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男酒日記 96日目「東京砂漠ーー寄る辺は飲み屋か消防団か」

坊やが通う幼稚園はすごい。何がすごいかといえば、我が家以外いずれも移住組なのである。
札幌、川崎、大阪、渋谷、岡山など、子供の教育のために越してきた。まさに現代の「孟母三遷」である。
一昨日、パパ友による忘年会が開かれた。こんなに楽しい宴はなかなかない。すっかりはしゃいでしまった。
その夜、余韻にひたりながら、私の「ふるさと」はここなのだと確信した。
パパ友たちは年齢、価値観、ライフスタイル、学歴、仕事、感性など何かと近いものがある。
それに居住地の近さが加わった。これぞ成熟日本の「新しい村」である。
司馬遼太郎は「故郷にくるまれて生きることが幸せである」といった。
だが、故郷を持つ現代人はどれだけいるだろうか。地域社会は崩壊し、ひとたび都市に出れば、根無し草人生への片道切符。
帰郷することも、新たな「ふるさと」を発見することもできぬまま、東京砂漠で行倒れとなりかねない。
一方、我が義弟は地元生え抜きで、これまで「村」を出たことがない。まさに帰郷にくるまれて生きている。そんな彼の活動の拠点は消防団である。
防犯や祭礼を中心とした地域活動に精を出し、集っては酒を飲み、家族ぐるみで旅行をする。
消防団は現代の若衆組なのだろうか。男たちは消防団を通じて地域の「オトナ」になっていく。
その点、都市生活には、こうした成熟化機能が欠落している。出会いはあっても、「村」を構成するに至ることはきわめて少ないだろう。
だが歳をとると、誰しも「村」を恋うようになる。そのとき、残されているのは飲み屋くらいかもしれない。
飲み屋とは、都市生活者のかりそめの故郷なのだろう。だが、そこに成熟機能は期待できない。
お客同士が地域の問題を解決するーーいま求められているのは、そんな消防団機能を持った飲み屋なのかもしれない。
写真:京都八瀬。ここに永住しようと考えたが、草花を植え替えるようにはいかなかった。ふるさとを発見するのもなかなかたいへんだ。

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