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原発被災地写し続ける三春在住写真家

同行取材130回で見えた被害の実態


 三春町在住のカメラマン・飛田晋秀(ひだ・しんしゅう)さんは震災・原発事故後、原発被災地の様子を撮り続けてきた。避難指示区域住民の一時帰宅に繰り返し同行し、変化していく様子を見続けてきた飛田さんは、福島県の現状をどのように受け止めているのか。話を聞いた。

飛田晋秀さん

 原発事故の影響で不通となっていたJR常磐線の富岡(富岡町)―浪江(浪江町)間の運転が再開され、復興祝福ムード一色となっていた3月14日。1人の男性が大野駅(大熊町)周辺に設置されたバリケード付近でカメラを構えていた。

 「このあたりは高線量が計測されたエリアで、9年経った現在も1・7マイクロシーベルト毎時あります。場所によってはもっと高いところもざらにある。常磐線再開通に伴い駅周辺が立ち入り可能になり、子どもでも自由に立ち入りできるようになりましたが、許されることではありません」

 こう語ったのは、カメラマンの飛田晋秀さん(73)だ。

 震災・原発事故以降、さまざまな原発被災者の一時帰宅に同行し、立ち入り禁止となっていた避難指示区域の風景を撮り続けてきた。その回数は130回以上に上る。

 この間撮影した写真は約7000枚。そこには雑草に覆われた住宅、積み上げられたフレコンバッグなど、原発被災地の現実が映し出されている。物が散乱しネズミの死骸が転がっている家の中など、同行取材だからこそ撮影できた写真も多い。

 「2011年11月に、震災・原発事故関連の写真をまとめた写真集『福島のすがた』を自費出版しました。大きな反響をいただき、全国から講演を頼まれるようになり、もう300回以上は行っています。昨年2月には、前作発行後に撮影した写真を掲載した写真集『福島の記憶 3・11で止まった町』(旬報社)を出版しました」(飛田さん)

 飛田さんはもともと歯科技工士を務めながら、アマチュアカメラマンとして地元・三春町の職人の姿を撮影していた。仕事に集中する表情を見てもらうため、あえてモノクロで撮影したところ、好評を博した。それらの写真を用いた記事が朝日新聞県版で長期連載され、写真展や撮影などの依頼が寄せられたのを機に写真家に転身した。そんな飛田さんの姿を、本誌も2000(平成12)年5月号で取り上げていた。

 2011(平成23)年3月、長い取材旅行から戻り、自宅で編集作業を始めようとしていたところに東日本大震災が発生した。沿岸部を巨大な津波がのみ込み、東京電力福島第一原発で事故が発生。大量の放射性物質が放出され、多くの人が避難生活を余儀なくされた。

 まだまだ混乱が続いていた同年4月ごろ、知人の誘いを受け、津波被災地のいわき市小名浜地区に足を運んだ。多くの建物が床上浸水しており、船や車が流されている光景に圧倒された。知人の周囲でも8人が亡くなったと聞いて愕然とした。

 カメラを持参していた飛田さんだったが、当初は「報道カメラマンでもない自分が撮影していいのか」というためらいと、津波被害のすさまじさで、シャッターが切れなかった。だが、知人には「震災・原発事故の記憶は必ず風化する。写真に残して伝え続けるべきだ」と諭された。行方不明者を探す人たちを見て、涙を流しながら撮影した。

 初めて原発被災地に入ったのは、2012(平成24)年1月末だった。ボランティアとして富岡町からの避難者と接するうちに距離が縮まり、「仮設住宅から借り上げ住宅に転居する。準備が必要なので、一時帰宅に同行してほしい」と誘われた。

 当時の富岡町は年間放射線量50㍉シーベルト超の帰還困難区域に指定されており、住民以外の立ち入りは禁止、住民でも1時間半の立ち入りしか許されていなかった。

 親族として入域した飛田さんが目にしたのは、人けがなく静寂に包まれた夜の森の桜並木と、防護服を着た除染作業員の姿、雑草が生え荒涼とした住宅や道路だった。富岡駅前では大きなダチョウに遭遇した。所持していた積算線量計は高線量被曝を知らせるアラームをけたたましく鳴らし続けた。以前訪れた活気のあるまちとは別物の風景になっており、飛田さんは悲しみと怒りを抱きながら、シャッターを切り続けた。

自宅に住めなくなった怒りがドアに綴られていた(大熊町、2014年)

 同年3月には、知り合いの大熊町民の一時帰宅にも同行した。住宅に立ち寄った後、福島第一原発の敷地境界線に近付いたところ、所持していた線量計の針が振り切れた。150マイクロシーベルト毎時以上の空間線量だったことになる。海岸線を見ると崖が大きく削り取られており、津波のすさまじさが分かった。積算線量計を確認したところ、わずか1時間の立ち入りで、46マイクロシーベルト被曝していた。

動物やネズミが入り、荒れ果てた状態の住宅内(大熊町、2014年)

高線量の福島第一原発(大熊町、2012年)

後世に実態を伝え続ける

 同年8月、知人の娘である小学校低学年の女児と話す機会があった。不意に「私、大きくなったらお嫁さんに行けるかな?」と聞かれ、飛田さんは思わず口ごもってしまった。そのことに自分自身がショックを受け、同時に一つの覚悟が固まった。

 「原発事故は私たちの世代だけで終わる話ではありません。子どもたちのことを考えると、他人ごとではいられない。ライフワークとして写真を撮り続け、後世に残していかなければならないと決意し、具体的に行動していくことにしました」(同)

 そこから避難指示区域内の写真を撮影し、写真展や講演会などで原発事故の被害の大きさを伝えていく活動を本格的にスタートした。地元の仲間や支援者らとともに「NPO法人福島のすがた」を立ち上げて寄付を募り、全国の小・中学校は無償で講演をしようと考えている。

 原発被災地の写真を撮る際は風景だけでなく、必ず空間線量も写すようにしている。汚染の実態を知ってもらいたいからだ。

 「撮影場所の近くで空間線量や土壌の放射線量を測定すると、驚くぐらい高い数値が出てくる。原発事故により自然が汚染されたということであり、〝風評被害〟で片づけられない〝実害〟が発生しているということです。原発被災地を撮影して講演などを行っているので、『脱原発のカメラマン』と見られがちだが、私はただ原発被災地の現実を広く知ってほしいだけなのです」

 同行取材で一時帰宅の様子や住宅などを撮影する際は、移動中にその人が抱えている思いや不満にひたすら耳を傾ける。そこで、帰りたくても帰れない苦悩を数多く聞いてきただけに、飛田さんは国や県、被災自治体が推し進める帰還・復興政策には強い違和感を抱いている。

 「2017(平成29)年春、浪江町、富岡町、飯舘村、川俣町の帰還困難区域を除く区域の避難指示が解除されました。各町村は商業施設や診療所などのハコモノを整備し、復興をPRして帰還を呼びかけていますが、汚染された環境に人を戻すべきではありません。実際、かつての人口には戻っていないし、現在の居住人口には、廃炉や除染、中間貯蔵施設の運営に携わっている技術者・作業員も多分に含まれています。こうした現状はあまり公表されていませんが、『みんな帰還し始めたようだし、ウチもそろそろ戻るか』と勘違いする人がいるのではないかと懸念しています」

 例えば、震災・原発事故前の富岡町の人口は約1万6000人だったが、今年5月現在の町内居住者は1404人。帰還の意思を示す「町内居住届出」や転入届を出していない人も合わせると、約2000人が居住していると推測される。しかし、そこには外部から来ている廃炉関係者も含まれている。

 富岡町帰町計画によると、福島第一原発の2013(平成25)年3~5月当時の従事者数(1カ月平均)が6300人だったことから、同町には今後、約1600人の廃炉技術者・作業員が居住すると想定している。このことを前提に富岡町では復興が進められているのだ。

 わずかな帰還者と、廃炉技術者・作業員が住むことを想定した、新たなまちづくりは果たして「まちの復興」と言えるのか。そのことが、かつて住んでいた原発被災者の救済につながるのか。これは原発被災自治体共通の課題であり、あらためて別稿で取り上げたい。

帰還政策は見直すべき

 飛田さんはこう問題提起する。

 「チェルノブイリ原発の周辺では年間被曝線量5㍉シーベルト(1時間当たりで単純計算すると0・57マイクロシーベルト)以上が強制移住ゾーンとなっているが、避難指示が解除されている区域にはそれ以上の空間線量となっているところがいまも山ほどある。そうした場所には子どもや若者も自由に入れるが、本当に安全だと言い切れるのか。海外で講演したときには『日本政府の対応は信じられない』と言われた。国にも地方自治体にも住民の生命を守る責任がある。復興・帰還政策は見直すべきです」

 全国で写真展を開くうちに、大きな反響の声をもらうようになり、新聞などでも取り上げられるようになった。東京新聞には飛田さんのこれまでの活動を紹介する連載記事が掲載された。

8月には福島市で写真展が開催された

 ただ、残念ながら地元である福島県における反応は鈍く、地元紙で取り上げられることも少ない。県民から「お前みたいなのがいるから風評被害が消えない」と批判されたこともあるという。「住民間の分断もあり、原発事故を直接的に話題に出すことがタブー化されていく中で、福島県内での風化が早まるのではないか」と飛田さんは危惧している。

 間もなく震災・原発事故から節目の10年を迎える。テレビや新聞では大々的な企画が展開され、おそらく復興に焦点を当てたものが多くなるだろう。そうした中でも飛田さんは活動を改める考えはない。写真展や講演会を通し、震災・原発事故により福島県がどのような被害を受けたか、現実を伝え続けていく。


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