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家族以外の大人と話すということ

※この投稿は私個人の考えでもって書いています。なお、筆者は感染症の専門家ではありません。

大学に行った

7/21に公開した前回のノートに「家族以外の大人と最後に話したのはいつだろう?」と書いていたが、その願いは思いの外早く叶いました。

7/22に用事があって大学に行ったのです。実に1ヶ月ぶり。

7月になってオープンキャンパスが始まったのですが、今年はオンラインのヴァーチャルオープンキャンパスという形になっています。

私の担当は模擬授業になったのですが、それは自宅からのオンライン授業ではなく大学で授業をしている状態を撮影してオンデマンド配信するというものでした。

ここで問題がひとつあった

模擬授業の担当が決まった2週間前、長い自粛期間+在宅勤務でのオンライン授業による極度の運動不足から体重が+5kgで自分史上最重値を叩き出していました。

もうムチムチのプリプリです。霜降り肉です。

この霜降り肉の身体をオンデマンド映像で晒すということで、これはいかんとダイエットを試みました。

しかし、あまりの動かなさ(動けなさ)から100gも減らすことができず撮影当日を迎えました。

こうなったらいつか来るかもしれない対面授業までに体重を落としておく作戦(?)に切り替えて、今回は観念してカメラの前に立つことにしました。

久しぶりの大学はまったく変わっておらず。

私が到着した時は、同じく模擬授業を担当する同僚は前のスロットで撮影を終えていました。

なんと、もともと痩せ型の彼はさらに痩せていました。

彼は食べても太らない体質もあるのだけど、オンライン授業準備が大変過ぎて痩せてしまったそうです。

そういえば痩せたというよりもやつれた感じがします。

授業の前日はいつも3時くらいまで準備しているそうです。
そこは一緒なのにかたや痩せて、かたや太るわけです。

人間は多様性に富んでいます。

声を出して(模擬)授業をした

模擬授業の撮影とはいえ、カメラの前で身振り手振りも交えて声を張って授業をするのは実に数ヶ月ぶりです。撮影スタッフが3mくらい離れて囲んでいる状態なので、いちおう人前での授業行為です。

始まる前はどうなるかなと思いましたが、始めてみるとすぐにリズムが戻りました。

オンライン授業ではWebカメラとマイクに向かって普通にしゃべっているだけなので、ここまで声は張りません。

スライドの表示を指で示すために腕を伸ばすと、「あ、この指し示すために上腕の筋肉を久しぶりに使っている」と思いました。

だいたい40分強の模擬授業時間に、一部撮り直しもやって1時間弱で終わりました。

なかなか爽快な体験でしたが、少し声の出の持ちも以前よりも弱くなっているのは否めません。

対面授業では声を張って90分だったので、もし対面授業に復帰となったらけっこう体力いるぞ、という感じです。でも、久しぶりの感覚でちょっとウキウキしていました。しゃべっているうちに憑依する感じも健在。

同僚と話した

何人かの同僚がたまたま出校していたので、立ち話しました。前回のnoteの投稿はFacebookにも引っ張っていて、かなり長文かつ私にしては吐き出すような内容だったため、目にした同僚から心配されました。

すみません。大丈夫です。

自分で何回も文章を読み返して、あーコロナ鬱って思われるだろうなー、と思って、何回も投稿をためらって何回も文章を直した末の投稿でした。
それでも鬱っぽい、というかストレス高い風な文章に捉えられるだろうというのは予想していました。

でも仕方ないです。言いたいことを書くとああなるんです。

本人は割と冷静なつもりです。

同僚は週に何回か出校してそこからオンライン授業をしている人もいるようでした。午後に授業ある人に限るみたいですが。

私は今期は授業のある日はすべて1限からなので、大学から遠隔授業をしようとするともろにラッシュにぶつかることと、ギリギリまでオンライン授業資料を準備していることを考えると難しいです。
だが、気持ちを切り替えるためと外出するためにあえて出校するというのはアリかも、と思いました。

やはり皆、在宅の時は積極的に身体を動かしたり散歩をしたりしているようです。

あとはお互いの家での様子とか話したり、オンラインあるあるを話したり。

立ち話でしたが、そういうたわいない雑談をすることがこの3ヶ月以上本当になかったので、ありがたいなー、という気持ちです。

外食をした

お昼ごはんを食べに先ほどの激ヤセした同僚と一緒に街の定食屋さんに行きました。入り口が広くオープンして換気の良い天ぷら屋さん。

考えてみると最後に外食したのは1ヶ月前の緊急事態宣言解除後に行ったIKEA、その前は3月末だから2ヶ月半前。

あまりにもブランクが長すぎたからか、券売機にお札を入れるのにちょっと指が震えました。

お店のカウンターに座って感動。

セルフサービスのお水を汲んで感動。

揚げたての天ぷらを食べて感動。

ああ、外食ってこんな感じだった。

ほんとに懐かしい。

でも、またしばらくはないのだろうな。

対面授業が促された

明けて7/23の新規感染者は都内が366人で全国が966人と一気に加速してきた感があります。そこから今日までは、

7/24 都内260人、全国763人
7/25 都内295人、全国796人
7/26 都内239人、全国824人

それで戦々恐々とする人もいれば予想通りという人もいるでしょう。
私個人はある程度予想していましたが、数字を見るとギョッとするのは確かです。

そんな中で7/22に対面授業開始の催促が文科省からというニュースがありました。

友達の顔もネット上でしか知らない…文科省、大学に対面授業促す

「友達の顔もネット上でしか知らないのでは、学生生活の楽しみも半減する。工夫をしながら、対面とオンラインのハイブリッドに取り組んでほしい」

たしかに新入生に友達ができない、というのはかわいそうですし、良き友人ができて共に過ごすことが「学生生活」の一定の割合を占めるのは事実です。私もあの対面で人と話す感覚や外食を早く学生にも味わってもらえたら、と願っています。

でも、それがこの状況において対面授業を再開する根拠として適切なのか?
同情論を先に立てて感染拡大防止という本質からズレていないか?
感染拡大防止を目指すはずの国の機関が感情論を軸にして大丈夫なのか?

というのが個人的な感想です。

では対面授業をやらなければいいのか?というと、論点はそこではないと思っています。

もし、学生(特に新入生)を登校させて、お互いに対面させることが重要なのであれば、サークル活動や文化祭でも登校して同じ空間にいるようにすれば、それで友人作りの目的は達成されます。

しかし、これも感染防止という観点では素人ながら大いに疑問です。

その点ではハイブリッド授業でも同じです。

結局大学に人が集まれば、人と人との接触の機会が増えます。そうすれば前回の投稿で書いた壮大なロシアンルーレットが回り始めます。

「小中高は通常と同じように通っているのになぜ大学だけがダメなのか?」
「会社も通常に戻って動いているのに大学だけが社会から取り残されている」

という意見も聞きます。7/25の東京新聞の投書にもありました。

だけど、これ、逆じゃないですか?

・本来は安全性の観点からすべての学校がオンライン授業をやるべきところを、小中高は様々な事情から実現できなかった。
・企業も安全性から完全テレワークシフトが従業員を守ることになるが、事情によりそれができない企業が多かった。
・大学は事情と環境がマッチしたのでオンライン授業ができた。
・この違いでもって対面授業、対面業務かオンラインかが分かれた。
・結果的に当初の安全第一志向を継続しているのが、(ここで挙げた中では)大学のみになっている。

目指すところがあったけど、要素と条件と制約があって、それぞれのできることとできないことがあった結果、今その状態にある、ということです。
それを勘定に入れないで「他がやってるのだから同じようにやるべき」というのは実は理由になっていないのです。(あえて過激に言ってみています)

「もう誰も緊急事態宣言、休業やりたくないでしょ」

と某大臣が言っていましたが、もし完全な休業補償が国からお店に支給されて、大半の企業でテレワーク体制が問題なくできて業務も回り、小中高でオンライン授業体制が過不足なく実施できたとしたら、それでも大学は対面授業にするべき、という声はどのくらい上がるのでしょう?(こういう思考実験は無意味でしょうか)

比較する対象があると自分の幸/不幸、優劣を意識するのは人の心理だからこそ引き起こされたものだと言えないでしょうか。

緊急事態宣言解除後に小中高はいち早く再開しましたが、当時の「若者は重症化しにくい」「子供同士で感染している事例がほとんどない」という国内の「ファクト」を根拠にして、かなり目をつぶった部分があったのではないかと推測しています。

実際にここ1ヶ月で未就学児の感染者ニュース小学校のクラスター中学校のクラスター大学の課外活動での感染が続々と報告されています。

若者の重症化は国内では顕著に出ていませんが、後者の子供同士は感染しないという線は消えました。

さて、完全対面授業ではなくハイブリッドを文科省が催促するとのことですが、どこまでロシアンルーレットを回していくんでしょうか。

それともGo Toキャンペーンですでに日本全国的にロシアンルーレットが回り始めているのも事実なので、大学がさらに回しても大して大筋には影響がない、という判断なのでしょうか。

エアロゾルと表現される空気感染にかなり近い形の感染の可能性をWHOが認めているので、ソーシャルディスタンス、マスク、手洗いという対策のみでは万全ではない可能性もあります。特に前の2つの意義が大きく変わったはずです。
しかし、それは取り上げずに、なぜか従来通りの「基本を守って」というのを繰り返して、国民に行動の良いも悪いも委ねています。言ってる側の論理も相当苦しい感じです。

挙げ句にはGo Toしていいですよ、いや連休は外出を控えてください、とダブル・バインドのメッセージをそれぞれ国と都道府県から送っているのは、受け取る側に高いストレスを与えるし、受け取る側もそれぞれの判断で動くのを止めることはできません。

願わくば前述の「若者はまだ重症化しない」は有効であり続けて欲しいとは思いますが、ウイルスは別に人の願いや思いは関係ありません。接触したら、感染できる条件が整ったら感染していくだけです。意志は何も介在しないのです。突然変異による強毒化が起こる可能性も人間の意志ではどうにもなりません。

このウイルスの単純な現象に対して、感情論や場面場面での解釈、時には政治や社会情勢によって都合の良い解釈を人間側がしていて果たして収まることができるのだろうか、と個人的には思います。

いずれにせよ新型コロナの終息は遠くなっているのが実感です。

それにしても、休業補償を万全にしないで不自由な状態を1ヶ月体験させてから、「もう誰もあんな思いをしたくないでしょ」「だからあんた達が気をつけながら経済を回して」というのはすごい言い分だなー。

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