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M-D(Typ262)

デジカメの背面液晶はカメラの持つ機能美を見事に壊してしまったと思います。
そしてライカもまたこの点では残念ながら同じ道を歩いているように見えます、Leica M-D(Typ262) を除いては。

カメラを格好論だけで言えば、ライカM-Dは唯一無二の存在。
ボタン類が一切無い背面は、見事な割り切りだと思いますし、またカメラを握ったとき背面ボタンに指が触れてフニャフニャするあの感触とも決別しています。

2016年240の液晶を取り払って登場したのがライカ M-D(Typ262)ですが、このモデルは液晶のみならず、外付けのEVFも無し、まさにこれこそデジタルMで考えられる最もシンプルな形、究極のモデルです。もちろんメニューなんてものもありませんし、JPGかRAWの選択肢すらありません。差し込んだSDカードにただDNGで撮るだけです。液晶が無いだけにバッテリーも十分長持ちするというメリットもあり、セカンドバッテリーも必須ではありません。

フィルムの時代には、カメラに入れたフィルムは撮り終わるまでそのままです、当然のことですが撮影者が真っ先に頭に入れることはカメラに装着したフィルムの種類であり、昔風に言えばフィルム感度ASAでした。とにかくこれが第一歩です。M-DにおいてもISO設定をマニュアルにしてカメラの背面に置き、撮影の意識がここから始まるというように仕向けた仕様は、非常に理にかなっていると思いますし、そのうえカメラの美しさも取り戻しているのですから。

液晶レスのライカデジMが果たして自分に合うのかどうなのかは、購入してしばらく使ってみるまではわかりませんでした。しかし数ヶ月使った頃からいろんなことが見えてきました。撮ってすぐに画像をチェックできないことで、撮るときの集中力がより高められることもそうです。それともう一つ気がついたことは、M-Dでは撮るコマ数が少なくなるということです。しかしこれはフィルム撮影時のコマ数にかなり近くなっているということだと分かりました。

さらに数ヶ月使い続けると、時折使う液晶のついたデジカメでも全く液晶を見なくなっていたのですが、これは自分でも驚きでした。液晶が付いていようがなかろうが、画像再生ボタンはもう必要なくなったのです。

ライカのM8から始まってM10まで10年以上、必要もないコマ数を撮ってはせっせとP Cに保存していたかと思うと、呆れるより他ありません。M-Dというカメラがぼくに問いかけてくれたことで気がつきました。


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