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【熟年離婚】〈男の言い分59〉

13年前、意地と脅し半分で書いた「離婚誓約書」を妻に突き付けられてアウト!


 A氏、60歳。会社員。今年3月、2歳下の妻と離婚。

 還暦を迎えて、さてこれから第二の人生! と気合を入れた矢先に、31年連れ添った妻と別れることになりました。「突然離婚」を言われるなんて、ほんと寝耳に水、どころか寝耳に熱湯、でしたよ。

 昔ね、いつもの夫婦喧嘩をはるかに超える大喧嘩をしたんです―その時、私が書いた、妻あての「離婚誓約書」を13年の時が経って突き付けられたんです。そんなもの、すっかり忘れていましたが、見ると、私の手書きで「いつでも〇子(妻の名前)様の望む時に、離婚します。その際は、二人名義の財産は、間違いなく半分をお渡しすることをここに誓います」とあって、実印と、ご丁寧に私自身の拇印まで押してある。

 それを目の前に出されたんですよ。いや、参りました。


【熟年離婚】〈男の言い分59〉



「日本のオヤジ」をやってた

 私は、大手電機メーカーの営業を、新入社員時代から担当してきました。たまたま、友人の紹介で知り合った女性―今は元妻―が、明るくて頭もいい、可愛いひとだった―後ではオニみたいだったけどね―ので、知りあって半年で結婚しました。

 彼女は公務員でしたが、公務員の女性が働き続ける条件は、一般企業より恵まれていましたから―息子が二人生まれてからも、共働きを続けることができたんです。

 しかし、会社の営業マンと公務員とでは、仕事と私生活の中身が違い過ぎた。妻は、定刻で帰れるとしても、私は、仕事優先、売上至上の立場ですから、はい、只今と7時に帰宅するなんて、ほぼ夢の世界。日曜も、接待ゴルフ、お客様の付き合いで酒飲み、上司の趣味の詩吟発表会傾聴、引っ越し手伝いにホームパーティーなどなど―これ、一時代前の営業マンなら、わかってもらえるでしょう。

 しかし、土日、祝日を休める公務員にはわかってもらうのが難しい。家庭を顧みない、自分勝手な亭主“日本のオヤジ”でしかないんですね。

 これでは、妻から「待った!」がかかるのも当然です。反省します。自分が忙しいのをいいことに、妻の、二人の息子の母親としての苦労、夫の身の回りの気遣い―真っ白のワイシャツ、スーツに合うネクタイ、きれいに磨いた靴、味噌汁と卵焼きが定番の朝飯、子供達の世話、PTA、町内会をこなし―そして、仕事の悩みやつまずき―妻は妻なりに、頑張っていたんですよね。「あんたそれ、今言うか!?」と、妻の怒声が聞こえますよ。

 まだあります。たまに、私が仕事から早く帰って来れた時は、着替えもそこそこにソファに寝て、缶ビール片手にテレビ。妻は仕事着の着替えをする暇もなく、バタバタと子供達の世話と夕食の支度。これ、私だけでなく、“日本のオヤジ”をやってる中高年は自分の姿そのものでしょうよ。家族が寝静まった後、台所のテーブルでひとり、ビールを飲んでいた妻に、「一日、ご苦労さん」なんてお酌の一つもしてやればよかったな、と思っても後のまつりですねぇ。失敗した先輩から、世のオヤジ達に警告。こんなのが、離婚の“芽”になるんですよ。

時限爆弾

 まぁ、そんなこんなで過ごしてきたんですが、まずかったことに―今、猛反省! 私、浮気したんです。毎日仕事仕事、夫婦の会話も必要最低限、バタバタした共働き、家のローンに教育資金の積み立てで節約節約、息子達は反抗期―の生活に、魔が差したっていうんでしょう―これ、浮気する男の言い訳―行きつけのバーの人と付き合って―3カ月ほど経って、妻に言いつけた御親切な人がいたもので―大喧嘩になりました。いつもは冷静で大らかな妻が大暴れ。夜中で、息子達がびっくりして起きて来てもおかまいなしに、テレビに茶わんは投げるわ、こたつ返しはするわ、襖は蹴破るわ、すさまじいエネルギーで怒り狂いました。息子達が泣きながら母親を羽交い絞めにして―ようやく鎮まりました。翌朝、彼女は、眼を泣きはらしたまま仕事に行きましたっけ。今思い出しても、汗が噴き出て来ます。脱線だが、これが逆で、妻が浮気したら問答無用で離婚でしょう? 本当に、女性は損ですよ。「あんたが言うか!?」と、妻の声。

 それから何とか1週間、1カ月と―何事もなかったような暮らしが続きましたが、彼女はひとり、別の部屋に引っ越して、「家庭内別居」が始まりました。息子達はいつもと変わらない様子で明るくふるまっていましたが、ギクシャクした空気はみんなつらい。

 いっそ、爆弾でこのしこりを取り払ってみようと―いいですよ、そんなに夫のことが許せないなら、離婚してもいいんですよ、と。半分、意地、半分、脅しで、離婚誓約書を書いたんです。こんな誓約をしたって、妻が離婚に踏み切れるはずはない。何でって、息子達はこれから進学。学費も、生活費も出してやらないとならない、夫婦二人名義の家のローンもまだ終わらない、離婚できるならしてみたら?っていう、思い上がりと、男のつまらない意地もありましたね。

 妻は、その「離婚誓約書」をチラと見ると、脇の茶箪笥に無造作に放り込んだだけでした。

 また、何年も経って、息子達は東京の大学に、私らはそれぞれの仕事に―と平穏な暮らしが続きました。何事も、時が解決してくれるんだ、「日にち薬」とはよく言ったもんだな、なんてその時は思いましたよ。

 いや、甘かった。それ、「日にち薬」じゃない。時限爆弾だったんです。

 ついこの間、私がいよいよ定年で、仕事の前線からは引退、再雇用でまた仕事、という区切りが付いた日、妻が一枚の紙をテーブルに出した。―それが、13年前、私の拇印、実印を華々しく押した「離婚誓約書」でした。見れば、誓約の「有効期限」は書いてない。いつでも有効です。

 妻の言うことには「私がもらう分の財産は何もいらない。その代わりに、自分が生きたいように生きる自由をもらいたい」と。自分の退職までまだ2年あるが、職場に通える街に引っ越しも決めた。その後は、ベトナムで日本語教室をしている友人の手伝いをするんだという。―しっかり、自分の人生を組み立てていたんですね。

 「離婚は、あなたの昔の“浮気”とか、自分だけ勝手な暮らしぶりなんかのせいじゃない。私自身の、残りの人生を大事にしたい、それだけ」と。「あなたも、まだまだ人生これから。頑張ってください」と言われた時は、涙がこぼれましたよ。

 彼女は、身の回りの物だけ持って引っ越して行きました。元気で仕事も頑張っているようです。後になって知りましたが、彼女、高校時代は、ハンドボール部のエースだったそうです。どうりで素晴らしい暴れ方でした。茶道具や菓子や雑誌が満載のこたつの一蹴りの恐ろしく見事だったことを、ずっと忘れません。今は、懐かしくもあります。

 “日本のオヤジ”の最後の世代の私は、これから新しい時代の、大人の男になる努力をしないとね。同志のオヤジのみんな、頑張ろうぜ。

 それから、何があっても、不用意に「離婚誓約書」なんて書かないでよ。
          (橋本 比呂)

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