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腕力と知識の狭間で

「北條さんはどうしてそんなに物知りなの?」なんてセリフは、私のことを息子の友達か何かだと思ってる職場のおばちゃんからはよく言われることだが、絶対に男性からは言われない。知識や知能は腕力でない世界に生きる文明人の男性にとってはプライドそのものであるから、そう簡単に尻尾振れないのだ。
 それが地方のアンチャンオッチャンと会話すると、極めて侮蔑的な物言いで、「物知りだねえ」なんて簡単に言われるのである。彼らにとっては腕力の方が大事であるから、知識や知能によるマウントなんかメインではなく、都会でつけてきた「ツヤ」でしかない。
 そうすると、最も哀れな男というのは、腕力もない上に、せっかく身につけた知識を都会で活かすこともできず、都落ちして地方でこじんまり生きる独身男のことだ。魯迅の小説に出てきた、科挙浪人が続けられなくなって故郷に帰ってきて、家の前で遊んでいる稚児に漢字の異体字を必死で講釈しているような…。
 だがこの物言いも知識マウントに他ならない。プライドを守るために必死になって脳内のライブラリを検索してアウトプットしてみせる。店員に腕力を示して恫喝でもってプライドを守る行為となにが違うというのだろう。ネットとAIの時代に知能や知識でマウントを取るなんて滑稽じゃないか?

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