見出し画像

ずんどこどん2021年6月2日

最近本当に結構頭の中がごちゃごちゃで困っている。分かるか、脳みそを半分に切った時の後ろ側だ。そしてちょっと下。

ここ。

ごちゃごちゃしている。ずっと重い。何かを考えているんだけど、それが掬いあげられないというか。そこがずっとごちゃごちゃで重かったから先週全然学校行けなかった。時間が経つのが早い。何も覚えてられない。15分ごとに記憶が飛んでるみたいだ。う〜。どうしよう。何もしたくない。今までも今も特に何もしてなかったから何も文句を言う資格がない。資格がないと文句を言ってはいけないのかという意見に私は反対だし、誰かがそう苦しんでいたら文句は誰でも言っていいと返すがそれを他人に強要することや私から呈することは出来ないのであって、そうなると死んじゃってる私を救えるのは誰なんだろうとよく考える。ここに人が死んでいるが。誰が私の気持ちを聞いてくれるんだろう。のたうち回っている。これが滑稽で面白いのか? 出来れば人と会う時にはなんでもない私でいたいね。だから気づいてもらえないんだろうか。たまに思うけど、何でもかんでも私の反対意見を述べる私がいる。これは誰? 最終的な私の行動に私は満足しているし比較的人間に迷惑をかけていないはずだと信じているが、その行動が模範的であればあるほど私は死んでいって、そこに至るまでに苦しんだり悩んだりした私や私の意見はどこへ消えるんだ? あんまり関係ない。私の行動は人間からどう見えているんだ。人からどう思われるかはあまり気にならないが、どう見えているかは気になる。愛しい存在だといいな。ずっと前から助けてほしいって言ってる気がするな。助けてもらえてないね。助けるって力がいる。なにより信頼とか、助ける側が犠牲になる覚悟とか。そういう魅力ないんだろうなあと痛感する。いや、というより私自身が「じぶんのことはじぶんでしますので!」って先に線を引いて人間を傍まで寄り付かせていないだけな気もする。多分そう。言葉の力はすごいから「大丈夫です!」って言ったら人間はそれを信じるしかない。言葉の裏の裏をかいて人間を救うことも酷く力がいる。うーん。圧倒的な力に救われたい。私を救えるのは私だけでは無いのか? こういうことばかり考えているから脳の容量が少なくなって余計何も考えられなくなる。多分こういうことをずっと脳の下の方で考えているから重いのかも。重い時は大概色んなことを「あ〜〜」と全部蓋した時だ。蓋をして、正しい行動だけしたら何とか時間は動くから。うーん。生きづれえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?