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「実学」を儒学と対比して理解する

「実学」とは、基礎研究に対する「応用研究」を思い浮かべてしまっていましたが、異なる解釈を知りました。

儒学では、そこに学ぶべき「教え」があり、人々はそれを習得することに専心します。実態に則さないことがあってもとにかく学びます。

一方、「実学」は、事実を積み上げ論理的に導き出されたことを知識として習得します。常に新しい知識が生産されるのが「実学」です。

「実学」的な学び方は、学びやすい要素から徐々に習得し積み上げて統合していくのに対して、儒学的な学び方は分からないことでも「教え」を何度も何度も触れ続けることで習得していく、という違いもあるそうです。

私的な考察

コンピュータが発達した現代、昔では想像もつかないくらいのデータを収集できるようになりました。人の心は見えないと思われましたが、Apple Watchのようなセンサーを腕に付けて動きを記録すれば、本人にも分からないような心の動きが行動データとして取得できるようになりました。

仮説を立てつつもエビデンスに基づき、新たな知識を生みやすい時代となりました。「実学」の精神を心に刻むことが、自分をアップデートし続けることに直結します。

人は、社会的な動物です。自分がアップデートし変化したことが他人に分らないと周りの人も戸惑ってしまうでしょう。周りの人々と一体感を持って成し遂げようと思ったら、自分の何がアップデートされたのかを表明し、理解・認識してもらうことが効果的です。

効果的に個人と集団をアップデートする方法については、おいおい考えて行こうと思います。

慶應義塾大学大学院 SDM研究科の日帰り合宿に参加して。

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