藤野論51:SNSは「裸の王様」製造機

いい歳こいても、虚栄心や自己顕示欲といった俗欲はなくならないものだ。いま私が書いている、この文章にしても「俺のことを誰か認めてくれー」という切ない叫びに他ならない。
生々しい欲望をそのまま露出してしまえば、酩酊おやじや暴走BBAになってしまう。意識の高さを自認するのであれば、その表出においても意識高くありたいものだ。
前回、SNSリア充おやじや自己陶酔婦人をあげつらったのは、ひと言でいえばカッコ悪いからである。みっともないのだ。
「俺、農業やってんだぜー(かっこいいよね)」「私って、こんなに子供思いなんだあ(うっとり)」と中学生並みの自己愛がほとばしる。そんな青春ど真ん中の爺婆を私は正視できない。
人生をかけて、美意識に磨きをかけてきたかどうかは、こういうところに表れる。
その技倆なくば、貧困なる精神は周囲には丸見え。わかっていないのは本人だけだ。SNSは「裸の王様」製造機でもあるのだ。
自慢したい、優越感にひたりたい、自己陶酔したい、自己肯定感を満たしたい、褒められたい。その気持ちはわかる。私など、その気持ちは人一倍強い。
でもステージに上がりたいのなら、技を体得せよ。芸を磨け。醜い自己愛を揮発させ、鑑賞に耐えうるものにするのだ。
藤野民よ、我が子にむやみに芸術にふれさせるよりも、おのれの自己表現技法を磨くことが先決だ。そのほうが、子供の美意識を高めるはずだぞ👺

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