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Xでスパム扱いされていた件について。

題名の通りである。
まさかのスパム扱い。
1週間前に意気揚々とアカウントを開設して、
毎日せこせこと投稿を重ねていた矢先のことである。

きっかけは、フォロワーさん含め。
誰一人として僕のリプライを返してくれないことだった。
初めのうちは、そういうものだと思った。
「これがXってやつですか…」

そう。やって斜めに構えて、
傷つかないふりをしていた。普通に傷ついていた。
だが、なんだかおかしいなと思ったのは、

全員のリプライ返します!
と謳っていたアカウントでも僕だけ無視されていたこと。
これには流石に、
「いや、どんだけ嫌われてんねん!」

と狼狽したものだ。
とはいえ、作りたてのアカウントがスパム扱いされるなんてこと、
あるはずがないと思い込んでいた。
今思えば、作りたてが一番そう扱われるなんてこと、
普通のことだと判別つくはずなのに。

決定的だったのが、別のアカウントへ送った
リプライのことである。
煮えを切らすようにと、僕は判断を迫った。
その方法が別アカウントへのリプライである。

結果は、想像の通りである。
そこには、コメントのマークこそあるものの
開けば空白。
「こんにちは」の一文字も映っていない。

やっぱりそうだったのか。
そこで感じたのは絶望、そして少しの安堵だった。
なぜか。
少しだけ、救われた気がしたのだ。

僕はただただ無視をされていたわけじゃなかった。
みんな僕のことが嫌いなわけではなかった。
そう思ったのだ。
だから、何度もそのコメ欄が空白であることを確認した。

それは希望のためでなく、安堵のためだ。
「頼む、嘘であってくれ!」
じゃなく
「やっ…ぱり。そうだよね!!!」
という気持ちである。

何はともあれこうして僕はnoteを書く。
毎日投稿のノルマから一時的に逃れられたことは。
これも安堵半分、絶望半分。
だが、こっちは絶望が気になって仕方がない。

それは、自分の習慣が崩れ去る焦燥感。
これでよかったのかという疑念。
だからnoteを書く。

仕事ではなく、自分のために文章を書くことが大切なのだ。
それが、自分にとっての肥やしなのだという
大きな根拠になるのだ。
もっとも自分本位のことであるけど。
だからこそかもしれないが今文章を書いているのが楽しい。

こうやってnoteが日記代わりになる。
誰かが読んでくれているという前向きな後押し。
あまり続けるのが得意ではないけど。
そのどこか見えない視線があるから、僕は文章が書けるのかもしれない。

と。Xでスパム扱いされたところから、
よくわからない自分の思考を巡らせてみて。
今日は終わりとしよう。

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