男酒日記 95日目「酒気帯び原稿と荒恵比寿顔」

はやしださんとは、とある番組の懇親会で知りあった。2年ほど前のことだ。
ひと回り上の酉年、誕生日も同じ10月2日。心理学を専攻し、叙情の指向性もよく似ている。今夏、はやしださんは孫娘を、私は娘を授かった。
さらにはやしださんは、私が保有する京都のマンションの初代副理事長で、あろうことか部屋は私の真上であった。
数奇な縁の極めつけは同じ時期に断酒日記をつけ始めたことだ。いや、彼のが1週間ほど早い。私はそれに触発されたのだから。
そのはやしださんと京都で面会した。
これまでシラフで、はやしださんと会ったことがない。対面するときは、おたがいすでに出来あがっていた。
酔っ払い同士がシラフで対面すると、妙な気恥ずかしさを覚えるものだ。
それはさておき、彼との対話で得た着想がある。
それは、酒飲みはたとえアルコールを摂取してなくても、「酒気帯び」になるという論点である。
思いあたることがある。8月に書き上げた原稿がある。これを断酒後読み返してみたら、酒の臭いがプンプンしていて読めたものではなかった。まさに酒気帯び原稿なのである。
文章全般に酔いがみられ、ところによっては酩酊している。
これでは人様にお見せすることはできない。私は原稿を全面的に書き直すことにした。
繰り返し手を入れるうちにしだいに酒気が抜けてきて「シラフ原稿」に仕上がった。
これは原稿にかぎった話ではない。たとえば人相。
酔っ払っているときのご機嫌顔がふだんの表情に貼りつくのだろうか。酒飲みには、よくいえば恵比寿顔ともいうべき、ニンマリした笑みをたたえている人が多い。親父の兄弟などまさにそんな顔ばかりだ。
顔立ち同様、心も穏やかならば恵比寿さまとして愛されるのであろうが、そうではない。いきなり荒恵比寿に化けるのだから困ったものである。
このあたりの感情起伏の激しさも酔っ払い特有のもの。飲酒時の感情のありようが常態化してしまったのであろう。
こんな話を小一時間。はやしださんとの語らいは共鳴の連続だった。同病相憐れむ。イタイところに手がとどく。
せっかくこんな「病」を授かったのだから、元を取らねば損ーーこんな結論で、酔っ払い同士のシラフ対談はお開きとなった。

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