらいの遠さにあるものがどれくらいのスピードで近づいたら、どれくらい大きくなるか、という未来の想像ができないらしい(その逆もしかり)。だから遠くにいて、小さく見えるヌーを虫として捉えた。

つまり空間的な広がりというものは時間という概念に強烈に結びついているということがわかる。

では、もし二次元世界に行ったら、我々が知覚している時間という概念はどうなるんだろう。
我々の世界では説明できないような永遠に近い「長さ」を感じるのか、あるいは逆に時間というものを説明できる間もないような「一瞬」が存在するだけなのか…。そこで私はふと、地獄の話を思い出した。

※以下、Wikipediaより一部抜粋

等活(とうかつ)地獄
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この地獄における衆人の寿命は500歳である。ただし、通常の500歳ではなく、人間界の50年を第一四天王(四大王衆天)の一日一夜とした場合の500年が等活地獄の一日一夜であり、それが500年にわたって続くので、人間界の時間に換算すると1兆6653億1250万年にわたって苦しみを受けることになる(1年を365日とした場合の計算。以下も同様)。

黒縄(こくじょう)地獄
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この苦しみは先の等活地獄の苦しみの10倍である。人間界の100年は、六欲天の第二の忉利天(とうりてん)の一日一夜である。その忉利天の寿命は1000歳である。この天の寿命1000歳を一日一夜として、この第二の黒縄地獄における衆人の寿命は1000歳である。人間界の時間では13兆3225億年に当たる。

衆合(しゅごう、しゅうごう)地獄
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人間の200歳を第三の夜摩天の一日一夜として、さらにその2000年をこの地獄の一日一夜として、この地獄での寿命は2000歳という。これは人間界の時間に換算すると106兆5800億年に当たる。

・・・などなど。

最終的に一番ヒドい地獄では人間界の時間で682京1120兆年もの時間を過ごすことになるらしい。なんだそれ、さらば青春の光かよ。

めっちゃ馬鹿げているが、ひょっとしたらこの地獄というのは二次元世界のことを比喩ってんじゃねえかと思った。

生き物が死ぬということは、空間が消失するということだ。まあもっと細かく言うと原子レベルに粉々になるわけなので、かつて肉体だった「もの」それ自体は空間世界に残り続けるものの、もし今生きている我々の意識というものが死後も残り続ける「何か」だったとしたら、その意識は空間を知覚する術を失う。これはある種、意識が二次元世界に投げ出されることでもあるんじゃないか…。

そしたら全員地獄行きじゃねえかおい、ふざけんな閻魔、ぶっ殺すぞ(地獄行き決定)。


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