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断酒日記 68日目「平時にひとり、戦慄する男」

ラジオでもそうだった。ファンのコア層は、どういうわけかマッチョ男なのである。
プロレス、武道、ボディビルをやっている人の割合があきらかに高い。
そういえば、拓殖大学の学生などその典型だ。教室には、屈強な学生諸君がわんさといる。私のメッセージが彼らに好評であるのも、通底しているように思う。
そして断酒日記。ここまで続くと、おつきあい組が抜けて行って、しだいに読者層が浮かびあがってきた。そこには、同様の顔ぶれが並んでいる。
一方、私のメッセージは女受けが悪い。悪いというより、そもそも対象にしていないといったほうが正確かもしれない。
ラジオでも講義でも文章でも、私は「男」を相手に語りかけてきた。
男が男として威風堂々生きてゆけるような社会にする。なぜかわからないが、そんな使命感を持っている。
司馬遼太郎はみずからを「男性専科の作家」といっていたが、私も同様である(念のためにいっておくが、ホモではない)。
さて、天下泰平の武士が昼行燈と蔑まれたように、男の魂は平時には溌剌としないものだ。
平和はたいへんけっこうなことだが、男の活躍の場が得にくいのが現実だ。
だが世の中には、平和のなか、ひとり戦慄する男もいる。
勝手に世を憂いて、割腹自殺を遂げた三島由紀夫はその典型だろう。
私もそんな体質らしく、「終末」に備え、方舟を準備するようなことばかりやってきた。ひとりで勝手に「戦時体制」を組んできたのである。
だから、周囲は当惑し迷惑すること甚だしい。
だが、そういうバイブレーションに共鳴する人は一定数いるようで、それがどうやらマッチョ男たちなのである。
私は断酒を、剣豪にとっての武者修行であり、修験者にとっての荒行として位置づけている。
男相手には、こうしたわけのわからぬ奮励が響きうる。だが、女にはそれがわかりにくいように思う。
たいへんな苦難に耐えていると解釈され、同情されようものなら、苦笑いするほかない。
修行者とは歯を食いしばって堪えしのんでいるわけではない。むしろ、ニヤニヤしながら、日々の成長を噛み締めているのである。
ストイシズム。この感性のちがいこそ、男女の差異の最たるものではなかろうか。
むろん、遠巻きに応援してくれている女性たちの存在にも気づいている。
彼女らは一様に大人の女性である。子供、それも男子を育て上げた淑女が目立つ。
彼女らの余裕と慈愛に満ちた眼差しは、荒行をこなしてゆく上で、時として支えになる。
平和日本で、ひとりいきり立って生きる姿は、我ながら滑稽ではあるが、そういう気質に生まれたのだからしかたがない。ひとり、乱世を生き抜くとしよう。
写真:つげ義春「石を売る」。彼の漫画の登場人物は勝手に「戦時」を生きている。畏友御山人もついに石を売り始めた。

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